私たちの生きる現代社会は、速度と効率、そして絶え間ない消費によって駆動されています。情報の洪水の中で、私たちの意識は常に外部へと向き、自己の内なる静寂に耳を澄ます時間は、まるで贅沢品のように扱われがちです。このような時代にあって、今から二千数百年前のインドに生まれ、静かに、しかし強靭に受け継がれてきた一つの思想体系が、私たちに根源的な問いを投げかけてきます。それが、ジャイナ教です。
ジャイナ教と聞くと、多くの人々は「アヒンサー(Ahiṃsā)」、すなわち「非暴力」という言葉を思い浮かべるかもしれません。口元を布で覆い、道を歩く際には小さな箒で地面を掃き清め、微細な生命さえも傷つけないよう配慮する出家者の姿は、その徹底した倫理観の象徴として知られています。しかし、この非暴力は、単なる博愛主義や感傷的な優しさから生まれたものではありません。それは、宇宙の構造と魂の本質に関する極めて精緻な哲学、そしてカルマという法則から自らを解き放つための、科学的とも言える厳格な自己規律の実践なのです。
本章では、この深遠なるジャイナ教の思想が、どのような歴史的土壌から芽生え、育まれてきたのかを探求します。その鍵を握るのが、「ティールタンカラ(Tīrthaṅkara)」と呼ばれる24人の偉大な先達たちと、その最後の指導者として教えを完成させたマハーヴィーラ(Mahāvīra)の存在です。彼らの足跡を辿る旅は、単なる過去の物語を知ることにとどまりません。それは、物質文明の只中で生きる私たちが、自らの生と世界のあり方を見つめ直すための、静かな、しかし力強い内なる対話の始まりとなるでしょう。
時間の中に刻まれた道標 – ティールタンカラの思想
ジャイナ教の歴史観は、西洋の直線的な時間概念とは大きく異なり、壮大な循環的宇宙論に基づいています。この宇宙は、創造主によって造られたものではなく、始まりも終わりもなく永遠に存在し続けます。そしてその時間は、繁栄の時代(上り坂の半周期)と衰退の時代(下り坂の半周期)が永遠に繰り返される、巨大な車輪のように捉えられます。
この果てしない時間の流れの中で、人類の道徳が衰退し、真理が見失われそうになる時代に、必ず現れるとされるのがティールタンカラです。
ティールタンカラとは何か?
この言葉は、「ティールタ(Tīrtha)」と「カラ(kara)」という二つの語から成り立っています。「ティールタ」とは「渡し場」や「聖なる場所」を意味し、「カラ」は「作る者」を意味します。つまり、ティールタンカラとは、「渡し場を作る者」なのです。
何を渡すための渡し場なのでしょうか。それは、私たちが生まれ変わりを繰り返す苦しみの海、すなわち「サムサーラ(Saṃsāra)」の激流です。ティールタンカラは、神のような超越的な存在ではありません。彼らは、私たちと同じように人間として生まれ、自らの努力と厳しい修行によって、魂を覆い隠すカルマの塵をすべて払い落とし、完全な知識(ケーヴァラ・ジュニャーナ)を得て、輪廻のサイクルから完全に解放された(モークシャ)人物です。そして、その完成された境地から、苦しみの海を渡るための安全な「渡し場」、すなわち解脱への道を、他の人々に向けて築き、教えを示すのです。
彼らは救済者ではなく、あくまで道を示す者です。ジャイナ教の根本には、神への祈りや恩寵によって救われるのではなく、自らの意志と実践によってのみ魂は浄化され、解脱に至ることができるという、徹底した自力救済の思想があります。ティールタンカラは、その道を自らの人生をもって体現した、究極のロールモデルであり、コンパスのような存在なのです。この宇宙的な時間サイクルの一周期には、必ず24人のティールタンカラが現れるとされています。
最初のティールタンカラ、リシャバナータ
24人の系譜の最初に位置するのが、リシャバナータ(Ṛṣabhanātha)、あるいはアーディナータ(Ādinātha、「最初の主」)とも呼ばれる人物です。彼は、この現在の衰退期において、人類がまだ無秩序な生活を送っていた時代に現れたとされます。そして、人々に農業、文字、算術、結婚制度といった社会生活の基盤となる文明の知恵を授けた文化英雄として描かれます。
これは非常に示唆的です。ジャイナ教の教えが、単に世俗を捨てた出家者のためのものではなく、人間社会全体の秩序と繁栄の基盤に関わる普遍的な思想であることを物語っています。歴史的な実在を証明することは困難ですが、ヒンドゥー教のヴェーダ聖典の一つ『リグ・ヴェーダ』や『ヴィシュヌ・プラーナ』にも、リシャバという名の賢者が言及されており、その起源が極めて古いことを示唆しています。彼の象徴は「牡牛」であり、これは農業や力強さ、そして安定した社会の礎を象徴しているのかもしれません。
