私たちはしばしば、集中力を生まれつきの才能のように考えがちです。「あの人は集中力がある」「私には集中力がない」と。しかし、ヨガの叡智、そして現代の神経科学が示唆するのは、それとはまったく異なる真実です。すなわち、集中力とは、才能ではなく「スキル」であり、身体の筋肉と同じように、日々のトレーニングによって鍛え、育てることができる能力なのです。
この「集中力=筋肉」という比喩は、ダーラナー(集中)の実践を理解する上で、極めて有効な視座を与えてくれます。ジムでバーベルを持ち上げる時、私たちは最初から重い重量を扱うことはできません。軽い負荷から始め、正しいフォームを学び、少しずつ、しかし継続的にトレーニングを重ねることで、筋繊維は微細な断裂と再生を繰り返し、徐々に太く、強くなっていきます。
集中力のトレーニングも、これと全く同じです。瞑想を始めて、いきなり30分間、心を無にしようと試みるのは、運動経験のない人が突然フルマラソンに挑戦するようなものです。おそらくは数分で挫折し、「やはり自分には向いていない」と結論づけてしまうでしょう。
そうではありません。まずは、たった1分、いや30秒でもいいのです。呼吸の一点に意識を向ける、という軽いダンベルを持ち上げてみる。おそらく、数秒で意識はどこかへ飛んでいってしまうでしょう。それでいいのです。それが現在のあなたの「集中筋」の筋力です。大切なのは、その事実に気づき、再び意識を呼吸というダンベルにそっと戻すこと。この「気づいて、戻す」という反復運動こそが、まさに集中筋を鍛えるレップ(反復回数)そのものなのです。
現代社会は、私たちの集中筋を著しく衰えさせる環境に満ちています。スマートフォンの通知音は、私たちが一つのことに深く沈潜しようとする度に、軽々とその状態から引き剥がしていきます。SNSの無限スクロールは、次から次へと新しい刺激を与え、一つの情報に留まることを許しません。これは、たとえるなら、常に1キロのダンベルを、ひたすら高速で、様々な方向に振り回しているような状態です。これでは、一つの重いバーベルを持ち上げるための、深く、持続的な筋力は決して育ちません。
だからこそ、私たちは意識的に「集中力のジム」に通う必要があります。それは、毎朝5分間、静かに座る時間かもしれません。あるいは、通勤電車の中で、広告を見ずにただ呼吸に意識を向ける時間かもしれません。ロウソクの炎を見つめるトラタカの実践は、この上ないアイソレーション・トレーニング(特定の筋肉を集中して鍛える種目)と言えるでしょう。
このトレーニングを続けることで、あなたの脳には実際に物理的な変化が起こります。注意や実行機能を司る前頭前野の活動が活発になり、神経回路が強化されていくことが、多くの研究で示されています。筋肉がトレーニングによって形を変えるように、あなたの脳もまた、集中するという行為によって、その構造自体を変化させていくのです。これを神経可塑性(ニューロプラスティシティ)と呼びます。
引き寄せの法則において、この鍛えられた集中力は決定的な役割を果たします。なぜなら、あなたの意図や願望が現実化するためには、一定期間、そのエネルギーを保持し、焦点を合わせ続ける必要があるからです。筋力のない手が重いものを保持できないように、鍛えられていない集中力は、あなたの意図を途中で落としてしまいます。疑いや不安、外部からの雑音によって、せっかくのエネルギーは霧散してしまうのです。
日々、ダーラナーを実践し、集中筋を鍛えること。それは、あなたの内側に、どんな願望でも確実に保持し、現実化するまでエネルギーを注ぎ続けることができる、強力な「精神の器」を創り上げていく作業に他ならないのです。


