ヨガをやっていると肉は食べてはいけないのですか?正しさという荷を下ろす

日常生活について

ヨガを始めると、食事の内容について考え直すきっかけを迎える人が多くいます。特に「ヨガの実践者は肉を食べてはいけないのだろうか」という疑問は、真面目に向き合う人ほど抱きやすいものです。スタジオに足を運ぶ生徒さんからも、このような質問を頻繁に受けてきました。

結論からお伝えすれば、現代においてヨガを行うからといって、肉食を絶対に禁止されているわけではありません。肉を食べるか食べないかは個人の自由であり、体質や生活環境に応じた選択に委ねられています。大切なのは、許可か禁止かという極端な二元論にとらわれないことです。なぜヨガの世界で菜食が推奨されてきたのか、その歴史や思想的な背景を深く理解し、最終的には自分自身の身体の声に耳を傾ける必要があります。

なぜヨガと菜食は、これほどまでに深く結びついているのでしょうか。その理由は、古代インドから続く東洋思想の歴史にあります。

ヨガの根本的な教えをまとめた古典的な経典の中には、「アヒムサ」という概念が登場します。アヒムサとは、サンスクリット語で「非暴力」や「不殺生」を意味する専門用語を指します。すべての生命は根本においてつながっており、他者を傷つける行為は巡り巡って自分自身を傷つけることになる、という宇宙の調和に基づいた世界観が根底に存在します。動物の命を奪ってその肉をいただくことは、このアヒムサの精神に反するという解釈から、伝統的なヨギ(ヨガの実践者)たちは菜食を選んできました。

また、インドの伝統医学であるアーユルヴェーダやヨガ哲学では、自然界のすべての物質や心の状態を、三つのエネルギーの性質に分類して捉えます。この性質を「グナ」と呼びます。

一つ目は「サットヴァ」であり、純質や清浄を意味する性質です。心を穏やかにし、澄んだ状態へ導くエネルギーを指します。新鮮な野菜、果物、穀物、ナッツ類などがこれに該当します。

二つ目は「ラジャス」で、激質や動性を表します。心を高揚させ、情熱や落ち着きのなさを引き起こす刺激の強いエネルギーです。辛いスパイスやカフェイン、そして肉類がここに含まれます。

三つ目は「タマス」であり、翳質や惰性を意味する性質です。心身を重くし、眠気や怠惰をもたらす停滞のエネルギーを指します。時間の経った料理や加工食品、そして肉類がこれに分類されることがあります。

伝統的なヨガの目的は、波立つ心の動きを静め、本来の純粋な意識に戻ることにあります。そのため、心を乱すラジャスや、身体を重くするタマスに属する食事を避け、心を清らかに保つサットヴァな食事を摂取することが理想とされてきました。これが、ヨガにおいて肉食が敬遠されてきた歴史的な思想背景です。

この古代インドの思想は、20世紀以降にヨガが西洋社会へと普及していく過程で、新たな意味を持つようになりました。欧米の健康志向、動物愛護の精神、あるいは地球環境への配慮といった現代的な価値観と、アヒムサの思想が共鳴したためです。

現在、海外のヨガコミュニティを見渡すと、ベジタリアン(菜食主義)やヴィーガン(完全菜食主義)を選択する実践者が数多く存在します。しかし、これらは個人のライフスタイルや倫理的な選択であり、強制的な規則ではありません。気候風土が異なれば、人間の身体が必要とする栄養素も変わります。寒冷な地域に住む人と、温暖なインドに住む人とでは、最適な食事の在り方が違って当然です。形だけの模倣にとどまらず、その本質を見極める視点が欠かせません。

私たちは往々にして、頭の中で生み出された「正しさ」に振り回されてしまいます。「ヨガをやっているのだから、肉を食べてはいけない」「ベジタリアンでなければ立派なヨギとは言えない」といった思考が頭を支配しているとき、心は緊張状態にあります。

人間の脳は、常に物物を善と悪、正しいと間違いの二つに分けたがります。この自動的に繰り返される思考のおしゃべりこそが、私たちの心に不安や葛藤というノイズをもたらす原因です。頭の中の声に囚われているとき、私たちは今ここにある現実から引き離されてしまいます。

