ヨガを推奨しております。
それは、ヨガが単なるマットの上の運動ではなく、人生そのものを「楽」にするための壮大な智慧の体系だからです。
ヨガを始めようとする方から、よくこのような質問をいただきます。
「ヨガをするなら、お肉やお酒はやめないといけませんか?」
「朝4時に起きないといけないのでしょうか?」
「ストイックな生活をしないと、本当のヨガではないのでしょうか?」
結論から申し上げますと、ヨガに「強制」はありません。
誰かに言われて無理やり何かを制限することは、ヨガの本質から最も遠い行為だからです。
しかし、ヨガの実践を深めていくと、結果として食事や生活が変わっていくことは大いにあり得ます。
それは「我慢」ではなく、自然な「選択」の変化です。
今日は、ヨガにおける食事や生活の「決まりごと」について、現代社会が抱える問題やスピリチュアルな観点も交えながら、その本来の意味を紐解いていきたいと思います。
もくじ.
「制限」ではなく「調和」を目指す
まず、前提として理解していただきたいのは、ヨガの目的は「心身の静寂」と「調和」にあるということです。
古代のヨギ(行者)たちが食事や生活のルールを定めたのは、道徳的に立派な人間になるためではありません。
瞑想を深め、宇宙意識(あるいは真我)とつながるために、身体という「器」を最高のコンディションに保つ必要があったからです。
現代の私たちは、「痩せるため」や「健康のため」に食事制限をしますが、本来のヨガでは「エネルギー(プラーナ)の流れを阻害しないため」に食事を選びます。
食べたものが、消化に多くのエネルギーを使わせたり、心をざわつかせたりするならば、それは瞑想の妨げになります。
つまり、ルールがあるから守るのではなく、「快適でいたいから、そうする」という能動的な選択なのです。
食事について:サットヴァ(純質)なものをいただく
ヨガの哲学には「グナ(質)」という考え方があります。
この世のあらゆる物質や食物は、以下の3つの性質のバランスで成り立っていると考えます。
サットヴァ(純質): 純粋、調和、明晰、平和。
ラジャス(激質): 情熱、動的、興奮、刺激。
タマス(暗質): 惰性、鈍感、腐敗、無知。
ヨガの実践者にとって理想的なのは、「サットヴァ」な食事です。
具体的には、新鮮な野菜、果物、穀物、ナッツ、豆類などです。これらは消化に優しく、食べた後に身体が軽く、心が穏やかになります。
逆に、刺激の強いスパイスや過度なカフェイン、肉類などは「ラジャス」を増やし、心を興奮させたり攻撃的にしたりする可能性があります。
また、加工食品、添加物の多いもの、鮮度の落ちたもの、アルコールなどは「タマス」を増やし、身体を重くし、思考を鈍らせると考えられています。
ベジタリアンでなければならないのか?
ヨガといえば菜食主義(ベジタリアン)というイメージが強いですが、これはヨガの八支則にある「アヒムサ(非暴力)」の教えに由来します。
生きとし生けるものを傷つけない、という思想です。
しかし、現代社会において、いきなり完全な菜食にするのは難しい場合もあるでしょう。
ここで大切なのは、「自分自身に対する暴力」にならないようにすることです。
「肉を食べてしまった自分はダメだ」と厳しくジャッジしたり、ストレスで心を病んでしまったりしては本末転倒です。
アヒムサは、自分自身に対しても向けられるべきものです。
現代社会では、過食や早食い、スマホを見ながらの「ながら食べ」が問題となっています。これらは食物への敬意を欠く行為であり、生命エネルギーを取り込むという本来の食事の目的を損なっています。
何を食べるかも大切ですが、「どのように食べるか」も同じくらい、あるいはそれ以上に重要です。
感謝して、よく噛んで、味わっていただく。
その意識さえあれば、どのような食事であっても、それはヨガ的な行為になり得ます。
生活の指針:ヤマ(禁戒)とニヤマ(勧戒)
ヨガには、マットの外での生活指針として「ヤマ(やってはいけないこと)」と「ニヤマ(やったほうがいいこと)」という教えがあります。
これらは厳しい校則のようなものではなく、人間関係や自分自身との関係をスムーズにするための「知恵」です。
・ヤマ(社会的な規律)
アヒムサ(非暴力): 言葉、思考、行動で他者を傷つけない。
サティヤ(正直): 嘘をつかない。自分の本音をごまかさない。
アスティヤ(不盗): 他人の物、時間、権利を奪わない。
ブラフマチャリヤ(禁欲): エネルギーを浪費しない。
アパリグラハ(不貪): 必要以上に所有しない。執着しない。
