ヨガや瞑想を推奨しております。
それは、私たちが無意識に握りしめている「コントロール」という名のハンドルを、そっと手放すための練習だからです。
「宇宙を信頼する」
この言葉を聞くと、少し怪しげな、あるいは現実離れしたスピリチュアルな響きを感じる方もいらっしゃるかもしれません。
「宇宙にオーダーすれば願いが叶う」といった、一種の魔法のようなものとして捉えられることもあります。
しかし、ヨガ哲学の視座から見れば、これは極めて実践的で、かつリアリスティックな「生きる技術」の話になります。
宇宙を信頼するとは、盲目的に奇跡を待つことではありません。
それは、自分という小さな自我(エゴ)の計算を超えた、もっと大きな「流れ」や「摂理」が存在することを認め、そこにリラックスして身を委ねるという、高度な精神的態度なのです。
今日は、私たちが陥りがちな「自力でなんとかしなければならない」という苦しみから抜け出し、大いなる流れに乗るための智慧について、少し深く潜ってお話ししたいと思います。
もくじ.
なぜ、私たちはこれほどまでに不安なのか
現代社会を生きる私たちは、常に何かに追われています。
将来への不安、お金の心配、人間関係のトラブル、健康上の懸念。
これらを解決するために、私たちは必死で計画を立て、努力し、状況をコントロールしようとします。
「私が頑張らなければ、人生はダメになる」
「私が舵取りを間違えれば、崖から落ちてしまう」
そう信じて、ハンドルのグリップが白くなるほど強く握りしめています。
しかし、正直に自分に問いかけてみてください。
そのようにして必死にコントロールしようとすればするほど、状況は複雑になり、心は疲弊し、なぜか裏目に出ることが多くはないでしょうか。
ヨガではこれを「苦(ドゥッカ)」の根本原因の一つと考えます。
自分ひとりの力で、世界という巨大なシステムのすべてを統御できるという思い込み。これが、私たちを苦しめる最大の幻想なのです。
「宇宙」という言葉の定義について
ここでいう「宇宙」とは、夜空に広がる星々のことだけを指すのではありません。
それは、私たちを生かし、世界を動かしている「根源的なシステムそのもの」を指します。
古代インドのヨガではこれを「イシュワラ(神、自在神)」と呼び、タオイズム(老荘思想)では「道(タオ)」と呼びました。
現代的な言葉で言えば、「大いなる自然の摂理」や「サムシング・グレート」、あるいは量子物理学的な「ゼロ・ポイント・フィールド」と言い換えてもいいかもしれません。
名前は何でも良いのです。
重要なのは、私たちの小さな頭脳(マインド)が計算できる範囲を遥かに超えた、精緻で壮大な「全体性のつながり」が存在するということです。
あなたの心臓を動かしている力、季節を巡らせる力、偶然の出会いをもたらす力。
それらすべてを含んだ総体を、便宜上ここでは「宇宙」と呼ぶことにします。
イシュワラ・プラニダーナ:降伏することの強さ
ヨガの聖典『ヨガ・スートラ』には、「イシュワラ・プラニダーナ(神への祈念、降伏)」という教えがあります。
これは、「人事を尽くして天命を待つ」という姿勢をさらに深めたものです。
自分の行為の結果や、未来の行方を、すべて大いなる存在に「明け渡す」ということです。
「明け渡す」というと、負けたような、無責任な響きに聞こえるかもしれません。
しかし、これは逆です。
自分のエゴ(自我)が作り出す「こうあるべきだ」「こうならなければならない」という執着(過剰ポテンシャル)を手放し、今目の前にやってくる現実に、全身全霊で「イエス」と言うこと。
これは、非常に勇気のいる能動的な行為です。
川の流れに例えてみましょう。
私たちは多くの場合、川の流れに逆らって必死に泳いでいます。あるいは、川岸の岩にしがみついて、「流されたくない!」と抵抗しています。これが不安の正体です。
宇宙を信頼するとは、その岩から手を離し、仰向けになって浮かび、川の流れそのものになって運ばれていくことです。
力を抜けば、沈むことはありません。水(宇宙)は、あなたを支える浮力を持っているからです。
「トランサーフィンの法則」と重要性の放棄
現代的な現実創造の理論に「トランサーフィン」という考え方があります。
この理論によれば、私たちが「絶対にこれを叶えたい」「失敗したら終わりだ」と物事に過剰な重要性を与えれば与えるほど、宇宙(バリアントの空間)はバランスを取ろうとして、逆にそれを遠ざけるような力が働くといいます。
「お金がどうしても欲しい」と渇望する人は、「お金がない」という現実を強く宇宙に発信しているのと同じです。