歴史の光の中へ – 23番目のパーシュヴァナータ
24人のティールタンカラのうち、ほとんどは神話的な時間の彼方に位置しますが、歴史の光の中にその姿を現すのが、23番目のティールタンカラ、パーシュヴァナータ(Pārśvanātha)です。多くの研究者は、彼を紀元前9世紀から8世紀頃に実在した歴史上の人物と考えています。
伝説によれば、彼は現在のヴァーラーナシーの王子として生まれ、30歳で出家し、84日間の瞑想の後に完全な知識を得ました。そして、70年間にわたって教えを説き、100歳で入滅したと伝えられます。
パーシュヴァナータの教えの核心は、「チャトゥルヤーマ(Cāturyāma)」として知られる四つの誓戒でした。
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アヒンサー(Ahiṃsā):不殺生。いかなる生命をも傷つけない。
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サティヤ(Satya):不妄語。偽りを言わない。
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アステーヤ(Asteya):不盗。与えられていないものを取らない。
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アパリグラハ(Aparigraha):不所有。必要以上のものを持たない。
彼の教えは、ニルグランタ(Nirgrantha、「束縛から解放された者」)と呼ばれる修行者の集団によって受け継がれていました。パーシュヴァナータの歴史的実在が確実視されていることは、マハーヴィーラが全くのゼロから新しい宗教を創始したのではなく、既に存在していた古いシュラマナ(沙門、非バラモン系の自由思想家)の伝統を受け継ぎ、それを改革し、完成させた改革者であったことを示しています。彼は過去の伝統に敬意を払いながら、時代の要請に応える形で、その教えをより精密で完全なものへと昇華させたのです。
マハーヴィーラ – 最後の渡し守、偉大なる英雄
そして、24人の渡し守の系譜を締めくくる最後の偉人こそ、ヴァルダマーナ(Vardhamāna)、後のマハーヴィーラです。
時代の息吹:紀元前6世紀のインド
マハーヴィーラが生きた紀元前6世紀のインドは、まさに知の爆発とも呼べる激動の時代でした。ガンジス川中流域では、アーリア人の部族社会が解体され、マガダ国やコーサラ国といった強力な王国が台頭し、都市文化と商業が急速に発展していました。この社会変動は、人々の価値観を大きく揺さぶります。旧来のバラモン教が司る祭祀儀礼は、その形式主義と動物供犠を伴う側面から、特に新しい都市の商人階級やクシャトリヤ階級から批判的な目で見られるようになっていました。
このような時代背景のもと、ヴェーダの権威に縛られない自由な思想家たち、すなわちシュラマナたちが数多く現れました。彼らは、人生の苦しみの原因と、そこからの解脱の方法を、祭祀ではなく、自己の内面への探求、すなわち瞑想や苦行、哲学的な思索によって見出そうとしました。仏教の開祖であるゴータマ・ブッダも、このシュラマナの一人であり、マハーヴィーラはまさに彼の同時代人だったのです。両者は、既存の権威に異を唱え、個人の努力による解脱の道を説いたという点で、この時代の精神を共有していました。
ヴァルダマーナの生涯
ヴァルダマーナは、現在のビハール州にあったヴァイシャーリー近郊のクンダプラマに、クシャトリヤ階級の王子として生まれました。何不自由ない豊かな生活を約束されていましたが、彼は幼い頃から深い思索に耽り、世の無常と苦悩から逃れる道を模索していました。そして、両親の死後、兄の許しを得て30歳の時に全ての財産と社会的地位を捨て、出家します。
ここから、彼の12年半にわたる壮絶な探求の旅が始まります。その苦行は、私たちの想像を絶するものでした。彼は衣服を捨てて裸形となり、暑さ、寒さ、虫の害、人々からの侮辱や暴力を、一切動じることなく受け入れました。食事は托鉢によって得られるわずかなものに限り、長期間の断食を幾度となく行いました。
