第11講:「足りない」という呪文を解く – サントーシャ(知足)の智慧

ヨガ外論・歴史

私たちの社会には、まるで空気のように、一つの強力な「呪文」が満ちています。それは、とても静かで、しかし執拗に、私たちの耳元でこう囁き続けます。

「あなたは、まだ足りない」

あなたの収入は、まだ足りない。あなたの美しさは、まだ足りない。あなたの知識も、経験も、持っているモノも、フォロワーの数も、何もかもがまだ不十分である、と。

この呪文は、広告、メディア、SNSといったあらゆる媒体を通して、私たちの潜在意識の奥深くにまで浸透しています。そして、私たちはこの呪文に操られるようにして、永遠に満たされることのない「欠乏感」という名の空腹を抱え、次の商品、次の体験、次の承認を求めて、終わりなき競争へと駆り立てられていくのです。

この巧妙に設計された「欠乏感のシステム」こそが、消費社会を駆動させる根源的なエンジンであることは、私たちが第1部で学んだ通りです。では、この強力な呪文を、私たちはどうすれば解くことができるのでしょうか。そのための最もシンプルで、かつ深遠な解毒剤が、ヨーガ哲学の中心的な教えの一つである「サントーシャ(Santosha)」、すなわち「知足」の智慧です。

サントーシャは、ヨーガの根本経典であるパタンジャリの『ヨーガ・スートラ』において、日常生活で実践すべき八つの段階(八支則)のうち、第二段階の「ニヤマ(Niyama/勧戒)」に含まれる五つの徳目の一つとして挙げられています。「ニヤマ」とは、自分自身の内面に対して行うべき、積極的な実践を意味します。つまり、サントーシャは、単に何かを我慢したり、諦めたりする消極的な態度では断じてありません。それは、今この瞬間に、すでに与えられているものの中に、能動的に喜びと感謝と満足を見出していく、極めて知的で、精神的な営みなのです。

多くの人は、「満足」という感情を、何かを達成したり、手に入れたりした「結果」として生じるものだと考えています。年収が一千万円を超えたら、満足できるだろう。理想のパートナーと結婚できたら、満足できるだろう。しかし、私たちの経験が示すように、一つの目標を達成しても、満足は束の間で、すぐにまた次の、より高い目標が設定され、欠乏感は再び戻ってきます。これは、満足の基準を常に「外側」の条件に置いている限り、決して逃れることのできない罠です。

サントーシャは、この価値観を180度転換させます。満足は、外側の条件によって「与えられる」ものではなく、自らの内側で「育む」ものである、と。それは、結果ではなく、プロセスの在り方そのものなのです。

この智慧を、私たちの身体感覚へと翻訳してみましょう。

第9講で探求したように、私たちの「呼吸」は、サントーシャを体感するための、最も身近でパワフルな入り口です。呼吸をするために、私たちは何も支払う必要はありません。それは、ただ、在る。吸う息が、無償で私たちの身体を満たし、生命を与えてくれる。吐く息が、不要なものを手放し、深い安らぎをもたらしてくれる。この一回一回の呼吸の奇跡に深く意識を向けたとき、「足りない」という思考が入り込む余地はあるでしょうか。むしろ、私たちは「今、ここで、完璧に生かされている」という、揺るぎない充足感に包まれるはずです。

アーサナ(ポーズ)の実践もまた、サントーシャを学ぶための素晴らしい稽古場となります。私たちはつい、隣の人のように深く前屈できない自分や、モデルのように美しいポーズがとれない自分を「足りない」と判断しがちです。しかし、サントーシャの視点に立つならば、重要なのはポーズの完成度ではありません。今、この瞬間の自分の身体が感じている、その微細な感覚そのものが、すでに完璧なギフトなのです。昨日よりもほんの1ミリ伸びたハムストリングの感覚、ぐらつきながらも片足で立とうとしている身体の健気さ、ポーズを解いた後の解放感。その一つひとつに意識を向け、味わい、感謝すること。それが、マットの上で実践するサントーシャです。

この「すでにあるものに目を向ける」という訓練は、マットの外の日常においても、私たちの世界を見るレンズを根底から変容させます。

例えば、一杯のお茶を飲むとき。私たちはつい、スマートフォンを見ながら、あるいは次の仕事のことを考えながら、無意識にそれを飲み干してしまいがちです。しかし、サントーシャの実践として、その一杯のお茶に全ての意識を集中させてみましょう。湯気の香り、カップの温かさ、お茶が舌に触れたときの繊細な味わい、そして喉を通り過ぎて身体が温まっていく感覚。そこには、五感を満たす、驚くほど豊かな世界が広がっています。私たちは、新しい何かを買い足さなくとも、日常のありふれた行為の中に、無限の豊かさを見出すことができるのです。

これは、人間関係においても同様です。私たちは、パートナーや友人に対して、「もっとこうしてくれたらいいのに」という「足りない」部分に焦点を当てがちです。しかし、サントーシャの視点は、彼らが「すでに与えてくれているもの」に目を向けさせます。当たり前のように交わす朝の挨拶、自分のために淹れてくれたコーヒー、ただ黙って話を聞いてくれるその存在。失って初めて気づくような、日常に埋もれた無数のギフトに意識的に気づき、感謝するとき、私たちの関係性は、不満から、温かい充足感へとその質を変えるでしょう。

「足りない」という呪文は、私たちに、常に「ここではないどこか」へと視線を向けさせます。未来の成功、他人の生活、理想の自分。しかし、私たちの生が実際に起こっている場所は、過去でも未来でもなく、「今、ここ」しかありません。

サントーシャとは、「今、ここ」という、自分の生が立脚する唯一の場所に、深く根を下ろすための智慧です。それは、消費社会が仕掛ける壮大な幻術から目を覚まし、自分自身の足元にすでに広がっている、豊かで確かな大地を発見する旅なのです。

呪文は、その正体が見破られたときに、力を失います。「あなたは、まだ足りない」という声が聞こえてきたら、一度立ち止まり、静かに自分の内側へ問いかけてみてください。「本当に?」。そして、自分の呼吸を感じ、身体の温かさを感じ、窓から差し込む光の美しさに目を向けてみてください。

答えは、すでにはっきりと、あなたの内側にあるはずです。

 

 

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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。