肉体と魂 – 二つの異なる本質 – ヴェーダーンタ哲学の精髄

ヨガを学ぶ

バガヴァッド・ギーターの第二部、「आत्मसंस्थं(アートマサンスタン)」は、揺るぎない自己、すなわち魂の不滅性と、それに基づくカルマヨガ(行為のヨーガ)の道筋を深く探求する章です。その冒頭でクリシュナは、アルジュナの戦意喪失と悲嘆の根源にある、肉体と魂の本質的な混同を鋭く指摘します。このセクションは、バガヴァッド・ギーター全体の思想的基盤をなすヴェーダーンタ哲学の精髄に触れ、私たちが抱える苦悩の根本原因と、そこからの解放への道筋を明らかにする極めて重要な箇所と言えるでしょう。

 

ヴェーダーンタ哲学の潮流:ウパニシャッドの叡智とギーター

まず、ヴェーダーンタ哲学の歴史的背景と思想的潮流を理解することが、このセクションの深い理解に不可欠です。ヴェーダーンタとは、文字通りには「ヴェーダの終末」または「ヴェーダの究極の知識」を意味し、古代インドの聖典であるヴェーダの中でも、特にその哲学的思索が深められたウパニシャッド(奥義書)の教えを基盤としています。

ウパニシャッド哲学は、紀元前8世紀頃から紀元前5世紀頃にかけて形成され、宇宙の根本原理である**ブラフマン(梵)と、個人の本質であるアートマン(我)**との関係性を探求しました。その核心的な教えは、「梵我一如」、すなわちブラフマンとアートマンは本質的に同一であるという認識です。この宇宙に遍満する唯一絶対の存在がブラフマンであり、私たち一人ひとりの中に存在する個の魂(アートマン)もまた、そのブラフマンの一部、あるいはブラフマンそのものであるという深遠な思想です。

バガヴァッド・ギーターは、このウパニシャッドの叡智を汲みつつ、それをより実践的な形で、戦場という極限状況に置かれたアルジュナの葛藤を通して提示しています。ギーターは、抽象的な哲学的探求に留まらず、日常生活の中で私たちが直面する迷いや苦しみに対して、具体的な行動指針と心の持ち方を示唆しているのです。

 

肉体(シャリーラ):変化し滅びゆくもの

クリシュナがまずアルジュナに説くのは、彼が「殺してしまう」と嘆いている対象、すなわち親族や師たちの**肉体(シャリーラ)**の本質です。ヴェーダーンタ哲学において、肉体は以下のような性質を持つと理解されます。

  • 非永続性(アニッティヤ): 肉体は常に変化し続け、最終的には死を迎え、滅びゆく運命にあります。生まれてから成長し、老い、そして死に至るというプロセスは、誰しもが逃れることのできない自然の摂理です。この変化と消滅は、肉体に固有の性質であり、本質的なものではありません。

  • 物質性(プラクリティ): 肉体は、サーンキヤ哲学に由来する概念であるプラクリティ(根本原質)から派生した五大元素(地、水、火、風、空)や感覚器官、運動器官など、物質的な要素によって構成されています。これらは常に変化し、組み合わせを変えながら現象世界を形成しています。

  • 苦悩の源泉(ドゥッカ): 肉体を持つがゆえに、私たちは病気、老い、怪我、そして死といった苦しみを経験します。また、感覚器官を通して外部世界と接触することで、快楽と苦痛、好き嫌いといった二元的な感情に翻弄され、心の平安を失いがちです。

  • 道具としての側面: 一方で、肉体は魂がこの物質世界で経験を積み、カルマを解消し、最終的には解脱に至るための重要な道具でもあります。肉体がなければ、私たちはダルマ(義務・天命)を遂行することも、ヨーガを実践することもできません。

