ヨガの実践を推奨しております。
それはヨガが、身体を柔らかくするためだけのものではなく、人生という捉えどころのない流れにおいて、私たちがどのように舵を取ればよいのか(あるいは舵を手放せばよいのか)を教えてくれる、極めて実践的な航海術だからです。
スタジオには、人生の流れを変えたいと願う多くの方が訪れます。
「最近、悪いことばかり続くので、ヨガで好循環を作りたいんです」
「どうすれば、ポジティブなスパイラルに入れますか?」
その切実な願いは、痛いほどよく分かります。誰だって、苦しみ(ドゥッカ)の渦中よりは、喜び(スカ)の循環の中にいたいと願うものです。
しかし、ここで私は少し意地悪に聞こえるかもしれない、ヨガ的な逆説をお伝えすることになります。
「好循環を作ろうとすればするほど、好循環は遠のきますよ」と。
「流れをコントロールしようとする手を離した時に初めて、好循環は勝手に起こり始めますよ」と。
今日は、この一見矛盾しているように思える「好循環のパラドックス」について、紐解いてみたいと思います。
もくじ.
現代社会の病:「コントロールできる」という傲慢な幻想
私たちは、あらゆるものをコントロールできると信じている社会に生きています。
スイッチを押せば明かりがつき、アプリを操作すれば食事が届き、努力すれば結果が出ると教え込まれてきました。
資本主義社会は「投入(インプット)」に対して、確実な「産出(アウトプット)」を求めます。
この工場のような直線的な思考モデルを、私たちは自分の人生や運命にまで当てはめようとしてしまいます。
「これだけヨガをしたのだから、健康になるべきだ」
「これだけ瞑想したのだから、心が穏やかになるはずだ」
「これだけポジティブに考えたのだから、良いことが起こるに違いない」
しかし、自然界を見てください。
風の流れ、雲の動き、木々の成長。そこに直線的なコントロールは存在しません。あるのは、複雑でカオスな、しかし調和の取れた「循環」だけです。
人生もまた、自然現象の一部です。
それなのに、私たちは自分のエゴ(自我)の力で、川の流れを逆流させたり、スピードを速めたりできると勘違いしています。
「好循環を作りたい」という思いの裏には、「今の状況は間違っている」「私の力でなんとか矯正しなければならない」という、現状への強い否定と、エゴによるコントロール欲求が潜んでいます。
ヨガの視点から見れば、この「作為(わたしが、なんとかする)」という力みこそが、エネルギーの流れをせき止めている最大の障害物なのです。
エネルギーの法則:「欲しい」は「ない」を強化する
少しスピリチュアルな、エネルギー(波動)の話をしましょう。
「引き寄せ」などの文脈でも語られることですが、宇宙は私たちの「言葉」ではなく「状態(バイブレーション)」に反応します。
あなたが「好循環になりたい!」と強く願っているとき、あなたの内側はどのような状態でしょうか?
「今は悪循環である」「今のままでは不足している」という欠乏感を、強烈に発信している状態ではないでしょうか。
「好循環を作らなきゃ」と焦ることは、宇宙に向かって「私は今、不遇です!」と大声で宣言し続けているのと同じことです。
結果として、その「不足のエネルギー」が、さらなる「不足の現実」を引き寄せてしまう。これが、頑張っているのに報われない人が陥る典型的なパターンです。
トランサーフィンという現代の概念では、これを「過剰ポテンシャル」と呼びます。
ある物事に過剰な重要性を与え、「絶対にこうならなければならない」と執着すると、平衡化力(バランスを取ろうとする力)が働き、逆にそれを遠ざけるような障害が発生するという理論です。
「絶対に好循環を作るぞ!」という鼻息の荒さは、皮肉にも好循環を弾き飛ばす風圧となってしまうのです。
ヨガの教え:行為の結果を手放す(カルマ・ヨガ)
では、どうすればよいのでしょうか?
