インド思想の広大な海を旅するにあたり、まず私たちはその源流へと遡る必要があります。そこには、未だ多くの謎に包まれたインダス文明と、その後のインド文化に大きな影響を与えたとされるアーリア人の到来という、二つの大きな潮流が存在します。これらは、後のヴェーダ哲学、ひいてはインド思想全体の基層を形成する上で、極めて重要な意味を持つ出来事でした。本章では、これらの歴史的背景を丁寧に考察し、インド思想の萌芽を育んだ土壌を明らかにしていきます。
インダス文明:沈黙の都市が語りかけるもの
紀元前2600年から紀元前1900年頃にかけて、インダス川流域を中心に栄えたインダス文明は、エジプト文明、メソポタミア文明、黄河文明と並ぶ世界四大文明の一つに数えられます。モヘンジョダロやハラッパーといった計画的に建設された都市遺跡は、高度な都市計画、焼成レンガによる堅牢な建築技術、精巧な印章や土器、そして沐浴場や公衆衛生施設といったインフラの存在を私たちに示しています。これらの遺跡から垣間見えるのは、単に物質的に豊かであっただけでなく、高度な社会システムと、ある種の精神的な規範に基づいた生活様式が営まれていた可能性です。
インダス文明の最も大きな謎の一つは、その文字が未だ解読されていないことです。数千点に及ぶ印章に刻まれた絵文字のような記号群は、私たちに多くの想像を掻き立てますが、その具体的な意味するところは依然としてベールに包まれたままです。もしこの文字が解読されれば、彼らの言語、社会構造、そして何よりも彼らの思想や信仰について、より深い理解が得られることは間違いありません。
しかし、文字が解読されていないからといって、彼らの精神世界について全く何も分からないというわけではありません。出土品の中には、動物や植物、そして神格化されたと思われる人物像などが描かれた印章やテラコッタ像が数多く存在します。特に注目されるのは、ヨーガの行者のような姿勢をとる人物像や、動物に囲まれた「獣主」と呼ばれる神格、そして豊穣を象徴すると思われる女神像などです。
これらの図像は、後のヒンドゥー教の神々や信仰の原型を示唆していると考える研究者も少なくありません。例えば、ヨーガ行者のような人物像は、後のシヴァ神やヨーガの伝統との関連性を想起させます。また、聖なる牛や菩提樹といったモチーフは、現代のインドにおいても篤く信仰されており、インダス文明との連続性を感じさせます。
さらに、沐浴場や井戸といった水に関連する施設の多さは、彼らが水を神聖視し、沐浴を重要な儀礼として行っていた可能性を示唆しています。これは、後のヒンドゥー教における沐浴儀礼や、ガンジス川をはじめとする聖なる河川への信仰と通じるものがあるかもしれません。
インダス文明の衰退の原因についても、未だ明確な結論は出ていません。気候変動による乾燥化、河川の流路変更、アーリア人の侵入、あるいは内部的な要因など、様々な説が提唱されています。しかし、いずれにしても、この高度な文明が突如として姿を消したのではなく、徐々に変容し、その要素の一部は後のインド文化へと受け継がれていったと考えるのが自然でしょう。
インダス文明が残したものは、物質的な遺物だけではありません。それは、後のインド思想の源流の一つとして、目に見えない形で、しかし確実に、その後の文化の深層に流れ込んでいるのです。彼らがどのような宇宙観を持ち、どのような死生観を抱いていたのか、その詳細は依然として謎のままですが、彼らが育んだ精神的な土壌が、後のヴェーダ哲学の誕生に無関係であったとは到底考えられません。彼らの沈黙は、私たちに多くの問いを投げかけ、想像力を刺激し続けるのです。
アーリア人の到来:ヴェーダ文化の夜明け
インダス文明が衰退期に入ったとされる紀元前1500年頃から、中央アジア方面からインド亜大陸北西部へと、アーリア人と呼ばれる人々が波状的に移住してきたと考えられています。アーリア人とは、特定の民族を指すのではなく、インド・ヨーロッパ語族の言語を話す遊牧民的な集団を総称する言葉です。彼らは、馬と戦車を巧みに操り、金属器の製造技術にも長けていました。
彼らの到来は、インドの歴史と文化に大きな転換期をもたらしました。彼らがもたらした言語、宗教観、社会制度は、先住民の文化と融合し、あるいはそれを凌駕しながら、新たな文化、すなわちヴェーダ文化を形成していくことになります。
