アヒンサー(非暴力)の実践は、私たちの身体的な行為だけに留まるものではありません。むしろ、より日常的で、より深く人の心を穿つのは、目に見えない「言葉」という名の刃です。私たちは言葉によって愛を伝え、世界を構築することもできれば、一瞬にして人の尊厳を傷つけ、関係性を破壊することもできてしまいます。東洋の思想、特に日本には古来より「言霊(ことだま)」という美しい概念が存在しました。言葉には霊的な力が宿り、口に出した言葉が現実の世界に影響を及ぼすという考え方です。これは単なる迷信ではなく、言葉が私たちの意識と現実をいかに形成するかについての、深い洞察と言えるでしょう。
他者に向ける言葉の暴力性には、多くの人が比較的気づきやすいかもしれません。あからさまな罵詈雑言は論外としても、批判、皮肉、陰口、ゴシップ、無神経な忠告、相手をコントロールしようとする物言い。これらはすべて、相手のエネルギーフィールドを乱し、その心に棘を残す行為です。仏教の八正道の一つに「正語(しょうご)」という教えがあります。これは、嘘をつかず、悪口を言わず、二枚舌を使わず、無駄口を叩かない、という実践です。言葉を慎み、清らかなものに保つことが、悟りへの正しい道筋であると説かれているのです。
しかし、アヒンサーとサティヤ(正直)の観点から見て、さらに根深く、そして見過ごされがちなのが、私たち自身が「自分」に向けて日々語りかけている言葉、すなわち内なるセルフトークです。
何か失敗をした時、「私はなんてダメなんだろう」。鏡に映る自分を見て、「もっと痩せていれば」「ここが醜い」。他者と比較して、「それに比べて私は…」。これらの内なる呟きは、誰にも聞こえないが故に、際限なく繰り返されます。それはまるで、四六時中、最も辛辣な批評家を自分の内に住まわせているようなもの。この内なる言葉の刃は、確実に私たちの自己肯定感を削り、生命力を奪っていきます。
あなたがもし、大切な友人が同じように自分を責めていたら、何と声をかけるでしょうか。「そんなことないよ、あなたは素晴らしいよ」と、きっと優しい言葉をかけるはずです。なぜ、その優しさを、最も身近で、生涯を共にするパートナーである自分自身に向けてあげられないのでしょうか。
言葉を選ぶという稽古は、今日から、今この瞬間から始められる最もパワフルなヨガの実践です。
まず、自分がどのような言葉を使い、どのような言葉に囲まれて生きているかに、意識的になることから始めましょう。そして、自分や他者に対して否定的な言葉を使いそうになったら、一呼吸おいて、より優しく、建設的な言葉に置き換えることを試みるのです。例えば、「~しなければならない」という義務感に満ちた言葉を、「~してみたい」「~することを選ぶ」という主体的な言葉に変えるだけで、心の風景は大きく変わります。
引き寄せの法則の観点から言えば、私たちが発する言葉は、宇宙への注文書そのものです。「私はダメだ」と唱え続ければ、宇宙は「はい、承知しました。あなたがダメである証拠をもっとお見せします」と応答するでしょう。「私は愛されている」「私は豊かさを受け取るに値する」といったアファメーション(肯定的自己暗示)が効果を持つのは、それが私たちの波動を望む現実の周波数に同調させるからです。
言葉は、あなたの世界の彩りを決める絵の具です。今日、あなたはどのような色で、自分自身と世界を描きますか。どうか、慈愛に満ちた、温かく、光り輝く言葉を選んでください。その選択が、あなたの現実を、そしてあなたが出会う人々の現実をも、美しく変容させていくのです。


