私たちの文化には、謙遜を美徳とする奥ゆかしい気風が根付いています。誰かから褒め言葉をいただいた時、「いえいえ、そんなことありません」と反射的に否定してしまったり、贈り物に対して「そんな、お気遣いなく」と過度に遠慮してしまったりすることは、処世術として、あるいは一種の礼儀として深く身体化されているかもしれません。しかし、ヨガ的引き寄せの観点からこの習慣を深く見つめると、そこに豊かさの流れを無意識にせき止めてしまう、繊細かつ重大な罠が潜んでいることに気づかされます。
「受け取ること」は、「与えること」と対をなす、エネルギー循環の不可欠なプロセスです。呼吸において吸う息(プラーナ)と吐く息(アパーナ)がどちらも等しく重要であるように、豊かさの流れにおいても、与えることと受け取ることは一つの完全な円を描いています。もし私たちが受け取ることを拒絶するならば、それは宇宙という大いなる存在が差し出してくれた手を、自ら振り払っているのと同じことなのです。
ヨガ哲学における「アスミター(Asmitā)」、すなわち「我執」は、しばしば傲慢さや自己中心性と結びつけて語られますが、その逆の側面、「私なんて、そんな価値のない存在だ」という自己卑下もまた、アスミターの巧妙な現れです。褒め言葉や贈り物という形で差し出された豊かさを素直に受け取れない時、その根底には「私はそれを受け取るに値しない」という、自分自身に対する価値の低さ、つまりは歪んだ自己認識が横たわっています。これは、本来無限の可能性を持つ真我(プルシャ)の輝きを、小さな自己イメージの檻に閉じ込めてしまう行為に他なりません。
また、「アパリグラハ(Aparigraha)」、つまり「不貪」の教えを誤解してはなりません。アパリグラハは、必要以上に貪らない、執着しないという戒めであり、「一切を受け取ってはならない」という禁欲主義を意味するものではありません。むしろ、感謝と共に差し出されたものを、感謝と共に受け取ることこそ、宇宙の豊かさの循環に対する敬意の表明なのです。
引き寄せの法則は、私たちの内なる信念や感情の周波数が、外側の現実を創造すると説きます。褒め言葉に対して「そんなことないです」と返す時、私たちは無意識のうちに「私は、その賞賛に値しません」「私は、豊かさを受け取れません」という宣言を宇宙に発信しています。その結果、宇宙は忠実にその信念を反映し、あなたが豊かさを受け取れないような状況を現実化させていくでしょう。
「受け取り上手」になるための稽古は、日常のささやかな瞬間から始まります。誰かに「今日の服装、素敵ですね」と言われたら、「いえいえ、安物ですよ」とか「そんなことないです」と打ち消すのではなく、深呼吸をして、相手の目を見て、にっこりと「ありがとうございます。そう言っていただけて、とても嬉しいです」と返してみましょう。最初は少し気恥ずかしいかもしれません。しかし、このシンプルな応答こそが、「私は、あなたの親切と豊かさを受け取ります」というパワフルな宣言となるのです。
小さな親切、友人からのちょっとしたプレゼント、誰かが譲ってくれた電車の席。そのすべてを、宇宙からのギフトとして、感謝と共に受け取る練習をしてみてください。受け取るたびに、あなたの内側にある「豊かさの器」は少しずつ広がっていきます。それは、自分自身への価値を認め、愛することを許可するプロセスでもあります。
与える喜びは、多くの人が知っています。しかし、受け取る喜びを知り、それを全身で表現できるようになった時、初めて豊かさの循環は完成します。あなたが喜んで受け取る姿は、与えてくれた相手にとっても、この上ない喜びとなるのです。与えることと受け取ることの間に優劣はありません。それは、一つの愛というエネルギーが形を変えて流れているだけのこと。さあ、両手を広げ、心をオープンにして、宇宙があなたに与えたがっているすべての贈り物を、喜びと共に受け取りましょう。その時、あなたの人生には、想像を超えた豊かさが流れ込み始めるはずです。


