そろそろ、「解放したヨガ」をやろう

ENQAN

ヨガを推奨しております。
ですが、今日お伝えしたいのは「もっとヨガを頑張りましょう」という話ではありません。
むしろ、その逆です。
そろそろ、ヨガそのものを「解放」してあげませんか?という提案です。

私たちは今、あまりにも多くの「定義」や「正しさ」で、ヨガをがんじがらめに縛り付けてしまっているように見えます。
ヨガマットの上でさえ、私たちは窮屈そうにしています。
鏡に映る自分のポーズをジャッジし、隣の人と柔軟性を比べ、先生の言う通りにできているかを気に病む。
それは本当に、私たちが求めていた「自由」なのでしょうか?

今日は、現代社会の垢(あか)にまみれてしまったヨガを洗濯し、本来の真っ白な姿に戻すこと。
つまり、「解放したヨガ」について、少し静かにお話ししてみたいと思います。

 

ヨガは「フィットネス」という檻に閉じ込められている

現代社会において、ヨガは「美容」や「健康法」、あるいは「フィットネス」の一種として広く認知されています。
もちろん、入り口はそれで構いません。体が健康になることは素晴らしいことです。
しかし、それだけをヨガの全てだと思ってしまうのは、あまりにも勿体無いことです。

商業化されたヨガは、私たちにこう囁きます。
「痩せて美しくなるために」「ストレスを解消して生産性を上げるために」「アンチエイジングのために」
これらはすべて、資本主義的な価値観です。
「今のままでは不十分だから、もっと良くなりなさい」という、終わりのない自己改善のレースに、ヨガが利用されているのです。
ポーズの美しさや難易度を競うようになった時点で、それはもうヨガではなく、ただの体操(ジムナスティック)です。

本来のヨガは、何かを足して自分を飾り立てるものではありません。
むしろ、自分を縛り付けている鎖を解き放つための技術です。
「解放(モークシャ)」こそが、ヨガの最終目的なのですから。

 

「正しさ」からの解放

「解放したヨガ」の第一歩は、「正しさ」を手放すことです。
「膝の角度は90度」「骨盤は正面」「呼吸は4カウントで」
解剖学的な安全性はもちろん大切ですが、形にこだわりすぎて、自分の内側の感覚を無視していませんか?

ヨガとは「結ぶ」という意味ですが、それは「教科書通りの形」と自分を結ぶことではありません。
「今、ここにある自分の身体感覚」と、意識を結ぶことです。
もし、教科書とは違っても、あなたの身体が「こっちの方が気持ちいい」と言っているなら、その声に従ってみてください。
先生の指示よりも、自分の内なる先生(グル)の声に耳を傾けること。
それが、権威や正解への依存から、自分自身を解放することに繋がります。

 

「見られる自分」からの解放

SNSを開けば、美しい背景で完璧なアーサナ(ポーズ)をとる写真が溢れています。
それを見て「私もあんなふうにならなきゃ」と焦ったり、「自分は身体が硬いから恥ずかしい」と落ち込んだりする。
これは「ルッキズム(外見至上主義)」の呪いです。
ヨガが、承認欲求を満たすためのツールになってしまっています。

そろそろ、鏡を見るのをやめてみませんか?
自撮りをするのをやめてみませんか?
「見られる対象」としての身体から、「感じる主体」としての身体へ。
目を閉じて、ただ内側に広がる宇宙を観る。
そこに、他人の評価は入り込めません。
誰にも見せない、誰からも評価されない、あなただけの聖域を取り戻すのです。

 

「目的」からの解放

現代人はあまりにも忙しく、すべての行動に「意味」や「目的」を求めすぎます。
「このポーズは何に効くんですか?」「瞑想するとどんなメリットがありますか?」
損得勘定でヨガをするのは、もう終わりにしましょう。

「解放したヨガ」には、目的がありません。
強いて言えば、「ただ、そこに在ることを味わう」ことが目的です。
川が流れるのに理由がないように、風が吹くのに目的がないように。
私たちもただ、呼吸し、動き、静止する。
「何かのために」という重荷を下ろしたとき、逆説的ですが、生命は最も生き生きと輝き始めます。
無目的であることの、なんと贅沢なことでしょう。
それは、生産性という名の現代の病からの、完全なる解放です。

 

カオス(混沌)を受け入れる

整列され、管理され、予測可能なヨガクラス。それは安心かもしれません。
でも、人生は本来もっとカオス(混沌)としていて、予測不可能なものです。
「解放したヨガ」は、そのカオスさえも愛します。
バランスを崩してグラグラしてもいい。
途中で眠くなって寝てしまってもいい。
感情が溢れて泣いてしまってもいい。
「こうあるべき」という秩序を手放し、湧き上がってくる生のエネルギーに身を委ねる。
コントロールしようとするエゴの手を離したとき、私たちは大いなる流れ(タオ)の一部になります。

 

終わりに:野生への回帰

私たちが提案したいのは、野生への回帰です。
本来のヨガ行者は、森の中で、誰に見せるわけでもなく、ただ宇宙と一体化するために修行していました。
そこには、ブランドもののウェアも、高価なマットも、認定資格もありませんでした。
ただ、裸の命があっただけです。

そろそろ、私たちも余計なものを脱ぎ捨てて、シンプルになりませんか?
古民家の縁側で、風を感じながら、ただ気持ちよく伸びをする。
それだけで、もう十分すぎるほど「ヨガ」なのです。

難しい哲学も、複雑なシークエンスも、一旦忘れてしまいましょう。
ただ、吸って、吐いて。
今の自分を、まるごと許し、解放してあげる。
そんな自由な時間を、一緒に過ごしてみませんか。

ではまた。



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。