ヨガ哲学の旅は、時に逆説的な風景の中を進んでいきます。「行為者としての私はいない」という究極の真理を知り、「すべては神聖な戯れ(リーラ)である」という広大な視点を得た私たちは、ある種の安堵と共に、一つの疑問を抱くかもしれません。「ならば、私にできることは何もないのだろうか?すべては決まっていて、私はただ運命の波に漂うしかないのだろうか?」と。
これは、深遠な真理が宿命論やニヒリズムとして誤解される危険な分岐点です。しかし、ヨガの賢者たちは、決して私たちに無気力な傍観者であれとは教えません。むしろ、究極の真理を理解した上で、今度はこの相対的な世界において、私たち一人ひとりが持つ、驚くべき創造の力を自覚するよう促すのです。その力とは、自らの運命を意識的に築き上げていく「建築家」としての力です。
この矛盾を乗り越える鍵は、カルマの三重構造を理解することにあります。カルマには、大きく分けて三つの種類があるとされています。
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サンチタ・カルマ(蓄積されたカルマ): 過去のすべての生から蓄積されてきた、まだ結果として現れていないカルマの巨大な貯蔵庫。
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プラーラブダ・カルマ(結果として現れるカルマ): サンチタ・カルマの中から、今世で経験するために選び出された部分。これは、私たちが生まれた国や家族、身体的な特徴など、変えることのできない「初期設定」のようなものです。これは、いわば運命の建築家であるあなたに与えられた「土地」や「資材」に相当します。
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クリヤマーナ・カルマ(新たにつくられるカルマ): 「今、この瞬間」の私たちの思考、言葉、行動によって、新たに生み出されるカルマ。これこそが、私たちに与えられた自由意志の領域であり、未来を形作る力です。
私たちは、与えられた土地(プラーラブダ)の場所や広さを変えることはできないかもしれません。用意された資材が、最高級の大理石ではなく、ありふれたレンガである場合もあるでしょう。しかし、その土地にどのような設計図を描き、どのような家を建てるかは、完全に建築家であるあなたの選択に委ねられているのです。これが、「あなたは自分の運命の建築家である」ということの真意です。
過去のカルマの影響(プラーラブダ)によって、私たちは特定の思考パターンや感情的な反応に陥りやすい傾向を持っています。しかし、ヨガや瞑想の実践を通して、私たちはその自動的な反応に「気づく」ことができます。そして、その反応と自分自身との間に、一瞬のスペース(空間)を作り出すことができるようになります。そのスペースこそが、自由の生まれる場所です。そこで私たちは、これまでと同じ反応を繰り返すのではなく、新しい選択をすることができる。これが、クリヤマーナ・カルマを意識的に創造するということです。
例えば、誰かに批判された時、過去のパターンが「怒り」や「自己防衛」という自動反応を引き起こすかもしれません。しかし、その瞬間に呼吸に意識を戻し、「ああ、今、私は批判されて、怒りの感情が湧き上がっているな」と客観視する。そのスペースの中で、「私はここで怒りを爆発させることもできるし、あるいは、相手の言葉の裏にある意図を冷静に探ることもできるし、ただ静かにその場を離れることもできる」と、新たな選択肢を見出すことができます。この一つひとつの意識的な選択が、未来の現実という建物を形作る、新しいレンガを一つ積む行為なのです。
「行為者がいない」という究極の真理は、エゴの思い上がりを戒め、結果への執着から私たちを解放してくれます。そして、「あなたは運命の建築家である」という相対的な真理は、私たちに「今、ここ」での選択の尊さと力を与えてくれます。この両輪があって初めて、私たちの人生の車は、宿命論と自己過信の溝に落ちることなく、大いなる流れと調和しながら、自らの意志で道を切り拓いていくことができるのです。あなたの手には、未来を描くための設計図と道具が、すでに握られています。


