輪廻転生と解脱 – バガヴァッド・ギータが示す、魂の旅路

ヨガを学ぶ

私たちはどこから来て、どこへ行くのか。この生は一度きりのものなのか、それとも繰り返される旅の一コマなのか。そして、もし繰り返されるのであれば、そのサイクルから抜け出す道はあるのだろうか。これらの根源的な問いは、古来より人類が抱き続けてきた深遠なテーマであり、多くの宗教や哲学がそれぞれの仕方で答えを提示してきました。その中でも、古代インドの叡智の結晶である『バガヴァッド・ギータ』は、「輪廻転生(サンサーラ)」と「解脱(モークシャ)」という二つの概念を通じて、生命の神秘と魂の究極的な目的について、力強く、そして慈愛に満ちたメッセージを私たちに投げかけています。

本章では、『バガヴァッド・ギータ』が描き出す壮大な魂の旅路を辿りながら、輪廻転生のメカニズム、その苦しみからの解放である解脱とは何か、そして、その境地に至るための道筋について深く考察してまいります。この探求は、単に古代の思想を学ぶということにとどまらず、現代を生きる私たちが直面する苦悩や不安、そして人生の意味を見出すための重要な手がかりを与えてくれることでしょう。

 

サンサーラ:終わりのない魂の遍歴

『バガヴァッド・ギータ』をはじめとするインドの諸聖典が説く「輪廻転生(サンサーラ)」とは、生命が死後、新たな肉体を得て再びこの世に生れ変わり、生と死のサイクルを無限に繰り返すという考え方です。サンスクリット語で「サンサーラ(saṃsāra)」とは「流転」や「遍歴」を意味し、まさに魂が様々な生を渡り歩く、終わりのない旅を象徴しています。

この輪廻のサイクルは、なぜ生じるのでしょうか。『バガヴァッド・ギータ』は、その根源に「無知(アヴィディヤー, avidyā)」と、それによって生じる「欲望(カーマ, kāma)」、そして欲望に基づく「行為(カルマ, karma)」があると指摘します。私たちは、自らの真の本性(アートマン、真我)が永遠不滅であり、至高の実在(ブラフマン)と同一であるという真理を知らず、肉体や感覚、心といった移ろいゆく現象的な自己を本当の自分であると誤認しています。この無知から、様々な欲望が生じ、その欲望を満たすため、あるいは避けようとして行為を重ねていきます。

ギータの第二章で、クリシュナはアルジュナにこう諭します。

「感覚の対象に思いを馳せる者には、それらに対する執着が生じる。執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生じる。怒りから迷妄が生じ、迷妄から記憶の混乱が生じる。記憶の混乱から理性の崩壊が生じ、理性の崩壊から人は破滅する。」(BG 2.62-63)

ここには、欲望がいかに心を曇らせ、私たちを苦しみのサイクルに縛り付けるかが明確に示されています。一つ欲望が満たされれば新たな欲望が生まれ、満たされなければ怒りや不満が生じる。このようにして、私たちは常に心の動揺に苛まれ、真の平安を得ることができません。そして、これらの行為(カルマ)は、その性質に応じて結果(果報)を生み出し、その果報を経験するために、私たちは新たな生へと導かれるのです。良い行いは良い結果を、悪い行いは悪い結果をもたらし、その結果の清算のために、魂は再び肉体という乗り物を得て、この現象世界に生まれ変わってくる、と考えられています。

このサンサーラの車輪は、ある意味では自然の摂理であり、魂が経験を積み、成長していくための舞台とも言えます。しかし、そこには常に「苦(ドゥッカ, duḥkha)」が伴います。生老病死という根源的な苦しみ、愛する者との別離、憎む者との出会い、望むものが得られない苦しみ、望まないものが与えられる苦しみ。これらは、私たちが肉体と自己を同一視し、現象世界に執着する限り、避けられないものです。ギータは、この苦しみの連鎖からの解放こそが、魂の究極的な目的であると示唆しています。

 

アートマン:滅びることなき永遠の魂

では、輪廻転生の主体である「魂」とは、一体どのようなものなのでしょうか。『バガヴァッド・ギータ』は、肉体が滅びても決して滅びることのない、永遠不滅の実体として「アートマン(ātman)」、すなわち「真我」の存在を強調します。これは、ヴェーダーンタ哲学の中心的な教義であり、ギータの思想的基盤をなすものです。

クリシュナは、戦場で親族を殺すことへの苦悩に打ちひしがれるアルジュナに対し、まずこのアートマンの不滅性を説くことから対話を始めます。

「賢者は、死んだ者をも生きている者をも嘆かない。かつて私が存在しなかった時も、そなたが存在しなかった時も、これらの諸王が存在しなかった時もなかった。そしてまた、我々すべてが、将来存在しなくなることも決してないのだ。」(BG 2.11-12)

