【アパリグラハとは非所有】私たちは本当に何かを所有しているのか?―満たされない渇きからの解放

自己啓発

【アパリグラハとは非所有ということ】

私たちは「何を持っているか」で自分の価値を測り、「何を消費できるか」で自分の幸福度を確かめる。そんな社会の空気の中に、どっぷりと浸かって生きています。新しいスマートフォン、流行の服、SNSで誇示される華やかな体験。それらを手にいれることが、より良い人生への切符であるかのように、社会は絶えず私たちにささやきかけます。

しかし、その果てしない競争の先に、本当に心の平安はあるのでしょうか。一つの欲望が満たされても、すぐに次の「もっと良いもの」が現れ、私たちの心は再び渇きを覚える。この尽きることのない渇望感の正体とは、一体何なのでしょう。

この「所有」と「消費」を絶対的な価値とする現代社会の構造そのものに、静かに、しかし根源的な問いを投げかけ続けてきたのが、ヨガや仏教、老荘思想といった東洋に古くから伝わる智慧です。それらは、所有や消費とは全く異なる豊かさの尺度を提示し、私たちを真の自由へと導く道筋を示してくれます。

 

「所有」という儚い幻想

私たちは当たり前のように「私の家」「私の車」「私のお金」と言い、それらを自分のものだと信じています。しかし、その「所有」という概念は、本当に確かなものなのでしょうか。

仏教の根幹をなす教えの一つに、「無常(アニッチャ)」というものがあります。これは、この世に存在するあらゆるものは、例外なく常に変化し続けており、一瞬たりとも同じ状態に留まることはない、という真理を指します。どれほど頑丈に建てた家も、いつかは朽ちていきます。大切にしている身体でさえも、日々刻々と変化し、やがては土に還る運命にあります。この視点に立てば、「絶対的な所有」など、本質的に不可能であることに気づかされます。私たちは、あらゆるものを永遠に自分のものとして留めておくことはできないのです。

この真理を、ヨガの哲学は「アパリグラハ(不貪)」という実践的な教えに落とし込みました。これは、ヨガの八支則(アシュタンガ)に含まれる実践的な指針の一つで、必要以上のものを所有しない、貪らない、という意味です。しかし、これは単なる禁欲主義を勧めているのではありません。アパリグラハの本質は、モノへの執着から心を解放することによって、内的な自由を獲得することにあります。なぜなら、何かを「所有している」という感覚は、同時に「それを失うかもしれない」という恐怖を必ず生み出すからです。その恐怖が、私たちの心を縛り付け、平安を奪うのです。

東洋の思想では、この私たちの身体ですら、自然や宇宙からの「借り物」であると捉えることがあります。私たちはこの身体を「所有」しているのではなく、この世に生を受けた間だけ、大切に「お預かりしている」に過ぎない。この謙虚な感覚を、もし私たちが身の回りのモノに対しても持つことができたなら、モノへの執着は自然と和らぎ、より軽やかな心で生きることができるようになるでしょう。

 

消費社会のメカニズムとその呪縛

私たちが生きる資本主義社会は、人々の「もっと欲しい」という欲望を刺激し続けることで成り立っています。広告やマーケティングは、実に巧みに、私たちに「あなたはまだ足りない」「これがあれば、もっと幸せになれる」というメッセージを送り込んできます。一つの製品を手に入れて満足しても、すぐにモデルチェンジした新製品が発売され、私たちの欲望は再び掻き立てられる。この終わりなき欲望の無限ループこそが、「消費」というシステムの巧妙な罠なのです。

このシステムがもたらす深刻な問題は、自己肯定感の源泉を、自分の内側ではなく、外部のモノや記号に依存させてしまうことです。「あのブランドのバッグを持てば、私は価値ある人間になれる」「この高級リゾートに滞在すれば、成功者に見られる」。このようにして消費によって得られる自己肯定感の土台は、非常に脆いものです。なぜなら、それは常に他者との比較という不安定な土壌の上に成り立っており、自分より「上」の存在を前にすれば、たやすく崩れ去ってしまうからです。

