「この短気な性格は、父親譲りだから仕方ない」「私たちの家系は、代々体が弱いから」。私たちは日常的に、このような言葉を口にしたり、耳にしたりします。それは、自らの性質や運命を、生物学的な「遺伝」のせいにする、ある種の諦めにも似た響きを持っています。現代科学は、DNAを通して身体的特徴や気質の一部が親から子へと受け継がれることを明らかにしました。一方で、ヨガ哲学は「カルマ」と「サンサーラ(輪廻転生)」という、より広大な視点から生命の連続性を見つめます。この二つの視点は、対立するものでしょうか。いいえ、むしろそれらは、同じ現象を異なる次元から照らし出す、コインの裏表のような関係にあるのかもしれません。
ヨガの思想では、魂は自らの学びとカルマの解消に最も適した環境を選んで、この世に生まれてくると考えられています。つまり、あなたが特定の家族、特定の血統のもとに生まれたのは、偶然ではないということです。その家系が持つ特有の強みや才能、そして何世代にもわたって繰り返されてきた課題や弱点、それらすべてが、あなたの魂が今生で経験し、乗り越えるべきテーマと深く関わっているのです。
この観点に立てば、科学が解明した「遺伝子」とは、魂がそのカルマをこの物質世界で顕現させるための、いわば「乗り物」や「設計図」のようなものと捉えることができます。ある家系に代々伝わるアルコールへの依存傾向は、遺伝的な要因と同時に、その家系が集合的に抱える、深い悲しみや現実逃避といったカルマ的なパターンが絡み合っているのかもしれません。同様に、特定の病気になりやすい体質も、遺伝的素因と、その家系に受け継がれてきた食生活やストレスへの対処法、感情の抑圧といった、カルマ的な生活習慣の結果と見なすことができるのです。
私たちは、DNAだけでなく、目に見えないカルマの遺産も受け継いでいます。それは、親から無意識のうちに刷り込まれた思考パターン、感情の反応様式、金銭や人間関係に対する価値観など、多岐にわたります。これらは『ヨーガ・スートラ』でいう「サムスカーラ(潜在的印象)」として心の奥深くに刻まれ、意識的な選択の機会がなければ、私たちはまるで自動操縦のように、親や祖先と同じような人生のパターンを繰り返してしまうのです。
しかし、この事実は、私たちを決定論的な運命の囚人にするものでは決してありません。むしろ、ヨガの教えは、私たちがこの受け継いだパターンを乗り越え、自らの手で運命を創造する力を持つことを高らかに宣言します。そのための第一歩は、「気づき」です。これは、自己の内面を深く探求する「スヴァディアーヤ(自己学習)」の実践に他なりません。瞑想やジャーナリングを通して、自分がどんな思考や感情の癖を持っているか、どんな状況で自動的な反応をしてしまうかに、ただ気づくのです。
第二のステップは、「意識的な選択」です。パターン的な反応が起きそうになる、そのまさに「瞬間」を捉え、一呼吸置く。その刹那の「間(ま)」が、私たちを自動反応の鎖から解き放ちます。そして、「私は、親とは違う選択をする」「私は、この負の連鎖をここで断ち切る」と、静かに、しかし断固として決意し、いつもとは違う行動を選ぶのです。最初は強い抵抗を感じるかもしれません。これは、古い轍から抜け出し、新たな道を切り拓くためのエネルギーを要する「タパス(鍛錬)」です。
そして最後に、「許し」が不可欠です。あなたの親や祖先もまた、彼ら自身のカルマと、その時代の限界の中で生きていた、未熟で不完全な人間でした。彼らを、そして彼らからパターンを受け継いでしまった自分自身を、深い慈悲の心で許すこと。この許しこそが、世代を超えたカルマの鎖を断ち切る、最もパワフルな鍵となるのです。
私たちは、遺伝とカルマという、過去から続く壮大な物語の中に生きています。しかし、私たちはその物語の単なる登場人物ではありません。意識という光を手に、物語の筋書きを書き換える力を持った、共同脚本家なのです。あなたが家系のカルマを一つ乗り越えることは、あなた自身の魂を解放するだけでなく、未来の世代に、より自由で輝かしい可能性という、最高の贈り物を手渡すことに他ならないのです。


