私たちは、知らず知らずのうちに、他者との比較というゲームに多くのエネルギーを費やして生きています。友人の成功を耳にしては胸がざわつき、SNSで他人のきらびやかな生活を目にしては、自分の日常が色褪せて見える。この嫉妬や羨望という感情は、私たちの心を蝕み、エネルギーを枯渇させる強力な毒です。そして、この感情の根底にあるのは、「幸せの総量は決まっている」という誤った信念、つまり分離の意識です。誰かが幸せになったら、自分の取り分が減ってしまう。そんな欠乏感に基づいた世界観です。
しかし、ヨガや仏教の叡智は、これとは全く逆の真実を私たちに教えてくれます。それは、他者の幸せを心から願い、祝福することこそが、自分自身の幸福と豊かさを無限に増大させる最も確実な道である、という驚くべき逆説です。
この実践の核となるのが、仏教の伝統に伝わる「慈悲の瞑想(メッター・バーヴァナー)」です。この瞑想では、まず自分自身に向けて「私が幸せでありますように」と願い、次に大切な人、友人、そして「好きでも嫌いでもない人」、さらには「苦手な人、嫌いな人」へと、慈しみの範囲を同心円状に広げていきます。最終的には「生きとし生けるものすべてが幸せでありますように」と祈るのです。
なぜ、わざわざ「嫌いな人」の幸せまで願う必要があるのでしょうか。それは、他者への否定的な感情、特に憎しみや恨みといったものは、相手を傷つける以上に、自分自身の心を深く傷つけ、縛り付ける鎖となるからです。相手の幸せを願うという行為は、相手のためである以上に、自分自身をその呪縛から解放するための、極めて主体的な心の外科手術なのです。心の棘を抜き、自分を自由にするための実践と言えるでしょう。
この実践は、私たちの意識が現実を創造するという観点からも、非常に合理的です。あなたの意識は、あなたの世界の質を決定するフィルターです。あなたが他者に対して「欠乏」や「敵意」のレンズを向ければ、あなたの世界は欠乏と敵意に満ちたものとして現れます。逆に、あなたが他者に対して「幸福」と「祝福」のレンズを向ける時、あなたの世界には幸福と祝福の機会が満ちあふれてくるのです。意識というフィールドにおいて、自と他の境界は私たちが思うほど明確ではありません。他者への祝福は、時差なく自分自身への祝福として響き渡ります。
これを、内田樹氏が武道の文脈で語る「構造」の視点から見ることもできます。他者の成功を嫉妬する者は、自分を含む「システム」そのものの成功を喜べない人間です。一方、他者の成功を「私たちのチームの勝利だ」と祝福できる者は、システム全体の流れを良くし、結果的に自分自身にも恩恵が巡ってくるという構造を理解している知性的な人間と言えます。他者の幸せを意図することは、この世界の豊かさの循環システムを信頼し、その流れを加速させるための、最も賢明な投資なのです。
【今日の実践】
今日一日、誰かの良いニュースを聞いたり、楽しそうな人を見かけたりしたら、心の中で、あるいは声に出して「おめでとう」「よかったね」と祝福する練習をしてみましょう。特に、普段なら少し嫉妬を感じてしまうような相手に対してこそ、意識的に行ってみてください。最初はぎこちなくても構いません。心の中で「〇〇さんが、その才能を存分に発揮し、幸せでありますように」と具体的に意図するのです。この小さな祝福の習慣が、あなたの人間関係を変え、あなた自身の波動を高め、幸運を引き寄せる強力な磁石となることに、あなたは驚くでしょう。


