アステーヤ(不盗)の探求をさらに内面へと深く進めていくと、私たちはある厄介な感情に行き当たります。それは「嫉妬」です。友人が昇進した、同僚が大きなプロジェクトを成功させた、SNSで見た誰かが理想的な生活を送っている。そのような時、私たちの心にチクリと刺さる痛み、焦り、そして仄暗い喜びの欠如。この感情こそが、アステーヤの教えに反する、最も巧妙で微細な「盗み」の衝動なのです。
他者の成功や幸福を妬む時、私たちは心の中で、その人から成功や幸福を「盗み」、自分のものにしたいと願っています。あるいは、「自分にはないのに、あの人だけが持っているのは不公平だ」と感じ、相手の幸福が減少することさえ望んでしまうことすらあります。これは、相手の輝きを認めず、その価値を心の中で貶める行為であり、一種の精神的な窃盗と言えるでしょう。
この嫉妬という感情の根っこには、二つの大きな誤解が横たわっています。一つは、「豊かさや成功は有限である」という思い込みです。誰かがパイの一切れを取ったら、自分の分が減ってしまうというゼロサムゲーム的な世界観。しかし、宇宙の真理はそうではありません。豊かさは無限であり、誰かの成功があなたの成功の可能性を奪うことは決してないのです。
もう一つの誤解は、「自分と他者は分離している」という感覚です。しかし、ヨガや東洋思想の根幹には「すべては繋がっている(縁起)」という智慧があります。他者の成功は、決して他人事ではないのです。それは、人間という大きな生命体の一部が輝いた証であり、あなた自身の内にも同じ可能性が眠っていることの証左に他なりません。
では、この嫉妬という根深い感情を、私たちはどう扱えばよいのでしょうか。ヨガが示す道は、抑圧や自己嫌悪ではありません。それは、意識の力によって、嫉妬という鉛を、祝福という黄金へと変容させる「錬金術」の実践です。
嫉妬の感情が湧き上がってきたことに、まず気づきましょう。そして、その感情を否定せず、「ああ、今、私は羨ましいと感じているのだな」と静かに認めます。その上で、意識的に、こう言葉と思考を転換するのです。「素晴らしい!彼の成功を心から祝福します」「彼女が幸せで、私も嬉しい」「この世界に、また一つ美しい光が灯った」。
これは仏教で「ムディター(Muditā)」と呼ばれる、「他者の喜びを共に喜ぶ心」を育む実践です。四無量心の一つに数えられるこのムディターは、嫉妬という毒に対する最も強力な解毒剤です。最初は感情が伴わないかもしれません。それでも、意志の力で祝福の言葉を繰り返すうちに、あなたの心は次第に変容していきます。
引き寄せの法則の観点から見れば、この錬金術は絶大な効果を持ちます。嫉妬は「私にはそれがない」という欠乏の波動を放ち、成功や豊かさを遠ざけます。一方、他者の成功を心から祝福する時、あなたは「成功」や「豊かさ」という波動に、自らの周波数を完全に同調させているのです。それはまるで、ラジオのチューナーを好きな音楽が流れているチャンネルに合わせるようなもの。宇宙は「おお、あなたもこの周波数が好きなのですね。では、あなたの現実にも、この音楽を届けましょう」と応答するでしょう。
他者の成功は、あなたを脅かす脅威ではありません。それは、あなたの未来の可能性を映し出す鏡であり、進むべき道を照らす灯台の光です。その光を妬み、目を背けるのではなく、感謝と共に受け取り、自らの道を歩む力に変えること。その時、あなたはもはや他人の成功を盗む必要のない、あなた自身の成功物語の、輝かしい主人公となるのです。


