結果を出せないと、自分には価値がない。
成果を上げなければ、ここにいてはいけない。
そんな風に、自分自身を追い詰めてしまうことはありませんか?
現代社会は、常に私たちに「結果」を求めてきます。
学校のテストの点数、会社の売上目標、SNSの「いいね」の数、あるいはヨガのポーズの完成度まで。
数値化できる成果、目に見える実績だけが、私たちの存在価値を測る物差しであるかのように。
しかし、今日は少し立ち止まって考えてみたいのです。
私たちは、本当に「何者か」にならなければ、生きていてはいけないのでしょうか。
「結果」という条件付きの愛ではなく、ただ「在る」ことへの無条件の許可について、ヨガの視点から静かにお話ししてみたいと思います。
もくじ.
「Doing(すること)」と「Being(あること)」のバランス
私たちは幼い頃から、「Doing(何かをすること)」を評価されて育ってきました。
「お片付けができて偉いね」「テストで100点取って凄いね」。
そうした言葉は、裏を返せば「できなければ凄くない」「成果を出さなければ認められない」というメッセージとして、心の奥底に刻み込まれていきます。
これが、大人になっても消えない「焦燥感」の正体です。
もちろん、社会生活を営む上で、成果を出すことや努力することは大切です。
しかし、それが行き過ぎると、私たちは自分の存在価値を「生産性」とイコールで結んでしまいます。
「働かざる者食うべからず」という言葉がありますが、これを自分自身に向けすぎると、病気になった時や老いた時、あるいは思うように結果が出ない時に、生きる意味さえ見失ってしまいます。
ヨガが教えてくれるのは、「Being(ただ在ること)」の尊さです。
マットの上で、シャヴァーサナ(屍のポーズ)をしている時、あなたは何を生産していますか?
何も生産していません。
ただ、呼吸し、そこに横たわっているだけです。
しかし、その時間は無駄でしょうか?
いいえ、それこそが最も豊かで、生命が回復する時間であるはずです。
ヨガは、「何もしない私」「何の役にも立たない私」であっても、そこに存在していいのだという、絶対的な許可を自分に出す練習なのです。
結果はコントロールできない(カルマ・ヨガの教え)
インドの聖典『バガヴァッド・ギータ』には、現代人の苦しみを解く鍵となる重要な教えが記されています。
それは「行為の結果を放棄せよ(カルマ・ヨガ)」という教えです。
私たちは、「頑張れば結果が出る」と信じています。
しかし、現実はそう単純ではありません。
どれだけ努力しても、タイミングや環境、他者の都合など、自分のコントロールできない要因によって、結果が出ないことは往々にしてあります。
それなのに、結果だけに執着していると、思い通りにならなかった時に激しい苦しみ(挫折感、自己否定)が生まれます。
ヨガではこう考えます。
「行為(努力)そのものには権利があるが、その結果には権利がない」
つまり、種を蒔き、水をやるまでは私たちの仕事ですが、花がいつ咲くか、あるいは咲かないか、それは自然(神、宇宙)の領域だということです。
「人事を尽くして天命を待つ」と言い換えてもいいでしょう。
結果が出るかどうかは、あなたの価値とは関係ありません。
あなたが誠実に、そのプロセス(過程)を生きたかどうか。
その瞬間の輝きこそが重要なのであって、結果はあくまで「おまけ」のようなものです。
そう思えたとき、肩の力が抜け、皮肉にもパフォーマンスが上がったりするものです。
魂の視点:この世は「経験」するための場所
少しスピリチュアルな視点からもお話ししましょう。
もし、私たちが魂の存在だとしたら、なぜ肉体を持ってこの地球に生まれてきたのでしょうか。
それは「成功するため」でしょうか?「お金持ちになるため」でしょうか?
多くの神秘思想では、魂の目的は「経験すること」そのものだと言われています。
成功も経験ですが、失敗もまた、魂にとっては貴重な経験です。
挫折の痛み、孤独の静けさ、思い通りにならないもどかしさ。
それら全ての感情を味わうこと自体が、魂の成長であり、喜びなのです。
宇宙の視点から見れば、「結果が出ないこと」は「悪いこと」ではありません。
それは「今は待つ時期」という経験であり、「別の道がある」というサインかもしれません。
あるいは、結果が出ない状況の中で、いかに自分を信じ続けられるかという、魂のテストなのかもしれません。
「ここにいてはいけない」なんてことは、宇宙にはあり得ません。
あなたは、必要があってここに存在しています。
ただ息をしているだけで、二酸化炭素を植物に提供し、世界の一部として機能しています。
あなたの存在は、何かを成し遂げる前から、すでに宇宙に祝福されているのです。
現代社会の「椅子取りゲーム」から降りる
現代社会は、限られた「椅子の数(成功のポスト)」を争うゲームのようなものです。
競争があり、勝者がいて、敗者がいる。
そのゲームに参加している限り、「座れない=敗北=無価値」という恐怖からは逃れられません。
しかし、ヨガはそのゲームの外側にある世界を示しています。
そこは、全員分の椅子が最初から用意されている世界です。
いや、椅子などなくても、大地に座ればいいと知っている世界です。
誰かと比べる必要はありません。
誰かの期待に応えるために、自分をすり減らす必要もありません。
あなたがあなたのままで、心地よく呼吸できる場所。
それが、あなたにとっての「聖域」です。
終わりに:あなたは、そのままで完全です
もし今、「結果が出なくて辛い」と感じているなら、一度全ての努力を手放して、ただ深呼吸してみてください。
そして、自分自身にこう声をかけてあげてください。
「結果が出なくても、私はここにいていい」
「私は、私のままで素晴らしい」
それは甘えではありません。
自分という存在の根源に対する、深い肯定です。
その肯定感(自己受容)という土台があって初めて、私たちはまた明日から、健やかに歩き出すことができるのです。
焦らなくて大丈夫です。
花は、咲くべき時に、必ず咲きます。
それまでは、根っこを伸ばす暗闇の時間(冬の時期)を、静かに味わっていきましょう。
ではまた。


