第4講:「他人と違う私」を演じるゲーム – 終わらない流行と差異化の疲れ

ヨガを学ぶ

私たちは皆、「自分らしくありたい」「個性的でありたい」と願っています。他の誰でもない、唯一無二の自分として生きたい。その願いは、とても自然で、人間的なものに思えます。しかし、ボードリヤールのレンズを通して見ると、この「個性」への渇望すらも、消費社会という巨大なシステムに巧みに組み込まれていることが分かります。

考えてみてください。なぜ、ファッションには「流行」があるのでしょうか。なぜ、去年あれほど魅力的だった服が、今年はもう古臭く感じられてしまうのでしょう。それは、服の機能(使用価値)が劣化したからではありません。その服が持つ「意味(記号価値)」が変化してしまったからです。

 

差異化への欲望

ボードリヤールは、消費社会における人々の行動を駆動させる根源的な力は、「差異化への欲望」であると喝破しました。差異化とは、平たく言えば「他人との違いを際立たせること」です。私たちはモノを消費することを通して、「私はあなたたちとは少し違う、よりセンスの良い、より新しい価値観を持った存在だ」というメッセージを、常に発信し続けているというのです。

この「差異化ゲーム」の構造は、こうです。

まず、一部の流行に敏感な人々(イノベーター)が、新しいスタイルやアイテムを取り入れます。それは、既存の価値観からの「差異」として、最初は際立った存在感を放ちます。次に、その新しいスタイルがメディアなどで紹介され、多くの人々(フォロワー)がそれを模倣し始めます。すると、かつては「新しい」「個性的」であったはずの差異は、瞬く間に陳腐化し、ただの「普通」になってしまいます。

こうなると、最初のイノベーターたちは、その他大勢と同じであることを嫌い、再び新たな「差異」を求めて、次の新しいスタイルを探し始めます。このサイクルが延々と繰り返される。これが、流行が生まれ、廃れていくメカニズムの正体です。

このゲームにおいては、モノの絶対的な価値は問題にされません。重要なのは、常に他者との相対的な「違い」だけです。そして、このゲームには終わりがありません。なぜなら、差異が模倣され、消滅するたびに、新たな差異を生み出し続けなければならないからです。私たちは、「自分らしさ」を求めているつもりが、実はこの終わりのない差異化のゲームに、半ば強制的に参加させられているのかもしれません。

この構造は、ファッションだけに限りません。インテリア、音楽、食事、さらにはライフスタイルそのものにも当てはまります。かつては「丁寧な暮らし」というライフスタイルが新しい差異として注目されました。しかし、それが多くの人々に模倣され、一種のブームになると、今度は「ミニマリズム」や「アドレスホッパー」といった、さらに新しいライフスタイルが差異化の記号として登場します。私たちが追い求める「個性」や「自分らしさ」でさえ、消費社会のシステムの中では、次々と陳腐化していく「商品」の一つに過ぎないのです。

ヨガにおいても〇〇ヨガと名前を変え出てきますし、プラティスがそのポジションを奪っていくことも起こります。ただの差異化への欲望を満たしているだけです。

 

差異化への欲望のゲームを降りる

このゲームに参加し続けることは、私たちを静かに、しかし確実に疲弊させます。常に他者の視線を意識し、自分の立ち位置を確認し、新たな差異を追い求めなければならないからです。そこには、心の安らぎや、ありのままの自分を肯定する感覚が入り込む余地は、ほとんどありません。

では、この消耗するゲームから、私たちはどうすれば少し距離を置くことができるのでしょうか。

ここで、インドの古代哲学、特にウパニシャッドの思想が、私たちに全く異なる視点を提供してくれます。ウパニシャッド哲学の核心には、「梵我一如(ぼんがいちにょ)」という考え方があります。これは、宇宙の根源的な実在である「ブラフマン(梵)」と、個人の本質である「アートマン(我)」は、本来同一のものである、という思想です。

 

分離感が苦しさを生む

消費社会が「差異」を強調し、個人を分離させようとするのに対し、ヨガの根底に流れる思想は、全ての存在の根源的な「同一性」や「つながり」を教えます。私たちは、肌の色や国籍、持っているモノや社会的地位といった表面的な「差異」に惑わされていますが、その奥深くでは、皆同じ生命のエネルギーを分かち合い、同じ宇宙の一部として存在している、という視点です。

アーサナの実践は、この思想を身体感覚として理解するための、素晴らしい訓練となります。

クラスで周りの人たちと一緒にポーズをとっているとき、隣の人のポーズの完成度と自分を比べて、焦ったり、優越感を抱いたりすることがあるかもしれません。これはまさに、日常で行っている「差異化ゲーム」を、マットの上に持ち込んでいる状態です。そんなものはただの虚構にも関わらず。

しかし、ヨガの実践が深まってくると、意識は自然と外側(他者との比較)から、内側(自分自身の感覚)へと向かっていきます。隣の人がどうであるかは、もはや問題ではなくなります。重要なのは、自分の身体がどう感じているか、自分の呼吸がどう流れているか、ただそれだけです。他者の評価という相対的な座標軸から自由になり、自分自身の内なる感覚という、絶対的な座標軸に立つ。このとき、私たちは差異化ゲームから、一時的に降りることができるのです。

さらに、クラスの最後に全員で「シャヴァーサナ(屍のポーズ)」を行うとき、不思議な一体感を感じることがあります。目を閉じ、個々の身体の形や能力といった「差異」が意味をなさなくなった空間で、ただ静かに呼吸を繰り返す。そのとき、私たちは自分と他者を隔てていた壁が薄れ、この場にいる全員が、ただ同じように「生きている存在」であるという、根源的な共通性に気づくかもしれません。

差異を追い求める生き方が、私たちを絶え間ない競争と渇望へと駆り立てるのに対し、共通性やつながりを感じる生き方は、私たちに安心感と充足感をもたらしてくれます。ヨガは、この視点の転換を促すための、具体的な方法論なのです。それは、「他人と違う私」を必死に演じることから、「他人と同じように、ただ生きている私」を穏やかに受け入れることへの、静かな移行の旅と言えるでしょう。

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。