インド哲学の探求:継続的な学びの重要性

ヨガを学ぶ

この長い旅路の終わりに、私たちは静かな縁側に腰を下ろしています。窓の外には、これまで共に旅をしてきた広大なインド思想の風景が広がっていることでしょう。ヴェーダの暁光に始まり、ウパニシャッドの深い森、六派哲学の峻厳な山々、そして仏教やジャイナ教の広大な平野を越えてきました。バガヴァッド・ギーターの対話に耳を傾け、中世の思想家たちの論争の熱気に触れ、近現代の激動の中で思索する賢人たちの姿を垣間見てきました。この一冊の本を手に取り、ここまで読み進めてくださったあなたの知的な探求心と忍耐に、まずは心からの敬意を表します。

しかし、この縁側は終着点ではありません。むしろ、ここからがあなた自身の、本当の旅の始まりなのです。書物を閉じたときに始まる学びこそが、哲学を真に血肉化するプロセスに他なりません。知識として「知っている」ことと、叡智として「そうである」と身体で理解することの間には、静かでありながら決定的な隔たりがあります。インド哲学の探求とは、この隔たりに橋を架け、何度も往復しながら、自分自身の存在へと知を染み込ませていく、生涯をかけた営みなのです。

この最後の章では、なぜ、何を、そしてどのようにインド哲学を学び続けていくべきか、その具体的な道筋と精神について、共に考えていきたいと思います。この本が、あなたの書棚で静かに埃をかぶる記念碑ではなく、次のステップへと踏み出すための、温かい踏み石となることを願って。

 

なぜ、学びを止められないのか ― 哲学の生命線

そもそも、なぜ私たちは学び続けなければならないのでしょうか。インド哲学は、古代の思想を収めた博物館の陳列物ではありません。それは「生きている哲学(Living Philosophy)」です。その生命は、固定された教義の中にではなく、絶えず問い、疑い、対話し、実践する人々の営みの中にこそ宿っています。

ヴェーダの賢人(リシ)たちは、宇宙を貫く根源的な秩序を「リタ(ṛta)」と呼びました。リタは、惑星の運行から季節の循環、そして人間社会の道徳に至るまで、すべてを支配する動的な法則です。この世界は、完成された静的な構造物ではなく、リタという法則に従って絶えず生成変化する、巨大な生命体のようなもの。そして、私たち人間もまた、そのダイナミックな流れの一部です。自己も世界も常に移ろいゆくからこそ、その理法に沿って調和的に生きるためには、私たち自身の理解もまた、常に更新され、深化し続けなければなりません。学びを止めるということは、流れゆく川の中で立ち止まろうとすることに等しく、やがては流れから取り残され、淀みの中に沈んでしまうことを意味します。

ウパニシャッドの哲人たちは、「梵我一如」、すなわち宇宙の究極原理であるブラフマンと、個人の本質であるアートマンは同一であると喝破しました。しかし、この深遠な真理は、一度聞いて「なるほど」と納得すれば完成するものではありません。それは、日々の暮らしの中で、繰り返し自己の内側へと問いかけ、確認し、体感していくべきものです。瞑想の中で訪れる一瞬の静寂、他者への慈しみの心が芽生えた瞬間、あるいは大自然への畏敬の念に打たれた時、私たちは梵我一如の響きを微かに聴き取ります。この聴体験を一度きりの神秘体験で終わらせず、人生の基調低音とするために、継続的な探求、すなわち「聞き、考え、瞑想する(śravaṇa, manana, nididhyāsana)」というプロセスが不可欠となるのです。

知ることは、単に情報を蓄積することではありません。知ることは、知ったことによって自分が「変わる」ことです。インド哲学を学ぶとは、その思想によって自己という存在が変容していくプロセスを、生涯にわたって引き受ける覚悟を持つことなのです。

 

何を学び続けるのか ― 深化する探求の対象

では、具体的に私たちは何を学びの対象としていけばよいのでしょうか。その探求のフィールドは、無限に広がっています。

 

原典との再会、そして対話

広大なインド哲学の海への入り口を示す、一枚の地図にすぎません。本当の宝は、それぞれの思想が結晶化した原典そのものの中に眠っています。ぜひ、これまで概観してきた聖典や経典に、今一度立ち返ってみてください。

