アシュタンガヨガとはなんだったのか?

ヨガ外論・歴史

現代のヨガシーンにおいて、最もダイナミックで、同時に最も多くの議論を呼んできた流派、それがアシュタンガヨガです。早朝の薄暗いスタジオに響く激しい呼吸音、流れる汗、そして一糸乱れぬ一連のポーズ。多くの実践者がその圧倒的な運動量と厳格な規律に魅了されてきました。しかし、その輝かしい「光」の裏には、実践者を精神的、肉体的な破滅へと追い込みかねない「闇」が常に潜んでいます。この記事では、東洋思想の歴史的背景や現代の意識変容の視点を交え、アシュタンガヨガの本質とその影の部分について、淡々と、かつ深く考察していきます。

 

アシュタンガヨガの歴史と東洋思想の源流

アシュタンガヨガの根底を理解するには、まずその歴史的・思想的背景を知る必要があります。この流派は、20世紀にティルマライ・クリシュナマチャリア氏が提唱し、その弟子であるパタビジョイス氏によって世界中に広められました。彼らがベースとしたのは、インドの古い聖典であるパタンジャリの「ヨガ・スートラ」です。

ヨガ・スートラにおける「アシュタンガ」とは、サンスクリット語で「8本の足(枝)」を意味します。これは、悟りに至るための8つの段階を指す言葉です。具体的には、社会的道徳(ヤマ)、個人道徳(ニヤマ)、坐法(アーサナ)、呼吸法(プラーナーヤーマ)、感官の制御(プラティヤーハラ)、集中(ダーラナ)、瞑想(ディヤーナ)、そして三昧(サマーディ)を指します。

古代インドの東洋思想、特にウパニシャッド哲学や仏教的なアプローチでは、苦しみから解放されるために「自己の内面を静かに見つめること」が重視されました。本来のヨガとは、動かない心を作るための静的なアプローチだったのです。しかし、現代のアシュタンガヨガは、この8つのプロセスのうち「アーサナ(ポーズ)」と「プラーナーヤーマ(呼吸法)」を極限まで動的に、かつ肉体的に引き上げました。ここに、最初の歪みが生じる原因があります。

 

規律という名の執着がもたらす肉体の闇

アシュタンガヨガの最大の特徴は、マイソールスタイルと呼ばれる自主練習形式と、決められたポーズの順番(シーケンス)を絶対に崩さない厳格さにあります。毎日同じ時間に起きて、同じ順番でポーズを行う。このミニマリズム的な削ぎ落とされたルーティンは、一見すると心を洗練させる素晴らしい手段に見えます。

しかし、この厳格さは容易に「強迫観念」へと変貌します。ポーズを進めること、次のシリーズに昇格すること自体が目的になってしまうのです。東洋思想の本質は「執着を手放すこと」であるはずなのに、実践者は「ポーズへの執着」という新たな罠にハマっていきます。

結果として、多くの実践者が肉体を破壊してきました。関節を痛め、靭帯を伸ばし、時には日常生活に支障が出るほどの怪我を負います。指導者側も「それは浄化のプロセスだ」とか「痛みを通り抜けた先に進化がある」といった言葉で、その無理を正当化しがちです。これは、肉体をいたわる「アヒムサ(非暴力)」というヨガの根本原則に対する明らかな違反に他なりません。

 

カリスマ性と権威主義がもたらす精神の闇

海外の批判的な論考や、近年のヨガ界における告発でも深く扱われているのが、指導者と生徒の間に生まれる歪んだ権力構造です。アシュタンガヨガの世界では、創始者やその一族、そして認定指導者が絶対的な権威を持ちます。生徒は指導者のアジャスト(ポーズの補助)を無批判に受け入れ、その指示に従うことが美徳とされてきました。

この絶対的な上下関係は、マインド(思考)の奴隷状態を生み出します。東洋の神秘主義や現代の意識変容の哲学が教えるのは、「思考から離れ、いま、ここにある身体の感覚に気づくこと」です。頭の中の「もっと上手にやらなければならない」「先生に認められなければならない」というエゴの声を消すためにヨガをしているはずが、皮肉にもそのエゴを肥大化させてしまう構造がそこにはあります。

権威を盲信した結果、実践者は自分の内なる声(直感や身体の危険信号)を無視するようになります。思考が完全にシステムにジャックされ、自己の本質から最も遠い場所に置き去りにされてしまうのです。これが、アシュタンガヨガのコミュニティの内部でささやかれ続けてきた、精神的な闇の正体です。

 

アシュタンガヨガとはなんだったのか

では、アシュタンガヨガという存在は、私たちにとって何だったのでしょうか。それは、現代社会という物質主義、成果主義の歪みを映し出す強力な鏡だったと言えます。資本主義的な「もっと速く、もっと高く、もっと完璧に」というマインドが、精神世界であるはずのヨガに侵入した結果が、あの過酷なプラクティスの大流行でした。

しかし、その激しいシステムを完全に削ぎ落とし、ミニマルな視点で再評価することも可能です。余計な思考を止め、ただ呼吸と身体の動きを連動させる。そこに競争や進歩の概念を持ち込まなければ、それは動く瞑想として機能します。

大切なのは、システムに使われるのではなく、システムを自分の本質へと還るための道具として使いこなすことです。外側のルールや権威に振り回されるのをやめ、ただ静かに「いま」の肉体と呼吸に意識を戻していく。それこそが、東洋思想が数千年前から提示し続けている、本当の調和への道なのです。



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。