ヨガを推奨しております。
それは、ヨガがポーズをとることだけではなく、生き方そのものを「シンプル」にしていく技術だからです。
ふと部屋を見渡したとき、「なんでこんなに買ってしまったんだろう?」と呆然とすることはありませんか。
クローゼットの奥で眠る服、一度しか使わなかった健康器具、いつか読むつもりで積まれた本。
それらは単なる「モノ」ではありません。
過去のあなたの「執着」や「迷い」、そして現代社会が植え付けた「欠乏感」が具現化したものです。
今日は、この「なんでこんなに買ってしまったのか問題」について、ヨガ哲学と、少し過激なエクストリーム・ミニマリストの視点を交えながら、深く掘り下げてみたいと思います。
もくじ.
1. 「使わないモノ」は、家にいてはいけないモノ
結論から申し上げますと、やっぱり使わないモノは、家にはいらないモノです。
非常にシンプルな真理ですが、私たちはこの事実から目を背けがちです。
「いつか使うかもしれない」
「高かったから」
「誰かにもらったから」
これらはすべて、エゴ(自我)が作り出した言い訳です。
使っていないのですから、今のあなたには必要のないものです。
もっと厳しい言い方をすれば、それらは「間違えてあなたの家に来てしまった迷子」のような存在です。
ヨガには「ダルマ(法・役割)」という考え方があります。
人もモノも、それぞれの役割を果たしている時が最も美しく、エネルギーに満ちています。
お皿のダルマは、料理を載せることです。
服のダルマは、身体を包み守ることです。
棚の奥で埃を被っているお皿は、お皿としての役割を果たしていません。
それは「お皿」ではなく、単なる「陶器の塊」であり、空間を圧迫するノイズです。
機能していないモノを家に留め置くことは、そのモノの命を殺しているのと同じことなのです。
間違えて来てしまったのなら、そのご縁には感謝をしつつ、然るべき場所へと流してあげること。
「手放す(ヴァイラーギヤ)」ことこそが、モノに対する最大の敬意であり、慈悲なのです。
2. なぜ私たちは、こんなに買ってしまうのか?
では、なぜ私たちは必要のないモノをこうも買い込んでしまうのでしょうか。
それは、現代資本主義社会の構造と、私たちの心の「穴」に関係しています。
現代社会は、「今のままのあなたでは足りない」と囁き続けます。
「この商品を買えば幸せになれる」「これを持っていれば安心だ」というメッセージが、24時間絶え間なく降り注いでいます。
私たちは、モノを買うことで、未来への不安や、現在の自分への不満を埋めようとしているのです。
「これを買えば、理想の自分になれるかもしれない」
そうやって買った健康器具や語学教材が埃をかぶっているのは、私たちが「モノ」ではなく、「理想の未来像」を買っていたからです。
しかし、現実はモノを買っただけでは変わりません。
そのギャップが、「なんでこんなに買ってしまったのか」という後悔となって現れるのです。
ヨガ哲学では、私たちの本質はすでに「満ちている(プールナ)」と考えます。
外から何かを足さなくても、本来は完全なのです。
買い物で心の穴を埋めることはできません。
むしろ、モノが増えれば増えるほど、その管理にエネルギー(プラーナ)を奪われ、心の穴は広がっていくばかりです。
3. 見えないモノは「無いモノ」。全てを白日の下に晒す
では、どうすればこの状況から抜け出せるのでしょうか。
片付けの基本にして奥義は、「全部出す」ことです。
こんまり先生も仰る通り、一箇所に集めて「見る」ことが不可欠です。
収納の中に隠れているモノは、あなたの意識上では「無いモノ」になっています。
無いモノを捨てることはできません。
だから、引きずり出して、光を当てて、その「量」に圧倒される必要があります。
床一面に広げられたモノたちの山を見たとき、私たちは初めて自分の「業(カルマ)」と対面します。
「こんなに無駄遣いをしていたのか」
「同じような服ばかり買っている」
その居心地の悪さ、罪悪感をしっかりと味わってください。
その痛みこそが、次の「買わない」という選択へと繋がるワクチンになります。
そして、並べたモノと一つひとつ対話し、関係性を完了させていくのです。
売るのもいいでしょう。あげるのもいいでしょう。
現代はメルカリや買取サービスなど、循環させる仕組みが整っています。
大切なのは、あなたの家という「聖域」から、滞ったエネルギーを追い出すことです。
4. 引越しは最強の「運気アップ」儀式
さらに一歩進んで、人生を劇的に変えたいのであれば、「引越し」をおすすめします。
引越しは、強制的な断捨離であり、エネルギーの総入れ替えです。
モノを減らし、部屋の空間(スペース)が広がると、そこには新鮮な「気」が流れ込みます。
ヨガで呼吸を通すのと同じように、住環境にも呼吸を通すのです。
エネルギーが高い空間に身を置くと、思考がクリアになり、行動力が湧いてきます。
「やりたいこと」が明確になり、それに同調するように運の良い出来事(シンクロニシティ)が起こり始めます。
運気とは、文字通り「気を運ぶ」こと。
モノで埋め尽くされた部屋では、運は入ってくる隙間がありません。
厳選されたモノだけに囲まれた、風通しの良い部屋を作ること。
それが、自分自身のエネルギーレベルを上げるための土台(アーサナ)となるのです。
5. 目指せスナフキン。エクストリーム・ミニマリストへの道
私自身、まだ道半ばではありますが、チャレンジしていることがあります。
それは「収納をスカスカにすること」です。
ノマド生活ができるくらい身軽にはなりましたが、それでもまだ「定住」の意識がモノを繋ぎ止めています。
目指すべき境地は、ムーミン谷のスナフキンです。
彼は必要最小限の荷物だけで旅をし、「モノを持つと、思い出が重くなる」と言い放ちます。
(本当にそこまでいけるかは別として、その心意気です)
収納があるから、モノを入れたくなるのです。
究極的には、収納家具さえも手放し、バックパック一つで生きていけるくらいの軽やかさ。
「明日、地球の裏側へ行ってください」と言われたら、「はい、喜んで」と即座に出発できる状態。
この「圧倒的な身軽さ」こそが、不確実な現代社会を生き抜くための最強の武器になるのではないでしょうか。
終わりに:空っぽの豊かさを知る
「使わないモノ」を手放した後に残るのは、空虚さではありません。
そこには「自由」という広大な空間が広がっています。
アートは飾ってこそアートです。
備蓄品は、命を守るという機能があるからこそ存在意義があります。
それ以外の、ただ不安を埋めるためだけに在るモノたちとは、さよならをしましょう。
なんでこんなに買ってしまったのか。
その問いの答えは、「自分を知らなかったから」です。
モノを減らす過程は、自分自身を知り、本来の自分へと還っていく旅でもあります。
家の中の荷物を下ろすことは、心の荷物を下ろすこと。
どうか、あなたの住まいが、モノの倉庫ではなく、あなた自身が深呼吸できる「縁側」のような場所でありますように。
ではまた。


