ヨガとは、可能性を閉じ込めるものであるわけはない。心の檻を外し、無限の広がりを取り戻す引き算の智恵

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現代のヨガスタジオやフィットネスクラブに足を運ぶと、どこか窮屈そうな空気が漂っていることに気づく場合があります。

「このポーズはもっと関節をこう使わなければならない」「ヨガをやるなら肉食を避けて健康的な食事にしなければならない」「あの人のように美しいボディラインを作らなければならない」といった、無数のルールが提示されているためです。

ヨガを始めたばかりの人は、こうした形や規律に縛られ、かえって自分を窮屈な箱に閉じ込めてしまっているように観じられます。

これではまるで、自分自身の自由や可能性を狭めるためにヨガを行っているようなものです。

本来、ヨガは自分を縛るものではなく、あらゆる制限から自らを解き放つための手段でした。

それにもかかわらず、多くの実践者がヨガを通じて新たな「心の檻」を自ら作り出している現状は、実にもったいないことだと言わざるを得ません。

ヨガとは可能性を閉じ込めるものであるわけはないのです。

むしろその真逆であり、私たちが無意識に抱え込んでいる限界の壁をドカンと壊し、本来の広大な領域へ帰還するための営みに他なりません。

 

東洋思想の源流。束縛(バンダ)から完全な自由(カイヴァルヤ)へ

では、歴史的な背景から本来のヨガの思想を紐解いてみましょう。

今からおよそ二千年以上前に編纂されたヨガの根本経典『ヨーガ・スートラ』を著したパタンジャリは、ヨガの目的を非常に明確に定義しています。

それが、有名な「チッタ・ヴリッティ・ニローダハ(心の作用の止滅)」という一節です。

これは、私たちの頭の中で絶えず動き回る思考や感情、記憶といった心の波立ちを静める意味を持っています。

東洋思想において、私たちが苦しみを感じ、自らの可能性を狭めてしまう根本原因は、この心が勝手に作り出す幻影に囚われるプロセスに他ならないでしょう。

哲学的には、この囚われの状態を「バンダ(束縛)」と呼びます。

バンダとは、社会的な役割や過去の記憶、他者との比較によって「私はこういう人間だ」「これしかできない」と思い込み、自分自身を狭い牢獄に閉じ込めることです。

そして、ヨガが最終的に目指す境地は「カイヴァルヤ(独存・完全な自由)」、あるいは仏教でいう「モークシャ(解脱・解放)」だと言えます。

カイヴァルヤとは、周囲の環境やエゴの雑音から完全に自立し、自分の純粋な意識そのものとして宇宙と一体になって存在する状態を定義した言葉です。

つまり、ヨガの歴史と思想を素真に学ぶならば、その本質は「可能性を狭めること」ではなく、あらゆる条件付けから自らを「解き放つこと」であると理解できるでしょう。

 

「〜しなければならない」という教条(ドグマ)の罠

しかし、現代のヨガシーンでは、この解放のテクノロジーが逆の目的で消費されてしまうことも少なくありません。

その最大の原因は、先ほども触れた「〜しなければならない」という教条主義、いわゆるドグマの存在です。

美しいウエアを身にまとい、アクロバティックなポーズを難なくこなし、完璧な生活習慣を実践する。

こうした「記号」を消費することが、現代のヨガのトレンドになっていると言えるでしょう。

ヨガインストラクターや熱心なヨギーたちが、知らず知らずのうちに「理想のヨギー像」という新しい檻を自ら作り出し、その中に自分を閉じ込めているように見えてなりません。

これは、精神的な探求や修行そのものを、自らのエゴ(自我)を満足させるためのステータスとして消費してしまう「スピリチュアル・マテリアリズム(精神的物質主義)」という心の病理と言えるでしょう。

「あのポーズができない自分はダメだ」「この生活習慣を守れない自分は劣っている」という自己否定のループは、まさに可能性を閉じ込めている状態そのものです。

形にこだわるヨガは、本来のつながりを分断し、心にさらなる緊張と不自由さをもたらしてしまうでしょう。

 