・ニヤマ(個人的な規律)
シャウチャ(清浄): 身の回りを清潔にする。心身を浄化する。
サントーシャ(知足): 今あるものに満足する。
タパス(苦行): 精神的・肉体的な鍛錬を行う。
スヴァディヤーヤ(読誦): 聖典を学ぶ。自分自身を知る。
イシュワラ・プラニダーナ(自在神への祈念): 自然や大いなる存在に委ねる。
これらを現代に当てはめるとどうなるでしょうか。
例えば「アパリグラハ(不貪)」。
現代は情報やモノで溢れかえっています。次から次へと新しい情報を貪り、SNSで他人の生活を覗き見し、必要のないモノを買い込む。
これは心の肥満状態です。
情報を遮断する時間を持つこと、部屋を片付けて空間を作ること。これらは立派なアパリグラハの実践であり、生活の質を劇的に向上させます。
また、「サティヤ(正直)」も重要です。
現代人は「嫌われたくないから」「波風を立てたくないから」と、自分の気持ちに蓋をして生きがちです。
しかし、自分に嘘をつき続けることは、内側に強烈な葛藤(ストレス)を生みます。
丁寧に、しかし正直に生きること。それが、結果として巡りの良い人生を作ります。
身体の感覚(センサー)を取り戻す
ここまで色々と書きましたが、EngawaYogaとして最もお伝えしたいのは、「頭でっかちにならないでください」ということです。
「これは食べてはいけない」「こう生きなければならない」という思考(エゴ)で自分を縛ると、ヨガは窮屈なものになります。
ヨガのアーサナ(ポーズ)や瞑想を続けていると、身体の感覚が鋭敏になってきます。
センサーが磨かれていくのです。
すると、ジャンクフードを食べた時に「あ、なんか身体が重いな」「気分がスッキリしないな」と、違和感をはっきりと感じるようになります。
逆に、新鮮な野菜やシンプルな食事をした時に「身体が喜んでいる」「エネルギーが満ちてくる」と感じるようになります。
こうなると、我慢や努力は必要ありません。
身体が自然と「心地よい方」を選び始めるからです。
タバコやお酒も、自然と量が減ったり、やめたりする人が多いのはこのためです。
「やめなければならない」のではなく、「もう必要なくなった」という感覚です。
頭でコントロールするのではなく、身体の知性に任せること。
これこそが、ヨガがもたらす最大の恩恵であり、生活の変化のあり方です。
現代社会の闇とスピリチュアルな視点
現代社会は、私たちの感覚を麻痺させるための罠で溢れています。
強い味付け、刺激的なエンターテインメント、絶え間ない通知音。
これらは私たちを興奮状態(ラジャス)にさせ、疲れさせ、最終的には無気力(タマス)へと導きます。
多くの人が、ストレスを解消するために暴飲暴食をし、アルコールで感覚を鈍らせ、ネットサーフィンで思考を停止させています。
これは、自分の内側にある「空虚感」や「痛み」を見ないようにするための逃避行動かもしれません。
スピリチュアルな視点でお伝えするならば、食事とは「外部のエネルギーを取り込み、自分のエネルギーと同化させる神聖な儀式」です。
そして生活とは、「自分という魂が、この地球でどう在るか」という表現そのものです。
もし、生活や食事の乱れを感じているのなら、それは「自分を大切にしていない」というサインかもしれません。
まずは、ご自身の身体を「神殿」だと思ってみてください。
神殿にゴミを投げ入れる人はいないでしょう。
神殿の手入れを怠る人もいないでしょう。
自分の身体を神聖なものとして扱ったとき、自然と口にするものも、時間の使い方も変わってきます。
最後に:縁側のような「ゆとり」を持つこと
ヨガに厳しい決まりごとはありません。
あるのは、「どうすればもっと楽に、心地よく生きられるか」という探求だけです。
完璧を目指さないでください。
たまにはジャンクフードを食べてもいいし、夜更かしをしてもいいのです。
大切なのは、その時の自分の状態に「気づいている」こと。
そして、「次はこうしてみようかな」と修正できる「ゆとり」を持つことです。
EngawaYogaでは、古民家の縁側のような、内と外の境界が曖昧で、風通しの良い「場」を提供したいと考えています。
そこには、厳しい戒律も、競争もありません。
ただ、静かに座り、呼吸をし、自分自身へと還っていく時間があるだけです。
何かを足すのではなく、余計なものを手放していく。
そんなシンプルな生活を、まずはマットの上から、そして毎日の食事の一口から始めてみませんか。
答えは、教科書の中ではなく、あなたの身体の中にすでに用意されています。
ではまた。