さらに言えば、現代社会は、本来は人間関係の中で育まれるべき友情や愛情、あるいは共同体への所属感といったものまでをも、お金で買えるサービスとして商品化しています。私たちは、本来は時間と手間をかけて育むべき大切な繋がりさえも、手軽な「消費」の対象として捉えてはいないでしょうか。それは、人間関係における贈与や互酬性といった、お金では測れない豊かな価値を見失わせる危険性をはらんでいます。

 

脱却への道―体験、関係性、そして内なる豊かさへ

では、この強力な「所有」と「消費」の引力から、私たちはどうすれば自由になれるのでしょうか。東洋の智慧は、いくつかの具体的な道筋を示してくれています。

一つは、「所有」から「使用」へと意識を転換することです。モノを自分のものとして囲い込むことに価値を置くのではなく、必要な時に必要なものを、誰かと共有しながら使う(シェアリングエコノミーもその一例です)。この発想は、モノとの関係性を、重たい執着から、より流動的で軽やかなものへと変えてくれます。

また、「消費」という受け身の姿勢から、「創造」という能動的な姿勢へとシフトすることも重要です。他人が作ったモノやサービスをただお金で買うのではなく、自らの手で何かを生み出す喜びを味わうのです。それは、手の込んだ料理を作ることでも、庭で野菜を育てることでも、文章を綴ることでも構いません。創造的な活動は、消費では決して得ることのできない、深く持続的な満足感を私たちにもたらしてくれます。

この生き方は、老荘思想が説く「無為自然」の精神に通じます。人為的に作り出された欲望や、社会が押し付ける価値観から距離を置き、自然の一部として、ただありのままに、素朴に生きる。それは、「もっと、もっと」という消費社会の強迫的なリズムとは全く異なる、ゆったりとした生命の本来のリズムを取り戻す試みです。

そして何よりも、ヨガや仏教が繰り返し説くのは、モノではなく、他者や自然との「関係性」の中にこそ、真の豊かさがあるということです。慈悲の心(メッター)を持って他者と接すること、誰かのために自分の時間や力を使うこと(利他)。人々との温かい繋がりや、コミュニティへの貢献の中にこそ、決して失われることのない、揺るぎない幸福の源泉があるのです。

所有からの脱却、消費からの脱却とは、決して貧しい生活を送ることや、楽しみを我慢することではありません。それは、私たちを長年縛り付けてきた「足りない」という幻想から目覚め、真の自由と豊かさを自分自身の内に再発見するための、静かな、しかし根本的な意識の革命なのです。

私たちは、何かを買い足さなくても、すでに満たされています。窓から見える夕日の美しさ、鳥のさえずり、友人との何気ない語らい、そして、今この瞬間も静かに続いている自分自身の呼吸。
これらの、お金では決して買うことのできない価値に気づくとき、私たちは消費社会という巨大なゲームから一歩降り、自分自身の足で、自分だけの豊かな人生を歩み始めることができるのです。

今、私たちが問うべきは、「次に何を買うべきか」ではありません。
「私にとって、本当に豊かな人生とは、一体どのようなものなのだろうか」です。その答えは、きらびやかなショーウィンドウの中にはなく、私たち自身の内側と、他者との温かい関係性の中にこそ、静かに見出されるのを待っているのです。

 

追伸:アパリグラハの実践はヨガをやっている人はあまりやっていない、むしろ

残念ながら、アパリグラハの実践はヨガをやっている人の多くはできていない。

ヨガスタジオに行けば、みなさん、好きな格好をしていることでしょう。

どれだけのウェアを持っているのでしょうか、どれだけの靴や洋服、ヨガ関連のグッズなどなど、どれだけ所有していることでしょうか。

洋服を毎シーズン購入してしまっている人も多いことでしょう。

自分らしく生きる、自由に生きるというのは聞こえはいいですが、消費社会に踊ろされて、マーケティングにハメられているだけかもしれません。

エゴや欲から離れるためにもアパリグラハの実践が必要です。

ヨガ実践者でしたらヨガウェアから始めてもいいかもしれません。

レギンスは何枚必要ですか?トップスは何枚必要ですか?ネックウォーマーなどそもそも必要ですか?何枚もヨガマットは使うのですか?首に巻いているものはなんですか?

ミニマリストたちの方がアパリグラハは実践できているのかもしれませんね。


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。