アーリア人の思想や信仰を知る上で最も重要な資料となるのが、彼らが編纂した聖典群、すなわちヴェーダです。ヴェーダは、「知識」や「叡智」を意味するサンスクリット語のヴィド(vid)に由来し、神々への賛歌、祭祀の儀礼、呪文、そして哲学的な思索などが収められています。ヴェーダは、シュルティ(天啓)と呼ばれる、神から直接啓示された聖なる言葉であると信じられており、口伝によって正確に継承されてきました。
ヴェーダの中でも最も古く、そして中心的な位置を占めるのが『リグ・ヴェーダ』です。ここには、インドラ(雷霆神)、アグニ(火神)、ヴァルナ(司法神)といった自然現象を神格化した神々への賛歌が数多く収められています。これらの神々は、自然の力強さ、恵み、そして時には恐ろしさを象徴しており、アーリア人の自然観や宇宙観を反映しています。
アーリア人の社会は、司祭階級であるバラモン、王侯・武人階級であるクシャトリヤ、庶民階級であるヴァイシャ、そして被征服民を中心とする隷属階級であるシュードラという、四つのヴァルナ(種姓)からなる階層的な社会構造(ヴァルナ制)を特徴としていました。このヴァルナ制は、後のカースト制度の原型となり、インド社会に長きにわたり影響を及ぼすことになります。
アーリア人の宗教観において特筆すべきは、祭祀(ヤグニャ)の重要性です。彼らは、火を焚き、神々に供物を捧げることで、神々の歓心を得て、世界の秩序(リタ)を維持し、現世的な利益(子孫繁栄、家畜の増加、戦勝など)を得ようとしました。祭祀は、宇宙の運行と人間社会の調和を保つための重要な手段と考えられており、祭官であるバラモンの役割は極めて大きなものでした。
また、ソーマと呼ばれる植物から作られた興奮作用のある飲料も、祭祀において重要な役割を果たしました。ソーマは神々の飲み物とされ、それを飲むことで神々との一体感を得たり、霊感を得たりすることができると信じられていました。
アーリア人の到来とヴェーダ文化の形成は、インド思想の歴史における大きな転換点でした。彼らがもたらした言語(サンスクリット語)は、後のインドの古典語となり、思想、文学、宗教など、あらゆる分野で用いられることになります。彼らの神話、儀礼、社会制度は、後のインド思想の基本的な枠組みを形成し、ウパニシャッド哲学、さらには仏教やジャイナ教といった新たな思想潮流を生み出す土壌となりました。
しかし、アーリア人の到来が、インダス文明の文化を完全に駆逐したわけではありません。むしろ、両者の文化は、長い時間をかけて徐々に融合し、新たな複合的な文化を形成していったと考えるべきでしょう。インダス文明が育んだ土着の信仰や生活様式は、アーリア文化の表層の下に潜り込み、その後のインド思想の多様性と重層性を生み出す要因の一つとなったのです。
例えば、アーリア人の宗教が自然神崇拝や祭祀中心であったのに対し、インダス文明の図像からは、ヨーガ的な修行や母神信仰といった要素が窺えます。これらの要素は、後のヒンドゥー教において、シヴァ信仰やシャクティ信仰といった形で顕著に見られるようになります。これは、アーリア文化と先住民文化の融合の過程で、かつてインダス文明が育んだ精神性が再び息を吹き返した結果と見ることもできるかもしれません。
このように、インド思想の源流は、インダス文明という謎めいた静謐な都市文明と、アーリア人の到来というダイナミックな歴史的出来事という、二つの異なる、しかし相互に関連し合う要素によって形作られています。前者は、後のインド思想の深層に流れる土着的な精神性の源泉となり、後者は、ヴェーダという壮大な聖典群と、その後のインド思想の骨格となる基本的な概念や枠組みを提供しました。
これらの古代の源流を理解することは、ヴェーダ哲学、そしてその後のインド思想の複雑で豊かな世界を読み解く上で、不可欠な第一歩となるのです。インダス文明の沈黙の遺跡が語りかけるものに耳を傾け、アーリア人が残したヴェーダの言葉に込められた叡智を探求する旅は、私たちをインド思想の奥深い世界へと誘う、エキサイティングな冒険となるでしょう。そして、その探求の過程で、私たちは、現代社会を生きる私たち自身の問いに対する、普遍的なヒントを見出すことができるかもしれません。
ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。


