私たちはよく、「過去は水に流した」「もう忘れたことだ」と言います。しかし、本当にそうでしょうか。頭、つまり私たちの意識的な思考はそう信じているかもしれません。しかし、私たちの身体は、驚くほど正直で、決して忘れることはありません。あなたがこれまで生きてきたすべての経験、特に強い感情を伴った出来事や、言葉にできずに抑圧した想いは、あなたの身体の奥深く、筋肉の緊張や筋膜の癒着、そして細胞の一つひとつに、生々しい物語として刻み込まれているのです。
この「身体が記憶する」という考え方は、近年、トラウマ研究の分野で「ボディ・メモリー」として注目されていますが、実はヨガや東洋思想の世界では古くから知られていた叡智です。東洋医学では、感情の滞りが「気」の流れを阻害し、それが「瘀血(おけつ)」のような物理的な滞りとなって、やがて病を引き起こすと考えます。ヨガでは、未解決の感情やトラウマは、エネルギー的な印象(サムスカーラ)として潜在意識に蓄積され、それが身体レベルでは特定の部位の硬さや緊張として現れると捉えます。腰痛に悩む人が実は金銭的な不安を抱えていたり、肩こりがひどい人が過剰な責任感を背負い込んでいたりする、といった具合です。
では、この身体に刻まれた古い物語を、私たちはどうすれば解放できるのでしょうか。それは、物語を無理に忘れようとしたり、痛みから逃げようとしたりすることではありません。むしろその逆です。ヨガの実践は、安全な空間の中で、その物語に再び耳を傾け、身体の声に寄り添い、そして愛と呼吸と共にそれらを解放していくための、繊細でパワフルなプロセスを提供してくれます。
その中心となるのが、アーサナ(ポーズ)の実践です。特に、感情が溜まりやすいとされる股関節周りを開くポーズ(鳩のポーズや合せきのポーズなど)や、ハートを開く後屈のポーズ(ラクダのポーズなど)を行うと、予期せぬ感情が表面化することがあります。突然、理由もなく涙が溢れ出したり、忘れていたはずの幼い頃の記憶が蘇ったり。それは、ポーズによって物理的に解放された身体の部位から、閉じ込められていた感情エネルギーが解放されているサインなのです。
この時、最も重要なのが「呼吸」です。深く、穏やかな呼吸は、私たちの自律神経に直接働きかけ、闘争・逃走モードの交感神経から、リラックス・消化モードの副交感神経へとスイッチを切り替えてくれます。痛みや不快感を感じる身体の部位に、意識的に呼吸を送り込むイメージをしてみてください。吐く息と共に、その場所に固着していた古いエネルギーが、霧のように身体の外へと出ていくのを想像するのです。
さらに、深いレベルでの解放を促すのが、「ヨガニドラー(眠りのヨガ)」です。これは、シャヴァーサナ(屍のポーズ)の状態で、ガイドの声に従いながら意識を身体の各部位へと旅させていく、深いリラクゼーションの技法です。意識と無意識の狭間にあるこの状態では、心の抵抗が少なくなり、潜在意識の奥深くにしまい込まれた根深い緊張やトラウマに安全にアクセスし、それを解放することが可能になります。
引き寄せの法則の観点から見ると、この細胞レベルの解放は決定的に重要です。なぜなら、過去のトラウマやネガティブな感情のエネルギー的な詰まりは、私たちの波動を無意識のうちに低く保ち、まるで磁石のように、同じようなネガティブな経験を繰り返し引き寄せる原因となるからです。身体に刻まれた古い物語を解放することは、この負の連鎖を断ち切るための、根本的な浄化作業なのです。それは、新しい豊かさや喜びを受け入れるために、自分という器を空にし、スペースを作る行為に他なりません。
あなたの身体は、あなたがこれまでの人生をいかに懸命に生きてきたかを物語る、生きた聖典です。ヨガという自己との対話を通して、その聖典を優しく、慈しみをもって読み解いていきましょう。そして、もうあなたに役立たなくなった古い章を、愛と感謝と共にそっと手放すのです。その時、あなたの身体は本来の軽やかさと輝きを取り戻し、未来へ向けて、全く新しい物語を書き始めるための、真っ白なページを開いてくれるでしょう。