「肉体を持つ者(アートマン)にとって、この肉体において幼年期、青年期、老年期があるように、他の肉体を得ることもまた同様である。賢者はそのことで惑わされない。」(BG 2.13)

これらの言葉は、死とは肉体という衣服を着替えるようなものであり、魂そのものは永遠に存在し続けるという真理を明らかにしています。さらにクリシュナは、アートマンの性質について具体的に描写します。

「武器もこれを傷つけること能わず、火もこれを焼くこと能わず、水もこれを濡らすこと能わず、風もこれを乾かすこと能わぬ。これは切断されず、焼かれず、濡らされず、乾かされることもない。これは永遠であり、遍在し、安定し、不動であり、太古より存在する。」(BG 2.23-24)

このアートマンこそが、私たちの本質であり、真の自己です。私たちが日常的に「私」と認識している肉体、感覚、思考、感情などは、アートマンが現象世界で活動するための道具や媒体に過ぎません。それらは常に変化し、生滅を繰り返しますが、アートマン自身はそれらの変化に影響されることなく、永遠に輝き続ける純粋な意識、存在、至福(サット・チット・アーナンダ, sat-cit-ānanda)そのものであるとされます。

このアートマンの理解は、輪廻転生と解脱を考える上で不可欠です。なぜなら、私たちが苦しみのサイクルから解放されるためには、移ろいゆく現象的な自己への同一化を断ち切り、永遠不滅の真我であるアートマンに目覚める必要があるからです。ギータは、この真我探求の道こそが、苦しみを超えた真の自由と平安へと私たちを導くと教えています。

 

モークシャ:輪廻からの究極の解放

輪廻転生の苦しみから永遠に解き放たれ、アートマンがその本来の至福の状態に帰還すること、それが「解脱(モークシャ, mokṣa)」です。モークシャは、インドの諸宗教・哲学における究極の目標(プルシャールタ, puruṣārthaの一つ)とされ、『バガヴァッド・ギータ』もまた、この解脱への道を指し示しています。

では、解脱とは具体的にどのような状態なのでしょうか。それは単に死後の世界での幸福を意味するのではありません。ギータが示す解脱は、生きているうちにも達成可能な「ジーヴァンムクティ(jīvanmukti, 生前解脱)」をも含みます。それは、無知が消滅し、アートマンとブラフマン(宇宙の根本原理、至高の実在)が一体であるという真理を悟り、あらゆる執着や二元的な対立(好き嫌い、快不快など)から解放され、完全な自由と平安、そして愛に満たされた境地です。

解脱した者は、もはやカルマの法則に縛られることはありません。なぜなら、彼らは行為の結果に対する執着を持たず、行為そのものを至高者への捧げものとして行うからです。彼らの心は常に平静であり、外界の出来事に一喜一憂することなく、内なる至福に満たされています。

ギータは、このモークシャに至るための具体的な道として、主に三つのヨーガを提示しています。

  1. カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ):行為の結果に対する執着を捨て、義務(ダルマ)を遂行することに専念する道。行為そのものをヨーガとして捉え、自己の利益のためではなく、宇宙の調和や他者のために献身的に行動することで、心を浄化し、解脱へと近づきます。クリシュナは、「汝には行為する権利のみがある。その結果に対しては決してない。行為の結果を動機としてはならない。また、無為に執着してもならない」(BG 2.47)と説き、結果への期待や執着を手放すことの重要性を強調します。

  2. ギャーナ・ヨーガ(知識・智慧のヨーガ):真我(アートマン)と至高の実在(ブラフマン)に関する正しい知識を得て、瞑想を通じてそれを体得する道。サンキーヤ哲学的な分析を通じて、現象世界と真の実在を弁別し、自己の本性が肉体や心ではなく、永遠不滅のアートマンであることを深く理解することで、無知から解放されます。ギータ第四章では、「知識の火は、すべての行為(カルマ)を灰にする」(BG 4.37)と述べられ、智慧がカルマの束縛を断ち切る力を持つことが示されています。

  3. バクティ・ヨーガ(信愛・献身のヨーガ):至高神(ギータにおいてはクリシュナ自身)に対する絶対的な愛と献身を捧げる道。神への祈り、礼拝、奉仕などを通じて、エゴを滅却し、神との一体感を深めていきます。この道は、感情豊かで、神への愛に生きることを喜びとする人々にとって、より自然で実践しやすい道と言えるでしょう。ギータ第十二章でクリシュナは、「私に心を集中し、私に理性を捧げなさい。そうすれば、死後、疑いなく私のもとに住むであろう」(BG 12.8)と、バクティの道を勧めています。