彼の苦行は、単なる自己虐待や精神力を試すための試練ではありませんでした。ジャイナ哲学によれば、私たちの魂(ジーヴァ)は本来、無限の知識、無限の知覚、無限の力、無限の至福に満ちた純粋な存在です。しかし、過去の行い(カルマ)によって生じた微細な物質の粒子が、まるで埃が鏡を覆うように魂に付着し、その本来の輝きを曇らせているとされます。マハーヴィーラの苦行は、この魂にこびりついたカルマの粒子を、内なる熱(タパス)によって焼き尽くし、浄化するための、極めて論理的で意図的なプロセスだったのです。彼は自らの身体を実験室として、カルマの法則を解明し、それを滅尽する方法を実証しようとしたのです。
覚り、そして「ジナ(勝利者)」へ
12年半にわたる苦行の末、42歳の時、彼はついに魂を覆う全てのカルマを滅し、完全なる知識(ケーヴァラ・ジュニャーナ)を得ました。過去、現在、未来のすべてを見通し、宇宙のあらゆる事象を同時に認識できる境地です。この瞬間から、彼は「マハーヴィーラ(偉大な英雄)」、そして「ジナ(Jina、勝利者)」と呼ばれるようになります。
「ジナ」とは、外的な敵に打ち勝った者ではなく、自己の内なる敵、すなわち怒り、慢心、欺瞞、貪欲といった情念(カシャーヤ)に完全に打ち克った者を意味します。この「内なる勝利」こそがジャイナ教の目指す境地であり、「ジャイナ」という名称も、この「ジナの教え」に由来しています。
覚りを開いたマハーヴィーラは、その後30年間にわたり、ガンジス川流域の各地を遊行し、王族から庶民まで、あらゆる階層の人々に解脱への道を説きました。そして72歳の時、パーヴァープリー(現在のビハール州)にて最後の説法を終え、肉体を離れ、完全な解脱(ニルヴァーナ)を達成したと伝えられています。
マハーヴィーラの改革:五つの大誓戒
マハーヴィーラは、先達であるパーシュヴァナータの教えを土台としながらも、それをより厳密なものへと改革しました。彼は、パーシュヴァの四つの誓戒に、新たに一つの戒律を加え、「五つの大誓戒(マハーヴラタ)」として確立したのです。
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ブラフマチャリヤ(Brahmacarya):不淫。性的行為を含む一切の感覚的快楽を断つこと。
なぜ「不淫」が独立した戒律として加えられたのでしょうか。これは、カルマの流入を防ぎ、魂を浄化するためには、感覚的な快楽への執着こそが最も強力な束縛であると見抜いたからです。これにより、教えはより禁欲的で厳格なものとなり、解脱への道筋がさらに明確化されました。
また、彼は教団(サンガ)を、男性出家者(サードゥ)、女性出家者(サードゥヴィ)、男性在家信者(シュラーヴァカ)、女性在家信者(シュラーヴィカー)という四つの集団に明確に組織しました。これにより、出家者だけでなく、社会生活を営む在家信者も、それぞれの立場に応じた形で教えを実践し、教団を支えることができるようになり、ジャイナ教が二千数百年以上も存続するための強固な基盤が築かれたのです。
渡し守たちの遺産
ジャイナ教の歴史観は、24人のティールタンカラによって紡がれてきた、壮大なリレーのようなものです。それは、宇宙の真理が、一人の天才によって突如として啓示されるのではなく、悠久の時を経て、偉大な魂たちによって受け継がれ、磨き上げられてきたことを示しています。
彼らの物語は、ジャイナ教徒にとって、単なる過去の伝説ではありません。それは、自分たちが今立っている場所を照らし、進むべき道を指し示す、生きた聖なる歴史(ユニバーサル・ヒストリー)なのです。この壮大な時間軸の中に自らを位置づけることで、個人の生涯における苦悩や困難は相対化され、解脱という究極の目標に向かって歩み続けるための、揺るぎない精神的な支柱となります。
マハーヴィーラは、その長く偉大な伝統の最終走者であり、完成者でした。彼の生涯と教えは、物質的な豊かさや感覚的な快楽の追求が、必ずしも真の幸福には繋がらないという、時代を超えた真理を私たちに突きつけます。それは、外部の環境や他者を変えようとする前に、まず自己の内なる情念を克服することこそが、真の自由への道であるという、静かな、しかし力強い宣言です。
ジャイナ教の起源と歴史を学ぶことは、私たち自身の生き方、欲望との向き合い方、そして他者や自然界のあらゆる生命との関わり方を見つめ直すための、貴重な鏡を与えてくれます。ティールタンカラたちが築いた「渡し場」は、二千数百年後の今もなお、苦しみの海を渡ろうとするすべての人々のために、静かに開かれているのです。
ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。