『リグ・ヴェーダ』の自然讃歌を改めて声に出して読んでみれば、古代の人々が感じていたであろう宇宙への畏怖が、時を超えてあなたの内に響くかもしれません。『ウパニシャッド』の師弟対話を丹念に追うことで、行間から滲み出る真理探究の熱気が伝わってくるはずです。『バガヴァッド・ギーター』は、人生の岐路に立つたびに、新たな意味合いを持ってあなたに語りかけてくるでしょう。パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』は、簡潔な言葉の奥に、実践を重ねるごとに開示される多層的な意味が隠されています。

優れた翻訳書はいくつもありますが、翻訳は常に一つの解釈です。可能であれば、複数の翻訳を読み比べてみてください。訳者によって異なる言葉の選択が、原典の持つ豊かさと奥行きを教えてくれます。そして、もしあなたの探求心がさらに先を求めるなら、サンスクリット語の世界へ足を踏み入れてみることを強くお勧めします。「ダルマ(dharma)」「カルマ(karma)」「シャーンティ(śānti)」といった言葉が持つ、日本語訳ではこぼれ落ちてしまう豊かなニュアンス、そしてマントラとして唱えられる時の音の響き(ヴァイブレーション)が、理性を超えたレベルでの理解をもたらすことがあります。言葉を学ぶことは、その文化の思考様式そのものを学ぶことに他なりません。

 

多様な学派と思想家たちの森へ

代表的な六派哲学や仏教、ジャイナ教を中心に扱いましたが、インド思想の森はさらに奥深く、多様な木々が生い茂っています。シヴァ派やヴィシュヌ派といった有力な宗派の神学、宇宙の根源に女性原理(シャクティ)を見るタントラの思想など、探求すべき領域は尽きることがありません。

また、例えばヴェーダーンタ学派におけるシャンカラの「不二一元論」、ラマーヌジャの「限定不二一元論」、マドヴァの「二元論」といった思想家たちの論争を深く追体験することも、非常に知的な刺激に満ちた学びです。彼らが互いの論理をいかに批判し、自説を構築していったか。その緻密な思考のプロセスを追うことは、哲学が単なるドグマではなく、厳密な論理と深い思索に基づいた知的格闘であることを教えてくれます。それは、他者の思考を借りて、自分自身の思考力を鍛える絶好の稽古となるでしょう。

 

「自己」という最も難解なテクストを読む

そして、最も身近にありながら、最も読み解くのが難しいテクスト、それが「あなた自身」です。インド哲学、特にヨーガや仏教の伝統が繰り返し強調するのは、哲学が書斎の中の思弁で終わってはならないということです。その真理は、自分自身の身体と心を通して検証されねばなりません。

ヨーガのアーサナ(ポーズ)は、単なる身体運動ではありません。それは、身体という物質(プラクリティ)を通して、自己の本質(プルシャ)を観照するための、動的な瞑想であり、哲学の実験です。あるポーズが心地よく感じられる時、あるいは困難に感じられる時、自分の心はどのように反応するのか。呼吸はどのように変化するのか。身体の微細な感覚に意識を向けることで、私たちは普段意識にのぼらない心身の癖や、抑圧された感情に気づくことができます。

瞑想は、いわば「心の実験室」です。静かに座り、呼吸に意識を集中させると、次から次へと思考(ヴリッティ)が湧きおこっては消えていく様子を観察できます。この心の働きを、判断を下さずにただ見つめる実践は、『ヨーガ・スートラ』が説く「心の作用の止滅(citta-vṛtti-nirodhaḥ)」への第一歩です。自己とは何か、という根源的な問いは、この静かな実験室での観察を通して、観念的な理解から実感のこもった体験へと深化していくのです。

 

どのように学び続けるのか ― 実践としての哲学

学びの対象が見えたなら、次はその方法です。インド哲学の探求は、孤高の道、対話の道、そして日々の暮らしの道という、三つの道が相互に絡み合いながら続いていきます。

 

独学の道 ― スワーディヤーヤ(Svadhyaya)