ここで、ヨガの聖典『バガヴァッド・ギータ』の教えが重要な指針を与えてくれます。
その中で、クリシュナ神は迷える戦士アルジュナにこう説きます。
「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してもいけない」
これは「カルマ・ヨガ(行為のヨガ)」の真髄です。
私たちは「結果(報酬、称賛、好循環)」のために行動してしまいがちです。
しかし、結果というものは、天候や他人の感情、タイミングなど、無数の要因が絡み合って決まるものであり、個人のコントロールの及ぶ範囲ではありません。
自分の領域ではないものをコントロールしようとすれば、当然、苦しみが生まれます。
ヨガが提案するのは、「結果への期待(下心)」を完全に手放し、ただ目の前の「行為」そのものに没頭することです。
好循環になるかどうかは、宇宙(神)にお任せする。
自分はただ、今ここにある呼吸、今ここにある仕事、今目の前にいる人に対して、誠心誠意向き合うだけ。
「好循環を作ろう」とするのではなく、結果を気にせず、淡々と、丁寧に、今日やるべきことをやる。
逆説的ですが、この「結果への無関心(ヴァイラーギャ)」の状態にあるとき、私たちのエネルギーは最も純度が高くなり、結果として最良の循環が生まれ始めるのです。
マットの上での練習:完成形を求めない
この哲学は、ヨガマットの上で具体的に練習することができます。
アーサナ(ポーズ)をとるとき、多くの人は「もっと深く曲げたい」「もっと綺麗にポーズをとりたい」と、完成形(結果)を求めます。
すると呼吸は浅くなり、身体は緊張し、怪我のリスクが高まります。これは「悪循環」のひな形です。
一方、熟練したヨギは、ポーズの完成形を求めません。
ただ、今の自分の身体の状態を観察し、呼吸が心地よく巡る場所を探し、そのプロセスそのものを味わいます。
「硬くてもいい」「できなくてもいい」。
そうやって結果を手放したとき、不思議なことに身体の緊張が解け、自分が思っていた以上に深くポーズに入れていることに気づくのです。
意図しないところで、限界を超えていく。
これが「好循環」の体感です。
マットの上で起こることは、人生でも起こります。
「幸せになろう」と力むのをやめて、「今の自分」をただ味わうこと。
不足を埋めようとするのではなく、今あるものに寛ぐこと。
そのリラックスした波動が、次の良きものを自然と呼び込んでくるのです。
スピリチュアルなアドバイス:イシュワラ・プラニダーナ(委ねる勇気)
ヨガの八支則の最後に「イシュワラ・プラニダーナ」という教えがあります。
これは「自在神への祈念」、現代的に言えば「大いなる流れ(サムシング・グレート)に全託する」ということです。
私たちは、自分の小さな頭(エゴ)で考えた「好循環のシナリオ」にしがみついています。
「年収があがって、恋人ができて、健康になって…」
しかし、あなたの魂が本当に求めている「好循環」は、エゴが想像するシナリオとは全く違う形をしているかもしれません。
一見、トラブルや停滞に見える出来事が、実は大きな飛躍のための助走期間であることは往々にしてあります。
自分でなんとかしようと、オールを必死に漕ぐのをやめてみましょう。
オールを置いて、仰向けになって、川の流れに身を任せてみる。
「どうにでもなれ」という投げやりな態度ではなく、「どうなっても大丈夫だ」という深い信頼を持って。
宇宙は、あなたを苦しめようとはしていません。
あなたが抵抗さえしなければ、生命は自然と「調和」の方向へと流れていくように設計されています。
好循環とは、自分で「作る(Make)」ものではなく、抵抗をやめた時に「起こる(Happen)」ものなのです。
結論:循環の中に、すでにあなたはいる
「好循環を作ろうとしないこと」
それは、人生に対する諦めではありません。
むしろ、自分の小さなエゴの限界を認め、もっと大きな力と協働するための、最も積極的な戦略です。
好循環を作り出そうと必死になっている時、あなたは「循環の外」に立って、歯車を無理やり回そうとしている人のようです。
そうではなく、力を抜き、呼吸を整え、目の前の瞬間に愛を注ぐこと。
そうすれば、気づいた時には、あなたはすでに大きな循環の「中」にいます。
歯車を回す人から、歯車そのものになる。
あるいは、風そのものになる。
そんな軽やかさで生きていく時、人生はあなたの想像を超えた景色を、次々と見せてくれるはずです。
焦らなくて大丈夫です。
まずは一度、大きく息を吐いて、その重たい「こうあるべき」という荷物を、床に下ろしてみませんか。
ではまた。




