ジャイナ教の聖典と儀式 – 信仰と実践 –

ヨガを学ぶ

ジャイナ教の深遠な精神性は、その聖典群と、そこから派生し日々の生活に織り込まれた儀式を通じて、今日まで脈々と受け継がれています。信仰は言葉によって形を与えられ、実践は儀式によって体現される。この二つは、ジャイナ教徒が輪廻の苦しみから解脱し、魂の完全な解放(モークシャ)へと至るための、いわば両輪なのでしょう。本章では、ジャイナ教の聖典がどのように成立し、何を語り、そして儀式が信仰生活の中でどのような役割を果たしているのか、その深層に光を当ててまいります。

 

聖なる言葉の響き:ジャイナ教の聖典群

ジャイナ教の聖典は、始祖マハーヴィーラ(紀元前6世紀頃)が悟りを開いた後に説いた教え、すなわち「プラヴァーチャナ(聖なる説法)」にその源泉を持ちます。マハーヴィーラ自身は著作を残さなかったため、その教えは当初、弟子たちによる口承によって記憶され、伝えられました。この口伝された知識は「シュルタ・ジュニャーナ(聴聞知)」と呼ばれ、ジャイナ教徒にとって最高の権威を持つ知識とされています。

しかし、口承による伝承は、時の経過とともに散逸や変質の危険性をはらみます。飢饉や迫害といった歴史的困難の中で、教えの完全な保持が危ぶまれる事態も生じました。そのため、紀元前4世紀頃から聖典の編纂(書物化)の試みがなされ、これが「アーガマ・スートラ(伝承された経典)」として結実していくのです。

アーガマ・スートラは、ジャイナ教の二大宗派であるシュヴェーターンバラ派(白衣派)とディガンバラ派(空衣派)で、その範囲や真正性について見解が異なります。シュヴェーターンバラ派は、現在45部(あるいはそれ以上)のアーガマ経典を正典として認めています。これらは内容や形式によって、以下のように分類されます。

  1. アンガ(部門): 12部から成り、教義、戒律、宇宙論、物語など、ジャイナ教の最も基本的な教えを含みます。特に「アーチャーランガ・スートラ」は僧侶の行動規範を詳細に記し、「ヴィヤーキヤープラジュニャプティ・スートラ(バガヴァティー・スートラとも)」は問答形式でジャイナ教の哲学的側面を深く掘り下げています。

  2. ウパーンガ(副部門): 12部あり、アンガの内容を補足し、宇宙論や天文学、地理学などを扱います。

  3. ムーラ・スートラ(根本経典): 4部あり、僧侶の基本的な生活規則や瞑想、カルマ論など、実践的な教えが中心です。

  4. チェーダ・スートラ(切断経典): 6部あり、僧侶が戒律を破った場合の罰則や懺悔の方法などを定めています。

  5. チュリカ・スートラ(頂点経典): 2部あり、ジャイナ教の教義の精髄や、それを理解するための方法論を示します。

  6. プラキールナカ(雑集): 10部あり、様々な主題に関する独立した小篇を集めたものです。

一方、ディガンバラ派は、マハーヴィーラの直説であるとされる「プラーヴァ(古伝)」と呼ばれる14部の聖典が存在したと考えますが、これらは完全に失われたと主張します。そのため、彼らは後世のアーチャーリヤ(高僧)たちによって著された文献群(例えば、クンダクンダの著作など)を、失われたプラーヴァの精神を伝えるものとして重視しています。

これらの聖典群は、単なる教義の羅列ではありません。そこには、宇宙と生命の深遠な真理、魂の解放への道筋、そして倫理的な生き方の指針が、時には詩的に、時には論理的に、時には物語を通して説かれています。ジャイナ教徒にとって聖典を読むこと、聴くこと、そしてその教えを瞑想することは、ジュニャーナ(正しい知識)を得るための重要な実践となるのです。それは、 마치暗闇を照らす灯火のように、輪廻の迷宮からの出口を示すものと言えるでしょう。

 

生きた信仰の実践:ジャイナ教の儀式

聖典に記された教えは、具体的な儀式(クリヤー)を通して、ジャイナ教徒の日常生活と信仰に深く根ざしていきます。儀式は、単なる形式的な行為ではなく、カルマの浄化、精神の修養、功徳の獲得、そして共同体意識の醸成といった多層的な目的を持っています。それは、信仰を身体的な行為へと落とし込み、精神的な変容を促すための装置なのです。

ジャイナ教の主要な儀式には、以下のようなものがあります。

  1. ディークシャー(出家儀礼): 在家信者が世俗の生活を捨て、僧侶(ムニまたはサー ドゥ)としての道を歩み始めるための儀式です。髪を抜き、質素な衣をまとい、所有物を放棄し、アヒンサー(非暴力)、サティヤ(真実語)、アステーヤ(不盗)、ブラフマチャリヤ(不淫)、アパリグラハ(不所有)の五大誓戒(マハーヴラタ)を立てます。これは、解脱への道を本格的に歩み出すための、人生における重大な転換点です。

  2. プラティクラマナ(懺悔の儀式): 日常生活において、意図的あるいは無意識的に犯してしまった殺生や嘘、盗みといった罪過を反省し、懺悔する儀式です。特に、アヒンサーの徹底が求められるジャイナ教においては、歩行中や呼吸中に微細な生命を傷つけてしまう可能性すら意識し、その罪を浄化しようとします。これは通常、朝夕の二回行われ、自己を省みる重要な機会となります。