これら三つのヨーガは、それぞれ独立した道であると同時に、相互補完的な関係にもあります。『バガヴァッド・ギータ』の教えの深遠さは、これらのヨーガを統合し、個々の気質や状況に応じて実践できるよう、柔軟な道を示している点にあると言えるでしょう。最終的には、これらのヨーガの実践を通じて、心は浄化され、エゴは希薄になり、魂は輪廻のサイクルから解き放たれ、永遠の至福であるモークシャを実現するのです。

 

カルマの法則:魂の旅路を導く宇宙の秩序

輪廻転生と解脱を理解する上で、避けて通れないのが「カルマ(karma)」の法則です。カルマとは、サンスクリット語で「行為」を意味しますが、単に行為そのものを指すだけでなく、行為が引き起こす結果や、その結果をもたらす宇宙的な因果律全体を包含する概念です。

「蒔いた種は刈り取らねばならない」という言葉があるように、私たちのあらゆる行為(身体的行為、言語的行為、精神的行為)は、目に見えないエネルギーの種を蒔き、それがやがて何らかの形で結果(果報)として現れる、というのがカルマの基本的な考え方です。善い行為は幸福な結果を、悪い行為は不幸な結果をもたらし、この結果を経験するために、魂は次の生へと導かれます。

しかし、カルマの法則は、単なる宿命論や決定論ではありません。『バガヴァッド・ギータ』は、私たちが過去のカルマの影響を受けつつも、現在の自由意志によって新たなカルマを創造し、未来を変えていくことができると教えています。つまり、私たちはカルマの法則に縛られるだけの存在ではなく、その法則を理解し、賢明に行動することで、自らの運命をより良い方向へと導き、最終的にはカルマのサイクルそのものから解放される可能性を持っているのです。

ギータが強調するのは、行為の結果に対する執着を捨てる「ニシュカーマ・カルマ(niṣkāma-karma, 無執着の行為)」です。結果を期待せず、行為そのものを義務として、あるいは神への奉仕として行うことで、新たなカルマの束縛を生み出すことなく、むしろ過去のカルマを浄化していくことができると説きます。

「ヨーガに堅く立って、執着を捨てて行為をせよ、アルジュナよ。成功と不成功において平等であれ。ヨーガとは心の平静(サマットヴァ, samatva)であると言われる。」(BG 2.48)

この「サマットヴァ(心の平静、平等性)」こそが、カルマヨーガの核心です。成功に驕らず、失敗に落胆せず、あらゆる結果を平静に受け入れる心境を養うことで、私たちはカルマの波に翻弄されることなく、魂の解放へと着実に進むことができるのです。

ギータはまた、行為には三つのグナ(性質、様態)であるサットヴァ(純粋性、調和)、ラジャス(活動性、激情)、タマス(暗黒性、惰性)が影響していると説きます(第十四章、第十七章、第十八章など)。私たちの思考、感情、行動は、これらのグナの組み合わせによって特徴づけられ、それがまた新たなカルマを生み出します。サットヴァ的な行為は平安と知識をもたらし、ラジャス的な行為は欲望と苦しみをもたらし、タマス的な行為は無知と怠惰をもたらします。したがって、解脱を目指す者は、サットヴァの質を高め、ラジャスとタマスの影響を克服していくことが求められます。

このように、カルマの法則は、魂が経験を通じて学び、成長し、最終的には輪廻のサイクルから解放されるための、精妙かつ公正な宇宙の秩序と言えるでしょう。

 

ギータが示す魂の旅路:迷いから確信へ

『バガヴァッド・ギータ』は、戦場で苦悩するアルジュナと、彼を導くクリシュナとの対話という形で、この輪廻転生と解脱に至る魂の壮大な旅路を描き出しています。その教えは、特定の章句に限定されるものではなく、全編を通じて様々な角度から繰り返し語られ、深められていきます。

例えば、第八章「不滅なるブラフマンのヨーガ」では、死の瞬間に何を思うかによって次の生が決まるという、輪廻の具体的なメカニズムが説かれます。

「最後の瞬間に、私(クリシュナ)のみを念じながら肉体を離れる者は、私の実在に至る。これに疑いはない。クンティーの子よ、人が最後にどのような存在を念じながら肉体を捨てるか、常にその存在を想ってきた彼は、その存在(と同じもの)に至る。」(BG 8.5-6)