脳のおしゃべりを静め、ダイレクトな世界へ踏み出す

私たちが自分自身を「可能性の低い存在」だと認識してしまうのは、実は脳の機能的な偏りが原因となっています。

特に現代人は、左脳的なアプローチ、すなわち言語や論理、過去と未来のストーリー(エゴのナラティブ)に依存しがちな状態です。

頭の中で常に「もっと頑張らなければ」「嫌われたらどうしよう」といった自動的な思考のおしゃべりが鳴り響いているのではないでしょうか。

この脳内のおしゃべりこそが、私たちの視野を狭め、可能性を閉じ込める最大のフィルターなのです。

ヨガの本質的なアプローチは、この脳のおしゃべりに気づき、一時的にその活動の音量を下げることにあります。

自動思考の渦から一歩身を引き、「今ここ」にあるダイレクトな身体感覚(プレゼンス)に意識を移行させていくのです。

エゴが作り出すストーリーから意識が解放されると、私たちの脳は一種の静止状態を迎え、右脳的な全体感覚、すなわちすべての存在と繋がっているような深い安らぎへとシフトします。

「私はこうである」という硬い定義を溶かしたとき、私たちは初めて、閉じ込められていた枠の外側にある無限の領域を体感することができるのです。

 

足し算から「引き算」への転換。ミニマリズムとしてのヨガ

現代社会は、私たちに「もっと知識を蓄えなさい」「もっとスキルを身につけなさい」「もっと美しくなりなさい」と常に足し算を要求してきます。

しかし、ヨガの思想が示す方向は、それとは完全に真逆のベクトルを描いているのです。

何かを付け足して自分を完成させるのではなく、すでにそこにある不要なノイズや執着を「引き算」していくことこそが、ヨガのミニマリズム的な智慧だと言えるでしょう。

ポーズの練習においても、身体を限界まで緊張させて無理に形を作る必要はありません。

むしろ、無駄に入っている全身の力みを抜き、重力に身を委ねるように脱力していくプロセスに、ヨガの真の醍醐味が隠されているのです。

「サントーシャ(知足・足るを知る)」という教えが示す通り、私たちは元々、何も付け足さなくても完全に満ち足りた存在です。

その事実を覆い隠している、社会的な鎧や余計なプライドを一枚ずつ脱ぎ捨てていくこと。

この引き算のプロセスを徹底していくことで、心身のエネルギーが不必要に分散されるのを防ぐことができます。

余計なものを削ぎ落としたあとに残る、むき出しのシンプルな自分自身の中にこそ、誰もがまだ見ぬ広大な可能性が眠っているのではないでしょうか。

 

都会で覚醒するためのEngawaYoga流の実践

私たちの主宰するEngawaYogaでは、情報が氾濫する都会の喧騒の中でいかにして意識の静寂を保ち、自らの可能性を解き放つかをテーマに活動しています。

そのための具体的な実践として提案しているのが、身体を徹底的に「ユルユル」に解きほぐすアプローチです。

身体が凝り固まっているとき、私たちの心や脳もまた同様に頑固になり、狭い可能性の中に閉じこもってしまいます。

ヨガの複雑なポーズを完璧に行おうと力むのではなく、ただ骨格を本来の位置に戻し、筋肉の余分な緊張を解放してあげるだけで十分なのです。

身体がほどけると、重力を観じなくなるほどの深い安心感が訪れ、自然と心の檻の鍵が開いていきます。

さらに、私たちがおすすめしている「SIQAN(シカン)瞑想」は、まさに何もしないことを実践する究極の引き算です。

「こうあらねばならない」というコントロール欲求をすべて脇に置き、ただ呼吸の波や空間の広がりに身を委ねて、そこに静かに在り続けます。

このシンプルな時間を積み重ねることで、脳の防衛モードが解除され、普段は隠されている深い知恵やインスピレーション(集合的無意識の領域)とスムーズに繋がることが可能になるでしょう。

 

無限の広がりを思い出す旅

ヨガをすることは、何か新しい特別な自分に生まれ変わる作業ではありません。

私たちは、生きていく過程で知らず知らずのうちに「自分はここまでしかできない」「これが限界だ」という可能性を閉じ込めるルールを自らに課しがちです。

ヨガという伝統的な智恵は、そのルール自体が、心が作り出した一時的な幻想に過ぎないことを優しく教えてくれるのです。

あなたは、ポーズが綺麗にできなくても、お洒落なスムージーを飲まなくても、すでにそのままで完璧な宇宙の一部と言えます。

形骸化されたルールや他者の視線といった外側のノイズをすべて手放し、ご自身の呼吸と心の内側に広がる深遠な宇宙へと静かに意識を向けてみましょう。

心の静寂とともに身体が本来の軽さを取り戻したとき、閉じ込められていた可能性は、静かに、そして力強くあなたの内側から溢れ出してくるはずです。



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。