『ヨーガ・スートラ』が説くニヤマ(勧戒)の一つに、「スワーディヤーヤ」があります。これは一般に「読誦」や「聖典の学習」と訳されますが、より広く「自己学習」を意味します。一人静かに書物を読み、深く思索にふける時間は、何物にも代えがたい貴重なものです。情報をインプットするだけでなく、その内容について「なぜだろう?」「自分だったらどう考えるか?」と自問自答を繰り返す。そして、学んだことを日記やノートに書き留め、自分の言葉で再構成してみる。このプロセスを通じて、借り物の知識は、自分自身の血肉へと変わっていきます。情報が溢れる現代社会だからこそ、意識的に孤独な思索の時間を確保することが、深い理解のためには不可欠です。

 

師と友との対話 ― サンガ(Saṅga)

しかし、独学の道には、独りよがりな解釈に陥る危険が常につきまといます。ここで重要になるのが、他者との対話です。インドの伝統では、グル(Guru)、すなわち師の存在が極めて重視されてきました。グルとは、単に知識を教える教師ではなく、その生き方そのものを通して、言葉にならない叡智を伝達する存在です。信頼できる師を見つけることは容易ではありませんが、ワークショップに参加したり、講座を受講したりする中で、この人から学びたいと思える指導者との出会いがあるかもしれません。

そして、師と同じくらい大切なのが、サンガ、すなわち同じ道を志す仲間たちの共同体です。仲間との対話(サットサンガ)は、自分の理解が偏っていないかを確認する鏡の役割を果たします。自分では気づかなかった視点や疑問を投げかけてもらうことで、学びは立体的になり、深まっていきます。それは、まるでEngawaYogaの縁側のように、異なる背景を持つ人々が集い、お茶を飲みながら語り合うような、開かれた学びの場です。堅苦しい議論だけでなく、何気ない会話の中に、ハッとするような気づきが隠されていることも少なくありません。

 

日常における実践 ― カルマ・ヨーガ(Karma Yoga)

最終的に、インド哲学の学びは、私たちの日常生活そのものへと統合されなければなりません。どれほど深遠な知識を語ることができても、日々の振る舞いがそれに伴っていなければ、その学びは空虚なものになってしまいます。『バガヴァッド・ギーター』が説く「カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)」の精神は、まさにこのためのものです。それは、行為の結果への執着を手放し、ただ自分のなすべき務め(ダルマ)を、心を込めて誠実に遂行すること。

掃除、料理、仕事、子育て、人との会話。私たちの日常は、すべてがヨーガの実践の場となりえます。例えば、アヒンサー(非暴力)という教えを、単に「生き物を殺さない」という意味だけでなく、「他者を傷つける言葉を使わない」「自分自身を責めすぎない」というレベルで実践してみる。サティヤ(正直)を、「嘘をつかない」だけでなく、「自分の感情に正直になる」「見栄を張らない」と捉えてみる。このように、哲学的な概念を日々の具体的な行為へと翻訳していく作業こそが、哲学を生きることに他なりません。あなたの日常こそが、壮大なインド哲学の思想を検証し、体現するための、最も重要なフィールドなのです。

 

結び ― 永遠の探求者として生きる

こうして見てくると、インド哲学の探求とは、ある特定のゴールに到達するための競争ではないことがわかります。それは、終わりなき道を、一歩一歩、風景を味わいながら歩み続ける巡礼の旅路に似ています。知れば知るほど、自分がまだ何も知らなかったことに気づかされる。ソクラテスの「無知の知」にも通じるこの謙虚な発見こそが、私たちを驕りから守り、さらなる探求へと駆り立てる原動力となるのです。

この本が、あなたの内なる探求の旅を始める、ささやかなきっかけとなったのであれば、著者としてこれに勝る喜びはありません。この縁側から再び立ち上がり、あなた自身の足で、あなた自身の道を歩み出してください。時には迷い、時には立ち止まることもあるでしょう。その時は、いつでもこの縁側に戻ってきて、一息ついてくだされば幸いです。

願わくは、インドの賢人たちが遺してくれた叡智の光が、あなたの人生の旅路を明るく照らし、あなたの心に、深く、穏やかな平安(シャーンティ)がもたらされますように。あなたの学びが、あなた自身を、そしてあなたの周りの世界を、より豊かに、より慈愛に満ちたものへと変えていくことを、心から信じています。

 

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ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。