ヨガの本質的な実践とは、ポーズを美しく決めることだけではありません。頭の中のノイズを静め、静寂の中で自分の内なる身体の感覚とつながることにあります。

肉を食べるべきか否かという問いに対して、本で読んだ知識や他人の意見を基準にするのを一度やめてみてください。代わりに、自分の呼吸やお腹の感覚、食後の身体の重さに意識を向けてみることをお勧めします。

肉を食べた翌朝、目覚めが重く、身体がだるく感じるのであれば、今のあなたの身体には肉のエネルギーが過剰なのかもしれません。逆に、菜食を続けた結果、元気がなくなり、心が不安定になるのであれば、肉体が必要な栄養を求めているサインと言えます。外側のルールに従うのではなく、内側の生命が発する直接的な声に耳を澄ますこと。それこそが、本来の知性を呼び覚ますアプローチです。

食事をシンプルにすることは、暮らしにおけるミニマリズムの実践そのものです。現代社会は情報や物質、そして食べ物であふれ返っています。過剰な味付けや、刺激的な広告に惑わされ、私たちは身体が本当に必要としている量以上のものを摂取しがちです。

物質的なミニマリズムが部屋の不要なものを手放すことであるならば、食事のミニマリズムは、身体にとって不要な余分なものを削ぎ落とすことに繋がります。味覚をリセットし、素材そのものの味を淡々といただく。そうすることで、心身は驚くほど軽やかになります。

しかし、ここで最も注意しなければならないのは、精神的なミニマリズムを忘れてしまうことです。つまり、「肉を食べないという正しさ」に執着し、心の中に新たな荷物を抱え込んでしまう現象を指します。

ベジタリアンという枠組みに自分を当てはめ、そこから外れることを恐れたり、肉を食べている他者を心の中で批判したりする。それは、心の中にエゴという名の新しい所有物を増やしている状態に他なりません。正しさにしがみつく心は、重い荷物を背負って歩いているようなものです。ヨガが目指すのは、そのような精神的な束縛から解放され、完全に自由になることです。

先ほど紹介したアヒムサの教えを、もう一度身近な視点で捉え直してみましょう。他者を傷つけないという在り方は美しいものですが、それを守るために自分自身を痛めつけてしまっては本末転倒です。

「肉を食べたい」という本能的な欲求が内側から湧き上がっているにもかかわらず、教条的なルールのためにそれを激しく抑圧する。これは、自分の身体に対する一種の暴力と言えないでしょうか。我慢によるストレスは、心を濁らせ、イライラや怠惰のエネルギーを心の中に生み出します。

完璧な人間になろうとする必要はありません。形にこだわり、自分をコントロールしようとする手を緩めることです。身体が本当に肉を求めていると感じたときは、目の前にある命に対して深い感謝の念を抱きながら、ありがたくいただく。その一口を十分に味わい、血肉に変えていく。そして、身体が十分に満たされれば、自然と過剰な肉食からは遠ざかっていくものです。

このような自然な変化のプロセスを、コントロールしようとせず、淡々と見守ることが大切になります。

食事の選択において、どちらが正解でどちらが間違いという境界線は存在しません。何を食べても、あるいは食べなくても、あなたの本質的な価値は一ミリも揺らぐことはないのです。

私たちが本当に手放すべきなのは、肉食そのものではなく、頭の中にある「こうでなければならない」という頑なな固定観念です。その重い荷物を地面に下ろしたとき、初めて目の前の世界がクリアに見えてきます。

ヨガのポーズを通じて身体の滞りをなくし、流れる時間をただ味わい、静かに座って思考を止める。そうした営みの中心にあるのは、常にありのままの自然体でいることです。

外側の基準に自分を合わせるのをやめ、今この瞬間の肉体と対話しながら、最適な選択を重ねていきましょう。正しさという荷物を下ろしたとき、あなたのヨガはより深く、そして風が通り抜けるように軽やかなものへと変わっていくはずです。日々の食事を、自分自身を縛る道具にするのではなく、命の営みを祝福するための自由な営みとして楽しんでください。

 



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。