  3. アーヴァシャカ(六つの必須義務): 在家信者も僧侶も行うべきとされる六つの日常的な義務です。

    • サマーイカ(平静、等観): 一定時間(通常48分間)、心を平静に保ち、瞑想を行うこと。

    • チャトゥルヴィンシャティスタヴァ(二十四祖賛歌): 過去24人のティールタンカラ(祖師)を称える賛歌を唱えること。

    • ヴァンダナ(帰敬): 師や聖者に対して敬意を表し、礼拝すること。

    • プラティクラマナ(懺悔): 上述の懺悔の儀式。

    • カーヨーッツァルガ(身体の放棄): 不動の姿勢で立ち、あるいは座り、身体への執着を捨てる瞑想を行うこと。

    • プラチャッキャーナ(誓願): 特定の期間、食事や行動に制限を設ける誓いを立てること(断食など)。

  4. プージャー(礼拝): ティールタンカラの像やヤントラ(聖なる図形)などに対して、花、香、灯明、米、果物などを供え、帰依の念を表す儀式です。これは偶像崇拝と見なされることもありますが、ジャイナ教徒にとっては、ティールタンカラの持つ理想的な資質を想起し、自らの精神を高めるための象徴的な行為なのです。

  5. パリューシャナ(雨季の集中修行): 雨季の8日間(シュヴェーターンバラ派)または10日間(ディガンバラ派)行われる、ジャイナ教徒にとって最も重要な宗教期間です。この期間、僧侶は一箇所に留まり、在家信者は寺院に集い、断食、説法聴聞、懺悔、瞑想などに集中的に取り組みます。特に最終日には、全ての生き物に対する許しを乞い、自らも許す「クシャマーヴァーニー(赦しの言葉)」という儀式が行われ、共同体の絆を深めます。

  6. サンターラー/サッレーカナー(自発的な断食による死): 老衰や不治の病により、もはや身体が宗教的義務を果たすことが困難になったと判断した場合、自発的に食事を断ち、瞑想のうちに死を迎えるという厳しい実践です。これは自殺とは明確に区別され、身体への執着を完全に断ち切り、カルマの束縛から解放されるための、究極の非暴力と離欲の表れとされています。この実践は、専門家の指導のもと、極めて慎重に行われるべきものとされています。

これらの儀式は、単なる義務としてこなされるものではありません。ジャイナ教徒にとって、それは自己の内面と向き合い、教えを身体で感じ、信仰を深めるための「道場」のようなものです。儀式を通じて、彼らは日々、アヒンサーの精神を研ぎ澄まし、カルマの浄化に努め、解脱への道を一歩一歩進んでいくのです。

 

聖典と儀式の織りなす信仰の綾

ジャイナ教において、聖典と儀式は不可分に結びついています。聖典は儀式の根拠となり、儀式は聖典の教えを体現し、それを生きたものとします。理論と実践が、車の両輪のように機能することで、信仰は深まり、生活は聖化されていくのです。

例えば、聖典に繰り返し説かれるアヒンサーの教えは、プラティクラマナという懺悔の儀式によって、日々の微細な行動レベルで意識化されます。また、聖典が示す解脱への道筋は、ディークシャーという出家の儀式によって、人生を賭けた実践へと具体化されるのです。

しかし、私たちはここで問いかける必要があります。文字として固定された聖典は、マハーヴィーラの生きた言葉の躍動感をどこまで伝えられるのでしょうか。あるいは、固定されることによって初めて、その教えは時空を超えて普遍性を獲得するのでしょうか。また、儀式という形式は、ともすれば形骸化の危険をはらみます。その形式を通してこそ、私たちは内なる精神性を深めることができるのか、それとも形式に囚われることで本質を見失うのか。

ジャイナ教の長い歴史は、こうした問いに対する応答の歴史でもあったと言えるかもしれません。聖典の解釈を巡る議論や、儀式のあり方に対する改革の試みは、常に信仰の生きたダイナミズムを示しています。

 

現代における聖典と儀式の意義

情報が氾濫し、物質的な豊かさが追求される現代社会において、ジャイナ教の聖典と儀式が持つ意義は、決して小さくありません。

聖典に記された古代の知恵は、現代人が忘れがちな倫理観や、自己の内面と向き合うことの重要性を教えてくれます。また、共同体で行われる儀式は、希薄になりがちな人間関係の中で、精神的なつながりや安心感を与え、心の拠り所となるでしょう。

もちろん、伝統的な聖典の解釈や儀式のあり方が、現代社会の価値観と必ずしも合致しない側面もあるかもしれません。しかし、その根底に流れる非暴力、不所有、自己規律といった普遍的な教えは、環境問題や経済格差、精神的な空虚感といった現代社会が抱える多くの課題に対して、重要な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。

 

結び:魂の解放への羅針盤

ジャイナ教の聖典と儀式は、信仰と実践を支える二本の柱です。それらは、ジャイナ教徒が輪廻の海を渡り、魂の完全なる解放(モークシャ)という彼岸へと到達するための、信頼すべき羅針盤であり、力強い推進力となるのです。その言葉に耳を傾け、その実践に身を投じる時、彼らはマハーヴィーラの時代から続く、悠久の精神的な旅路に連なることを実感するのでしょう。そしてそれは、私たち現代人にとっても、自らの生き方を見つめ直し、内なる平和を探求する上で、貴重な手がかりを与えてくれるに違いありません。

 

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。