枠を超えて動くことから、さらなる高みに

縁側日記

私たちは皆、知らず知らずのうちに透明な「枠」の中で生きています。
「私の能力はこのくらい」「あの人には敵わない」「この業界の常識はこうだ」。
それは、安全地帯(コンフォートゾーン)という名の心地よい牢獄です。
枠の中にいれば、失敗して傷つくことはありません。予想外の事態にパニックになることもありません。
しかし、その代償として、私たちは「高み」へと至る梯子(はしご)を自ら外してしまっているのかもしれません。

今日は、その枠を「えいやっ」と超えて動くこと。
その勇気がもたらす、想像を超えた展開についてお話ししましょう。

 

枠は、過去の自分が作った亡霊

そもそも、その「枠」を作ったのは誰でしょうか。
多くの場合、それは「過去の自分」です。
過去の経験、過去の失敗、過去に誰かから言われた言葉。それらが積み重なって、「自分はこういう人間だ(だから、これ以上は無理だ)」というセルフイメージの境界線を引いています。

ヨガの哲学では、これを「サンスカーラ(潜在印象)」による束縛と呼びます。
過去のデータに基づいて未来を予測し、行動を制限してしまう心の癖。
しかし、よく考えてみてください。
昨日のあなたと、今日のあなたは、細胞レベルで見れば全くの別人です。
過去のデータが、今のあなたの可能性を100%規定するなどということは、生命の原理としてあり得ないのです。
その枠は、実体のある壁ではなく、単なる「記憶の残像」に過ぎません。

 

「型」を守る時期、「枠」を破る時期

武道や芸事には「守破離(しゅはり)」という言葉があります。
師の教えを忠実に守る「守」。
その型を自分なりにアレンジし、破っていく「破」。
そして型から離れ、独自の境地へと至る「離」。

多くの人は「守」の段階、つまり既存の枠組みの中でうまくやることに終始してしまいます。
もちろん、基礎は大切です。枠があるからこそ、私たちは効率的に動くことができます。
しかし、ある段階に達したら、その枠は「守ってくれるもの」から「閉じ込めるもの」へと変質します。
成長痛のような違和感を感じ始めたら、それは「破」の合図です。
「今まで通り」が通用しなくなったときこそ、枠の外へと踏み出す絶好のチャンスなのです。

 

枠を超えるとは、身体性を変えること

では、具体的に「枠を超える」とはどういうことでしょうか。
単に突飛な行動をすることではありません。
それは、「身体のモードを変える」ことです。

いつもなら尻込みする場面で、あえて一歩前に出てみる。
いつもなら「頭(思考)」で判断して止めることを、「腹(丹田)」で決めて動いてみる。
いつもなら選ばない道を、あえて選んでみる。

私たちの身体は、私たちが思っている以上に賢く、高いポテンシャルを秘めています。
しかし、普段の私たちは「思考(エゴ)」という狭い枠で、その身体の可能性を抑え込んでいます。
「そんなことをしたら恥をかく」「失敗したらどうする」。
そうした思考のブレーキを外し、身体が本来持っている「動きたがっている方向」へと委ねてみる。
すると、身体は思考が予測もしなかったような軽やかな動きで、軽々と枠を飛び越えてしまうことがあります。
枠を超えるとは、頭で考えて行うことではなく、身体が先行して起こしてしまう現象なのです。

 

カオス(混沌)を味方につける

枠の外側は、未知の世界です。
そこは整理されておらず、予測不能なカオス(混沌)が広がっています。
多くの人はこのカオスを恐れますが、実はこここそが、新しい何かが生まれる「創造の源泉」です。

枠を超えて動き出すと、必ず摩擦が起きます。批判されるかもしれないし、失敗するかもしれません。
しかし、その摩擦熱こそが、あなたをより高くへと押し上げるエネルギーになります。
安定した軌道を外れ、乱気流の中に飛び込む。
その揺れの中でこそ、私たちはバランス感覚を養い、今まで使っていなかった筋肉(能力)を目覚めさせることができるのです。
「整えよう」とするのをやめ、カオスを面白がる余裕を持つこと。それがさらなる高みへの鍵です。

 

さらなる高みへ:俯瞰する視点

枠を超えて動いた先には、何が待っているのでしょうか。
それは「視座の変化」です。
小さな箱の中から外へ出たとき、私たちは初めて、自分が今までいた箱の小ささを知ります。
「なんだ、あんな小さなことにこだわっていたのか」
「世界はこんなにも広かったのか」

一段高い場所に立つと、物事の全体像が見渡せるようになります。
自分だけの利益ではなく、他者のこと、社会のこと、未来のこと。
より大きな文脈(コンテキスト)の中で、自分の役割を捉えられるようになります。
ヨガでいう「イーシュヴァラ・プラニダーナ(大いなるものへの委ね)」に近い感覚かもしれません。
自分の小さなエゴの枠を超え、大きな流れの一部として機能し始めたとき、人は最も高いパフォーマンスを発揮します。

 

おわりに:最初の一歩は、小さくてもいい

「枠を超える」というと、清水の舞台から飛び降りるような大決心をイメージするかもしれません。
でも、実際はもっと静かで、ささやかな一歩から始まります。

いつもの通勤ルートを変えてみる。
今まで読まなかったジャンルの本を読んでみる。
苦手だと思っていた人に、自分から挨拶してみる。
「自分らしくない」ことを、あえてやってみる。

その小さな「枠はみ出し」の積み重ねが、やがてあなたの輪郭を溶かし、より大きく、自由な存在へと作り変えていきます。
境界線は、踏み越えるためにあるのです。
さあ、深呼吸をして。
いつもの線の、ほんの少し外側へ。
身体を運んでみませんか。

 



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。