これは、日頃からの心の持ちよう、信仰、そして瞑想の重要性を示唆しています。常に至高者を想い、心を浄化し続けていれば、死の瞬間にもその想念が揺らぐことなく、魂はより高次な次元、あるいは解脱へと導かれるのです。

また、第十三章「場と場の知者との区別のヨーガ」では、身体(クシェートラ, kṣetra, 場)と魂(クシェートラジュニャ, kṣetrajña, 場の知者)の明確な区別が説かれ、真の知識とはこの二つを識別することであると強調されます。この識別知こそが、私たちを身体への束縛から解放し、アートマンとしての自己に目覚めさせる鍵となります。

「クンティーの子よ、この身体は場(クシェートラ)と呼ばれる。これを知る者を、真理を知る人々は場の知者(クシェートラジュニャ)と呼ぶ。」(BG 13.1)

「すべての場において、私を場の知者として知りなさい、バーラタよ。場と場の知者についての知識こそが、真の知識であると私は考える。」(BG 13.2)

そして、第十五章「至高のプルシャのヨーガ」では、この現象世界が、根を上に、枝を下に伸ばした逆さまのアシュヴァッタ樹(聖なる菩提樹)に譬えられます。この樹はヴェーダの讃歌によって養われ、三つのグナによって枝葉を茂らせ、感覚の対象を芽としています。この輪廻の樹の根源は、この世では認識できず、その始まりも終わりも、そして確固たる基盤も見出すことはできません。クリシュナは、この深く根を張ったアシュヴァッタ樹を、強固な「無執着」という斧で断ち切らなければならないと説きます(BG 15.1-3)。そして、その後にこそ、そこへ行けば二度と戻ってくることのない究極の境地を探求すべきであり、そこからこの太古からの宇宙の働きが展開した原初のプルシャ(至高の霊)に帰依すべきであると教えます。

このように、『バガヴァッド・ギータ』は、詩的で象徴的な表現を交えながら、輪廻の束縛の構造と、そこからの脱出の道筋を繰り返し示しています。それは、単なる哲学的な論考ではなく、迷える魂への慈愛に満ちた呼びかけであり、実践的な導きなのです。

 

現代における魂の旅路:ギータの智慧を灯火として

『バガヴァッド・ギータ』が説く輪廻転生と解脱の教えは、数千年の時を超えて、現代を生きる私たちにとっても深い意義を持っています。科学技術が飛躍的に進歩し、物質的な豊かさを享受できるようになった一方で、多くの人々が精神的な空虚感や生きる意味の喪失、ストレスや不安に悩まされています。このような時代において、ギータの智慧は、私たちの内なる声に耳を傾け、真の幸福とは何かを再考するきっかけを与えてくれます。

輪廻転生の教えは、私たちの視野を現世だけに限定することなく、より長期的な視点から人生を捉えることを可能にします。それは、死に対する過度な恐怖を和らげ、日々の出来事に一喜一憂することなく、魂の成長という大きな目的意識を持つことを促します。また、カルマの法則を理解することは、自己の行動に責任を持ち、他者や環境に対してより思いやりのある態度で接することの重要性を教えてくれます。

そして、解脱という究極の目標は、私たちが物質的な成功や一時的な快楽の追求から解放され、内なる平安と永遠の至福を求める旅へと誘います。それは、自己中心的な生き方から、より利他的で、宇宙的な調和に貢献する生き方への転換を促すものです。ギータが示すカルマヨーガ、ギャーナヨーガ、バクティヨーガといった道は、現代社会の様々な状況や個人の気質に応じて、私たちが実践できる具体的な指針を提供してくれます。

もちろん、輪廻転生や解脱といった概念は、科学的な証明が難しいものであり、信じるか信じないかは個人の自由です。しかし、『バガヴァッド・ギータ』が示す魂の旅路の物語は、信条を超えて、私たち自身の内面を探求し、より意味のある、より調和のとれた人生を築くための普遍的な智慧を秘めているのではないでしょうか。

それは、私たちが日々の生活の中で、どれだけ自己の欲望や執着に気づき、それを手放す努力をしているか。どれだけ他者への思いやりを持ち、無私の心で行動できているか。そして、どれだけ自己の内なる静寂に耳を澄まし、真の自己との繋がりを深めようとしているか、という問いを私たちに投げかけます。

『バガヴァッド・ギータ』が描く魂の旅路は、遠い過去の神話ではなく、今、この瞬間を生きる私たち一人ひとりの物語でもあります。その旅の終着点である解脱は、手の届かない理想郷ではなく、日々の実践を通じて着実に近づくことのできる、魂の故郷なのかもしれません。この古代の叡智を灯火として、私たち自身の魂の旅路を、より意識的に、そして希望を持って歩んでいきたいものです。

 

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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。