私たちの内側では、常に二つの声が対話を繰り広げています。一つは、絶え間なくしゃべり続ける、賑やかで、しばしば批判的な「思考の声」。もう一つは、静かで、穏やかで、ふとした瞬間にだけ聞こえてくる「直感の声」。人生という航海において、どちらの声を船長として信頼するかは、私たちの旅路そのものを決定づける、極めて重要な選択です。しかし、この二つの声は巧妙に混ざり合い、聞き分けることは容易ではありません。この声たちを識別する稽古は、ヨガの探求における最も繊細で、そして価値ある実践の一つと言えるでしょう。
まず、「思考の声」の特徴から見ていきましょう。思考の声は、多くの場合、私たちの「エゴ」から発せられます。それは、過去の経験や記憶、親や社会から刷り込まれた価値観、そして未来への不安や恐れに基づいています。その口調は、しばしば断定的で、強制的です。「〜すべきだ」「〜してはいけない」「もし〜したら、大変なことになる」といった形で、私たちを急き立て、追い詰めます。思考の声は、常に比較や分析を好み、メリットとデメリットを天秤にかけ、私たちを正解探しの迷路へと誘い込みます。そのエネルギーは、頭の周りに集中し、身体を緊張させ、私たちを「今、ここ」から引き離します。それは、まるで嵐の海でがなり立てる、パニックに陥った乗組員の声のようなものです。
一方、「直感の声」は、全く異なる性質を持っています。その声は、エゴを超えた、より深い自己の源泉、私たちの本質であるアートマンからやってきます。それは、過去や未来に囚われず、常に「今」に根差しています。その口調は、囁くように静かで、穏やかで、決して強いることがありません。「こちらへどうぞ」と、ただ優しく道を指し示すだけです。直感の声は、比較や分析を行いません。それは、理由を超えた「ただ、そう感じる」という、全体的な確信として現れます。そのエネルギーは、胸や腹の中心(ハートチャクラや丹田)から広がるような温かさを伴い、身体をリラックスさせ、私たちを深い安心感で包み込みます。それは、嵐の中でも羅針盤の針が静かに北を指し続けるように、静かで揺るぎない船長の声なのです。
この二つの声を聞き分けるための、最も効果的な実践が「瞑想」です。瞑想とは、思考の声を無理やり消し去ろうとする闘いではありません。むしろ、川の岸辺に座って、流れていく水(思考)をただ眺めるようなものです。次から次へと浮かんでくる思考の雲を、「ああ、不安の雲が来たな」「これは過去の後悔の雲だな」と、客観的にラベリングし、それと自分を同一化しない練習です。この観察者としての視点を保ち続けるうちに、思考の雲と雲の間に、切れ間が見えてきます。その雲ひとつない青空のような静寂の空間こそが、直感の声が響く場所なのです。思考が静まれば静まるほど、直感の声はクリアに聞こえてくるようになります。
日常生活の中でも、この聞き分けの稽古は可能です。何かを決断しなければならない時、一度目を閉じて、深く呼吸をしてみてください。そして、それぞれの選択肢を選んだ時の身体の感覚に注意を向けます。
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選択肢Aを想像した時、身体はどのように反応しますか? 肩が上がり、顎が食いしばられ、胸が詰まるような感じがしますか? それは、思考(エゴ)が抵抗しているサインかもしれません。
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選択肢Bを想像した時、身体はどのように反応しますか? 呼吸が深くなり、肩の力が抜け、身体全体が軽く、開かれた感じがしますか? それは、直感(魂)が「イエス」と言っているサインかもしれません。
あなたの身体は、嘘をつきません。頭でいくら論理的に正しいと思っていても、身体が拒否反応を示しているのなら、それはあなたにとっての真実ではない可能性が高いのです。
思考の声と直感の声を聞き分けることは、一朝一夕にできることではありません。それは、長年の習慣によって大きくなった思考の声を少しずつ鎮め、か細い直感の声を辛抱強く聴き取ろうとする、地道な稽古の積み重ねです。しかし、この稽古を続けるうちに、あなたは気づくでしょう。あなたの内なる船長は、常にそこにいて、穏やかな眼差しであなたを見守り、最も豊かで、最もあなたらしい航路へと導く準備ができていたのだということを。その静かな声に信頼を置く時、あなたの人生の海は、穏やかな追い風に恵まれた、喜びに満ちたものとなるのです。


