第20講:最終講 – 記号の海を、しなやかに泳ぐために

ヨガを学ぶ

私たちの長い旅も、いよいよ終着点を迎えようとしています。

私たちは、ジャン・ボードリヤールという、少し気難しいが誠実な水先案内人の手引きで、現代消費社会という、きらびやかで、しかし時に私たちを惑わす「記号の海」の性質を探ってきました。そして、その荒波の中で自分を見失わないための、古代から受け継がれてきた「ヨガ」という名の、信頼できるコンパスと航海術を学んできました。

旅の終わりに、もう一度、私たちの出発点を思い出してみましょう。

私たちの胸の奥にあった、漠然とした渇き、満たされなさ。次々と新しいものを手に入れても、決して埋まることのなかった心の空虚感。この講座は、その正体を探るための冒険でした。

そして今、私たちはその答えの一端に触れることができたのではないでしょうか。

私たちの渇きの原因は、私たち個人の能力や魅力が「足りない」からではなかった。それは、私たちが生きるこの社会そのものが、「あなたは足りない」という呪文を絶えず囁き続け、私たちを人工的な欠乏感の中に留め置くことで、そのシステムを維持しているからだったのです。

私たちは、モノではなく「意味」を消費し(記号消費)、本物なき「イメージ」を現実だと信じ込まされ(ハイパーリアル)、他人との「違い」を際立たせるための、終わりのないゲーム(差異化)に参加させられていました。

この、巨大で巧妙なシステムの構造を理解したとき、私たちは、不必要な自己否定から解放されました。そして、このゲームのルールを知った上で、私たちは、それとは全く異なる原理で動く、もう一つの世界、すなわちヨガの智慧へと旅立ちました。

ヨガは、私たちの意識のベクトルを、外側から内側へと、劇的に転換させました。

記号やイメージといった、揺れ動く借り物のリアリティから、呼吸や身体の「感覚」という、嘘をつけない絶対的なリアリティへ。

常に「ここではないどこか」を指し示す未来への渇望から、「今、ここ」という、唯一のリアルな時間に深く根ざすことへ。

他者との比較や分離を生む「差異」の視点から、全ての存在の根源的な「つながり」を体感する、共感の視点へ。

そして何よりも、「何者かにならなければ」という強迫観念から、ただ「在る」ことの、無条件の肯定と充足感へ。

この二つの羅針盤、すなわちボードリヤールによる「社会への鋭い洞察」と、ヨガによる「内なる自己への深い信頼」を手にした今、私たちは、これからの日々を、どのように生きていけばよいのでしょうか。

ここで強調したいのは、私たちの目的が、消費社会という海から完全に脱出し、孤島に引きこもることではない、ということです。それは、一種の現実逃避であり、ヨガの智慧が目指す道ではありません。私たちは、社会的な存在であり、この複雑で、矛盾に満ちた世界の中で、他者と関わりながら生きていくしかないのです。

私たちの新しい生き方とは、むしろ、この「記号の海」の性質を熟知した上で、その流れにただ翻弄されるのではなく、時には流れに乗り、時には流れに逆らい、また時には静かに漂うこともできる、しなやかで、熟練した「泳ぎ手」になる、ということです。

広告が魅力的なイメージを提示してきたとき、私たちはその背後にある「記号」のカラクリを見抜き、微笑むことができるでしょう。SNSで他人の華やかな投稿を見ても、比較の罠にはまることなく、自分の内なる充足感に立ち返ることができます。強い購買衝動に駆られたときは、一呼吸置き、それが本当に自分の身体と魂が望んでいるものなのかを、静かに問いかけることができるはずです。

この生き方は、決して大袈裟なものではありません。それは、日々の小さな選択の、地道な積み重ねの中にあります。

一杯のお茶を、ただ味わって飲むこと。

一つのモノを、感謝を込めて、長く大切に使うこと。

満員電車の中で、そっと自分の呼吸に意識を戻すこと。

うまくいかない自分を、責めるのではなく、ただ「そういう時もある」と受け入れること。

これらの一つひとつの小さな実践が、消費社会の巨大な自動操縦システムに対する、静かで、しかし最も力強い、ささやかな抵抗(レジスタンス)となるのです。そして、この個人的な実践は、やがて、より大きな世界との関わり方をも変容させていくでしょう。

自分の内なる声に耳を澄ますことができる人は、他者の声にも、より深く耳を傾けることができるようになります。モノを大切にできる人は、自然環境をも大切に思うようになります。自分自身の存在を無条件に肯定できる人は、他者の存在をも、そのありのままに尊重することができるようになるはずです。

この講座でお伝えしてきたことは、最終的な「答え」ではありません。それは、むしろ、あなた自身の人生という、壮大な探求の旅を始めるための、一枚の「地図」に過ぎません。この地図を手に、これからあなたがどのような航路を描き、どのような風景に出会うのか、それは誰にも分かりません。

しかし、どうか忘れないでください。

どんなに嵐が激しく、進むべき方向を見失いそうになったときでも、あなたの内側には、常に信頼できるコンパスが、静かに北を指し示しているということを。

それは、あなたの呼吸であり、あなたの身体感覚であり、そして、ただ「在る」ことの、揺るぎない尊厳です。

このコンパスへの信頼を、決して手放さないでください。

そうすれば、あなたは、この記号の海を、恐れることなく、自分自身の足で、自分自身のリズムで、しなやかに、そして自由に、泳ぎ渡っていくことができるでしょう。

私たちの旅は、ここで一旦終わります。しかし、あなたの本当の旅は、まさにここから始まるのです。

この思索の時間が、あなたのこれからの航海にとって、ささやかな光となることを、心から願っています。

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。