ヨガや仏教の世界に深く関わると、私たちは「108」という数字に繰り返し出会うことになります。ジャパマーラー(数珠)の珠の数は108個。太陽礼拝を特別な日には108回繰り返す。日本の寺院では、大晦日に108回、除夜の鐘が鳴り響きます。この数字は、なぜこれほどまでに神聖視されるのでしょうか。その背後には、人間の苦悩の本質と、宇宙の構造、そして悟りへの道筋を示す、多層的で深遠な意味が隠されています。
最も広く知られているのは、108が人間の「煩悩」の数であるという説です。仏教では、私たちの心を悩ませ、汚し、悟りから遠ざける精神作用を煩悩と呼びます。この108という数は、私たちの感覚の入り口である六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)に、それぞれ三つの感じ方(好・悪・平)、二つの状態(浄・染)、そして三つの時間(過去・現在・未来)を掛け合わせるなど、様々な計算方法(6×3×2×3=108)によって導き出されます。つまり、108とは、人間が経験しうる苦悩のパターンの総数であり、私たちが乗り越えるべき課題の象徴なのです。
しかし、興味深いのは、108が単にネガティブな煩悩の数であるだけでなく、同時に極めて神聖な数としても扱われている点です。この一見矛盾した事実にこそ、東洋思想の叡智が凝縮されています。それは、煩悩を根絶やしにすべき「敵」と見なすのではなく、煩悩を通過し、それを乗り越えた先にこそ悟りがある、という「統合」の思想です。「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という言葉が示すように、苦しみと悟りは、コインの裏表のように分かちがたく結びついているのです。
この数は、人間の内なる世界だけでなく、外なる宇宙の構造とも不思議な繋がりを持っています。古代インドの天文学では、太陽と地球の平均距離が太陽の直径の約108倍であり、月と地球の平均距離が月の直径の約108倍である、といった観測がなされていました。また、インド占星術では、9つの惑星と12の星座(宮)を掛け合わせた数(9×12=108)が宇宙のサイクルを象徴すると考えられています。さらに、ヨガの身体観では、体内に108のマルマ(エネルギーの急所)があるとされたりもします。
このように、108はミクロコスモス(人間)とマクロコスモス(宇宙)を繋ぐ、神秘的なコードナンバーとしての役割も担っているのです。
マントラを唱える際に用いるジャパマーラーが108個の珠でできているのも、この思想に基づきます。一本の糸で繋がれた108の珠を一つ一つ手繰りながらマントラを唱える行為は、私たちの内に存在する108の煩悩を一つずつ浄化し、それを神聖なエネルギーへと変容させていくプロセスを象徴しています。それは、苦しみから逃げるのではなく、一つ一つの苦しみに丁寧に向き合い、それを智慧の光で照らし出すという、慈悲深い実践なのです。
さらに、108という数字そのものを象徴的に解釈することもできます。「1」は始まりであり、宇宙の全体性や神聖な一者(ワンネス)を表します。「0」は空(くう)や無、つまり無限の可能性を秘めたポテンシャルを示します。そして、「8」は横にすると無限大(∞)の記号となり、永遠や無限の広がりを象徴します。これらを統合すると、108は「一つの全体性から、無(空)を通して、無限の可能性が立ち現れる」という、宇宙の創造原理そのものを表しているとも読み解けるのです。
108という数は、私たち人間が、苦悩に満ちた不完全な存在でありながら、同時に宇宙の神聖な秩序と繋がった完全な存在であるという、深遠なパラドックスを抱合しています。それは、私たちの旅が、苦しみを滅却することではなく、苦しみと共にありながら、その向こう側にある大いなる全体性へと還っていく、統合のプロセスであることを静かに教えてくれる、聖なる羅針盤なのです。