クリシュナは、アルジュナが肉体の死を恐れ、悲しんでいるのは、この変化し滅びゆく肉体を「自分自身」あるいは「他者の本質」と誤認しているからだと指摘します。愛する者たちの肉体が失われることへの悲しみは人間として自然な感情ですが、それが永遠の別離であり、存在そのものの消滅であると捉えることは、真理を見誤った認識であると諭すのです。

 

魂(アートマン):不生不滅、永遠なる実在

肉体とは対照的に、クリシュナは**魂(アートマン)**の本質について語ります。アートマンこそが個人の真の本質であり、その性質は肉体とは全く異なります。

  • 永遠性・不滅性(ニッティヤ): アートマンは始まりも終わりもなく、生まれることも死ぬこともありません。武器で傷つけられることも、火で焼かれることも、水で濡らされることも、風で乾かされることもありません。それは常に存在し続ける、永遠不滅の実在です。

  • 非物質性・純粋意識(プルシャ): アートマンは物質的な要素から構成されておらず、プラクリティ(物質)の領域を超越した存在です。それは純粋な意識そのものであり、変化する現象世界の背後にある不動の観察者(サークシン)であるとされます。

  • 遍在性(サルヴァガタ): アートマンは特定の肉体に限定されるものではなく、あらゆる存在の中に遍く存在しています。これは「梵我一如」の思想とも深く関連しており、個々のアートマンは宇宙の根本原理であるブラフマンと本質的に同一であると理解されます。

  • 行為の主体ではない: 真のアートマンは、行為の主体でも結果の享受者でもありません。行為を行うのは、プラクリティの性質である三つのグナ(サットヴァ・ラジャス・タマス)の影響を受けた心や感覚器官であり、アートマンはそれらの活動を照らし出す光のような存在です。

クリシュナは、この不生不滅なるアートマンの真理を理解することこそが、死への恐怖や悲しみから解放される道であると説きます。アルジュナが殺そうとしているのは、あくまで変化し滅びゆく肉体であり、その中に宿る永遠の魂を傷つけることは誰にもできないのです。この認識に至れば、戦場で親族を殺すという行為に対する罪悪感や悲嘆も、その根拠を失うことになります。

 

無知(アヴィディヤー)と執着(ラーガ):苦悩の根源

では、なぜ私たちはこの肉体と魂の明確な違いを認識できず、苦悩するのでしょうか。ヴェーダーンタ哲学、そしてギーターが指摘するのは、**無知(アヴィディヤー)執着(ラーガ)**の存在です。

  • 無知(アヴィディヤー): これは、真実の知識の欠如、特にアートマンの不滅性と肉体の非永続性という本質的な違いを理解していない状態を指します。私たちは、無意識のうちに、変化し滅びゆく肉体を「私」と同一視し、感覚的な経験や物質的な所有物を自己のアイデンティティと結びつけてしまいます。この根本的な誤認が、あらゆる苦悩の出発点となります。

  • 執着(ラーガ): 無知から生じるのが、様々な対象への執着です。自分の肉体への執着、他者の肉体(愛する人々)への執着、財産や地位といった物質的なものへの執着、快楽への執着などがこれにあたります。執着は、対象が失われることへの恐怖や、得られないことへの不満を生み出し、心を不安定にします。アルジュナの苦悩も、親族や師への強い執着と、彼らを失うことへの恐怖から生じています。

クリシュナは、この無知と執着の鎖を断ち切ることの重要性を強調します。そのためには、まず知識(ギャーナ)によって、肉体と魂の真の本質を理解し、それらを明確に区別する識別知(ヴィヴェーカ)を養う必要があります。

 

知恵の目(ギャーナ・チャクシュス)を開く

クリシュナがアルジュナに、そして私たち読者に促すのは、「知恵の目(ギャーナ・チャクシュス)」を開くことです。肉眼で見える世界は、変化し消えゆく仮の姿に過ぎません。真理は、内なる知恵の目を通してのみ認識することができます。

