結局のところ、徹底的に軽い人になると叶うのか【縁側日記@青山】vol290

縁側日記

瞑想の名前を今はSIQANとしております。

これは、弛緩、只管、止観、の意味を込めております。

弛緩:ゆるめること

只管:淡々と取り組むこと

止観:瞑想状態へ入ること

これでSIQAN。

まぁ、そのままなんですけど。

昔はSUWARUという名前でずっとやっておりました。

紆余曲折ありまがしたが、なんと言いますか、なぜか同業者がSUWARUを会社名にした為、名前を変えました。

そういうこともありますね。

そのお陰で、さらに本質的な言葉になりました。

SIQANの方が本質的でした。

ありがたいことですね。

 

緩めること自体が一つの完成された瞑想です。

そのように私は観じております。

マントラや呼吸法が必ずしも必要ではありません。

まったくいらないと言っても過言ではありません。

そういう時代ではないと言いますか、もう人間はただ緩めるだけで瞑想ができます。

小難しいことや「〇〇しないとダメ」という権威主義的なものも必要ありません。フラットになってきております。

緩めなくても余裕でじゃんじゃん体外離脱している人もいるくらいですから。

もちろん、より深い瞑想には緩めることが必須です。

 

ゆるめることで、そこに静けさがやってきます。

肩の荷がおりることで有益なことも起こります。

現実的にも良いことが起こるのですから瞑想する価値もあるのかもしれません。嬉しいですね。

でも、そんな3次元的なことではなく、もっと大きな世界で捉えたい。

エゴや自我というのを超えた世界。

もっと大きな世界で大切なことが起こっています。(睡眠中もそうです)

 

実際は、瞑想を深めるのに心のガラクタを捨てたり、いらん思考から離れたいということが必要ではあります。

それもゆるめて放置しておけばいいのです。

相手にしないことです。

無視するという強い言い方ではなく、ちょっと脇に置いておくくらいです。

そのくらいの距離感で大丈夫です。

どうせ、力を失っていきますから、安心して力を緩めていくことです。

 

そんな感じで瞑想を実践しております。

ヨガをやった後に瞑想する方がやりやすいこともあります。

朝YogaやBTY+Sのクラスを是非ご参加ください。

こんなに簡単に瞑想状態になれるのかと思うことでしょう。

 

普段からも思考や現実と敵対しないことですね。

無視ですね。(強い言い方になってしまった)

言い過ぎかもしれませんが、放っておきましょう。

現実や思考に私たちが脅かされることはありません。

ご安心ください。

そんな心持ちにもなっていきます。

悪いものが取り除かれ、充実させてくれるものが残る。

そんな世界へと入っていきましょう。

それが軽い人です。

ではでは。