私たちの生きる現代は、前例のないほどの「騒音」に満ちています。ここで言う騒音とは、耳に聞こえる物理的な音だけを指すのではありません。スマートフォンの絶え間ない通知、SNSのフィードに流れる他人の人生の断片、メディアが煽る不安や対立、社会が押し付ける「こうあるべき」という期待。これらすべてが、私たちの心の静寂をかき乱す「精神的な騒音」です。プラティヤハーラ、すなわち感覚を内側へ引き込む技術を実践する上で、まず最初に取り組むべきは、こうした外側の世界の騒音から、意識的に距離を置くことなのです。
考えてみれば、私たちの祖先が一生のうちで得る情報量を、私たちはわずか一日で浴びているとも言われます。私たちの神経系は、このような膨大な刺激を処理するようには設計されていません。その結果、私たちは常に微細な緊張状態に置かれ、心が休まる暇もなく、知らず知らずのうちに疲弊しています。この状態では、自分の内なる声に耳を澄ませることなど、到底不可能です。それはまるで、激しい嵐の中で、遠くで鳴いている小鳥の声を聞き取ろうとするようなものです。まず必要なのは、嵐が収まる場所、すなわち静かな避難所を見つけること。
この避難所は、物理的な場所であると同時に、心理的な状態でもあります。まず、物理的な静けさを確保することから始めてみましょう。一日にたとえ15分でもいいので、テレビや音楽を消し、携帯電話を別の部屋に置き、ただ静寂の中に身を置く時間を意図的に作ります。それは早朝の誰も起きてこない時間かもしれませんし、公園のベンチで過ごす昼休みかもしれません。あるいは、ノイズキャンセリング機能のあるヘッドフォンを使って、人工的に静寂の空間を作り出すのも一つの有効な手段です。この静けさに慣れていないと、最初は落ち着かなく感じるかもしれません。しかし、濁った水が入ったグラスを静かに置いておくと、やがて泥が沈殿して水が澄んでくるように、私たちの心もまた、静寂の中に置かれることで、思考の澱(おり)が沈み、本来の透明さを取り戻していくのです。
次に、そしてより重要なのが、精神的な騒音から離れる稽古です。これは、他人の意見や評価、社会の価値基準といった外部の物差しで自分を測ることを、意識的にやめるということです。私たちは、他人のドラマに過剰に感情移入したり、自分とは無関係なニュースに心を痛めたりすることで、膨大な精神的エネルギーを浪費しています。荘子の思想に「心斎坐忘(しんさいざぼう)」というものがありますが、これは心を空っぽにして外界の雑音から自由になる境地を指します。他人の問題や世界の出来事に関心を持つな、ということではありません。しかし、その情報に触れる際に、自分の心の平和を乱されないだけの「境界線」を引くことが必要なのです。
具体的な実践としては、一日のニュースやSNSに触れる時間を制限することが挙げられます。例えば、「朝起きてすぐと夜寝る前は、スマートフォンを見ない」というルールを設けるだけで、心の状態は劇的に改善されるでしょう。また、自分にとって本当に重要でない情報や、ネガティブな感情を煽るだけのコンテンツからは、意識的に距離を置く勇気も必要です。
外側の世界の騒音から離れることは、現実逃避ではありません。それは、自分自身の中心、揺るぎない静かな場所へと一度帰還し、エネルギーを再充電するための戦略的な撤退です。その静寂の中でこそ、私たちは本当に大切なものが何であるかを見極め、世界に対してより創造的で、愛に満ちた応答をすることができるようになります。騒音の中で失われた自分の輪郭を、静寂の中で再び取り戻す。それが、この実践の目指すところなのです。