このパラドックスから抜ける唯一の方法が、「信頼」です。
「まあ、なんとかなるだろう」「必要なものは、必要なタイミングでやってくる」
そのように肩の力が抜け、重要性を引き下げたとき、ふと予想もしない方向から助け舟が現れたり、物事がスムーズに展開し始めたりします。
宇宙は、力んでいる人には厳しく、リラックスしている人には優しいのです。
これはオカルトではなく、エネルギーの法則です。
緊張は流れをせき止め、弛緩(リラックス)は流れを通すからです。
直感というナビゲーションシステム
宇宙を信頼し始めると、私たちは「思考」ではなく「直感」を行動の指針にするようになります。
思考は過去のデータに基づいた計算に過ぎませんが、直感は未来からの微かなサインであり、魂と宇宙が共鳴した瞬間に生まれるものです。
「なんとなく、こっちの道に行ってみようかな」
「理由はわからないけど、あの人に連絡してみよう」
そういった、根拠のない、しかし静かで確かな感覚。
それを信頼して行動してみることです。
エゴは叫ぶでしょう。「そんな馬鹿な! 損をするぞ! 計画通りにやれ!」と。
しかし、そのエゴの声(脳内のおしゃべり)を静かに観察し、脇に置いて、直感に従ってみる。
すると、不思議なシンクロニシティ(意味のある偶然の一致)が起こり始めます。
会うべき人に会い、必要な情報が手に入り、閉ざされていたはずの扉が勝手に開いていく。
その時、私たちは知るのです。
「ああ、私はひとりで頑張っていたわけではなかったのだ」と。
「ずっと、大きな力に運ばれていたのだ」と。
信頼するための具体的な練習
では、どうすればその「信頼」の感覚を養えるのでしょうか。
いきなり人生のすべてを委ねるのは怖いかもしれません。
まずは、マットの上、あるいは縁側での小さな実践から始めてみましょう。
一つ目は、「呼吸を信頼する」ことです。
私たちは普段、意識して呼吸をしていません。寝ている間も、悩んでいる間も、身体は勝手に呼吸をしてくれています。
誰がさせてくれているのでしょうか? それこそが生命の力、宇宙の力です。
瞑想中、コントロールしようとするのをやめ、ただ「吸わされている」「吐かされている」感覚に浸ってみてください。
次の息が必ず入ってくることを疑わないように、明日の自分もまた生かされることを信頼するのです。
二つ目は、「良い・悪い」の判断を保留することです。
一見、不運に見える出来事が起きたとき、「最悪だ」と決めつけないこと。
「これが将来、どのような伏線になるかは、今の私にはわからない」と、判断を宙吊りにします。
人間万事塞翁が馬、という言葉がある通り、宇宙のシナリオは私たちの想像を超えた展開を用意しています。
目の前のカオスを、信頼して見守るのです。
三つ目は、「身体の緊張を解く」ことです。
心の不信感は、必ず身体の緊張(コリ)として現れます。
肩が上がっている、奥歯を噛み締めている、眉間にシワが寄っている。
それは「私が世界と戦わなければ」という戦闘態勢です。
ヨガのアーサナや、ただ座ることを通して、身体を徹底的に緩めていく。
身体が緩むと、心は勝手に「まあいいか」「なるようになるさ」というモードに切り替わります。
リラックスとは、宇宙に対する信頼の身体的表現なのです。
終わりに:あなたは守られている
宇宙を信頼する生き方とは、決して受動的で怠惰な生き方ではありません。
それは、自分の持ち場で最大限のことをしつつ(カルマ・ヨガ)、結果に対しては執着せず、どんな結果も受け入れるという、最も強靭でしなやかな生き方です。
想像してみてください。
あなたは、決して墜落することのない飛行機に乗っています。
それなのに、客席で必死になって「落ちないように!」と力み、エア・ハンドルを握りしめているとしたら、それはなんと滑稽で、疲れることでしょうか。
その手を離し、リクライニングシートに身を預け、窓の外の景色を楽しんでもいいのです。
重力があなたを地球に繋ぎ止めているように、宇宙の愛と調和の力は、常にあなたをホールドしています。
不足は存在しません。
ただ、私たちがエゴというサングラスで、豊かさを見えなくしているだけです。
恐れを手放し、未知なるものへ飛び込んでみましょう。
パラシュートが開くことを信じて。
いえ、そもそも落ちているのではなく、飛んでいるのだと気づくために。
静寂の中で、その大きな安心感に触れる時間。
それが、私たちが提供したいヨガの時間です。
いつでも、この縁側でお待ちしております。
ではまた。