この知恵の目を開くためには、以下のようなプロセスが考えられます。

  1. 聖典の学習(シュラヴァナ): ヴェーダやウパニシャッド、そしてバガヴァッド・ギーターのような聖典の教えに耳を傾け、学ぶこと。師からの指導を受けることも重要です。

  2. 思索・熟考(マナナ): 学んだ教えについて深く考え、論理的に理解を深めること。単なる知識の暗記ではなく、自身の経験と照らし合わせながら内省することが求められます。

  3. 瞑想・実践(ニディディヤーサナ): 理解した真理を、瞑想を通して体験的に確信すること。ヨーガの実践を通して心を浄化し、集中力を高め、自己の本質であるアートマンを直接的に認識することを目指します。

クリシュナの言葉は、アルジュナが抱える個人的な苦悩を超え、普遍的な人間の苦しみとその解決への道を示しています。私たちは皆、程度の差こそあれ、肉体と魂を混同し、無知と執着に囚われて生きています。しかし、ギーターは、知恵の光によってその無明の闇を打ち破り、真の自己(アートマン)に目覚めることができると教えています。

 

カルマヨガへの布石としての魂の不滅性

この肉体と魂の区別、そして魂の不滅性の教えは、続くカルマヨガの教えへと繋がる重要な布石となります。もし魂が不滅であるならば、行為の結果に対する過度な執着や恐れは意味をなさなくなります。なぜなら、真の自己であるアートマンは、行為の結果によって影響を受けることがないからです。

行為の主体はあくまでプラクリティの領域に属するものであり、アートマンはその活動を超越した存在です。この理解が深まることで、私たちは結果への期待や恐れから解放され、ダルマ(義務・天命)に従って、見返りを求めることなく行為に集中することができるようになります。これが、ギーターが説くカルマヨガの核心です。

 

現代社会における意義:アイデンティティの再構築

現代社会において、私たちは物質的な豊かさや外見、社会的地位といった、移ろいやすいものに自己の価値やアイデンティティを求めがちです。しかし、バガヴァッド・ギーターが説く肉体と魂の区別は、そのような表面的な価値観に揺さぶられない、より深く、安定した自己認識を与えてくれます。

真の自己は、肉体や肩書き、所有物といった外部の条件によって規定されるものではありません。それは、私たちの内奥に存在する、永遠不滅の純粋な意識です。この認識に立つとき、私たちは他者との比較や競争から解放され、より本質的な価値観に基づいて生きることができるようになります。

また、死への恐怖は、人間が抱える根源的な不安の一つです。しかし、魂の不滅性を理解することで、死は肉体の終わりではあっても、存在そのものの終わりではないという安堵感を得ることができます。これは、愛する人を失った悲しみを乗り越える上でも、大きな支えとなるでしょう。

 

結論:揺るぎない自己への目覚め

バガヴァッド・ギーター第二部の冒頭で説かれる「肉体と魂の二つの異なる本質」は、単なる哲学的な概念に留まらず、私たちの生き方そのものを変容させる力を持つ深遠な教えです。クリシュナは、アルジュナの絶望的な状況を通して、私たち一人ひとりが抱える迷いや苦しみの根源を明らかにし、そこからの解放の道を示しています。

変化し滅びゆく肉体ではなく、永遠不滅の魂(アートマン)こそが真の自己であるという認識は、私たちを死への恐怖や悲しみ、そして様々な執着から解放し、心の平安と自由をもたらします。そして、この揺るぎない自己への目覚めこそが、バガヴァッド・ギーターが指し示す、真の幸福と解脱への第一歩となるのです。このヴェーダーンタ哲学の精髄を心に刻み、日々の生活の中で実践していくことが、ギーターの教えを真に理解し、その恩恵を享受するための鍵となるでしょう。私たちは、この古代の叡智に学び、現代社会の喧騒の中で見失いがちな、内なる静寂と永遠の光を見出す旅を始めることができるのです。

 

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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。