ヴァルナ:宇宙の秩序を司る神、契約と正義の神

ヨガを学ぶ

夜の静寂が訪れ、無数の星々が天空に瞬くとき、私たちはふと、日常の喧騒から解放され、広大な宇宙の存在を感じることがあります。足元に広がる大地と、頭上を覆う果てしない空。その間にあって、私たちは自身の存在の小ささと、同時にこの壮大な世界の一部であることを実感するのです。古代インドの賢人たちは、この夜空の向こうに、ただの暗闇や虚空を見るのではなく、宇宙全体を貫く一つの偉大な「理(ことわり)」を見出しました。そして、その理を司る全知全能の神として、ヴァルナという神格を感得したのです。

ヴァルナは、ヴェーダの神々の中でも、特に荘厳で畏怖すべき存在として描かれます。雷鳴を轟かせ戦車を駆る英雄神インドラのような華々しさはありません。しかし、その静かな眼差しは、宇宙の隅々まで見通し、人間の心の奥底に隠された偽りさえも見抜くとされました。彼は、単なる神話上のキャラクターではなく、宇宙を支配する根源的な秩序そのものの擬人化であり、契約と正義の守護者でした。

この章では、ヴェーダ哲学の深遠な世界観を理解する上で欠かせない、ヴァルナという神の多面的な性格とその思想的背景を探求していきます。なぜ古代の人々は、この厳格な神を必要としたのか。そして、ヴァルナが司る「秩序」や「契約」の思想は、情報が氾濫し、真実が見えにくくなった現代を生きる私たちに、どのような叡智を授けてくれるのでしょうか。縁側に座り、変わりゆく空の色を眺めるように、ゆったりとした気持ちで、この深遠なる神の世界へと旅を始めましょう。

 

天空を覆う者:ヴァルナの起源と威厳

ヴァルナ(Varuṇa)という名前は、サンスクリット語の語根「√vṛ」に由来し、「覆う」「包む」という意味を持っています。その名の通り、彼はもともと、すべてを包み込む広大な天空そのものを神格化した存在でした。彼の神性はインド・アーリア人固有のものではなく、ギリシャ神話の天空神ウラノス(Ouranos)など、他の印欧語族の神話にも見られる古い天空神信仰の系譜に連なると考えられています。彼は、世界の始まりから存在する、最も古く、最も偉大な神の一柱と見なされていました。

『リグ・ヴェーダ』に収められたヴァルナへの賛歌を読むと、彼の圧倒的な威厳と全能性がひしひしと伝わってきます。彼は、天空に太陽の通り道を定め、星々の運行を司り、昼と夜を分かちます。川が海へと流れ込むのも、月の満ち欠けが繰り返されるのも、すべてはヴァルナが定めた宇宙の法に従っているのです。彼は、人間界から遠く離れた天上の宮殿に座し、スパイ(spáśaḥ)と呼ばれる無数の斥候を放って、地上の生きとし生けるものすべての言動を監視しているとされました。

「王ヴァルナは、二つの世界(天と地)の間にあって、すべてを見通す。彼は人々の瞬きさえも数えているのだ。」(リグ・ヴェーダ 7.87.3 より意訳)

「千の眼を持つ」と形容される彼の眼差しから逃れられる者は誰もいません。二人でひそひそと交わす密談も、心の中に抱いた邪な考えも、すべてヴァルナにはお見通しです。この全知全能の監視者という側面は、人々に神への畏敬の念を抱かせると同時に、自らの行いを常に省みることを促す、強力な倫理的規範として機能していました。それは、外部からの強制力ではなく、内なる良心に直接働きかける、静かで、しかし絶対的な力だったのです。

 

リタ(ṛta):宇宙を貫く聖なる秩序

ヴァルナの神格を理解する上で、最も重要な鍵となるのが「リタ(ṛta)」という概念です。この言葉を日本語で正確に一言で表すのは非常に難しいのですが、「宇宙の真理」「天則」「聖なる秩序」といった意味合いを持つ、ヴェーダ思想の中心的な概念です。

リタとは、単なる物理法則や自然法則を指すだけではありません。それは、以下のような多層的な意味を含んでいます。

  1. 宇宙的秩序:太陽が東から昇り西に沈むこと、季節が規則正しく巡ること、星々が決められた軌道を描くことなど、自然界のあらゆる運行の根底にある秩序。

  2. 祭祀的秩序:ヴェーダ時代の宗教生活の中心であった祭祀(ヤグニャ)が、正しい手順と正確なマントラによって執り行われること。この正確さが、宇宙の秩序と感応し、神々の恩寵をもたらすと信じられていました。

  3. 社会・倫理的秩序:人間社会における真実、正義、誠実さ、契約の遵守といった道徳的な規範。嘘や裏切りは、このリタを乱す行為と見なされました。

リタは、宇宙の始まりから存在し、神々さえも従わなければならない根源的な「理」でした。そして、ヴァルナこそが、このリタが乱されることなく維持されるよう監督する「リタの守護者(ṛtasya gopa)」としての役割を担っていたのです。

私たちが縁側から庭を眺めるとき、そこには生命の営みというリタが満ちています。春には芽吹き、夏には生い茂り、秋には実り、冬には静かに力を蓄える。この自然のリズムそのものが、ヴァルナが司る宇宙の秩序の現れです。私たちの身体もまた、呼吸や心拍、新陳代謝といった精妙なリタによって維持されています。この秩序が調和しているとき、私たちは健やかでいられますが、ひとたび乱れると、心身に不調をきたします。ヴァルナの思想は、私たち人間が、この内外に存在する偉大な秩序の中で生かされている存在であることを教えてくれるのです。

 

ミトラ=ヴァルナ:契約と盟約の二柱一対

『リグ・ヴェーダ』において、ヴァルナはしばしばミトラ(Mitra)という神と共に「ミトラ=ヴァルナ」という一対の神格として呼びかけられます。ミトラは「契約」「盟友」「友情」を司る神であり、その名はイランの神ミスラとも共通の起源を持つ、古い神格です。

この二柱の神は、しばしば昼と夜、太陽と月のように対比的に捉えられます。

  • ミトラ:昼の光、太陽と結びつけられ、人々の間の友好的な合意や契約を円滑にし、守護する。彼の働きは、人々が自発的に、誠意をもって約束事を結び、守るという、明るく肯定的な側面を象徴します。

  • ヴァルナ:夜の静寂、天空と結びつけられ、契約が破られたり、リタが乱されたりした際に、その罪を裁き、罰を与えるという、厳格で畏怖すべき側面を象徴します。

この二柱は、車の両輪のように機能し、人間社会の秩序を維持していました。人々が結ぶ契約は、単なる当事者間の約束事ではありません。それは、ミトラとヴァルナという宇宙的な神々の前で誓われる、神聖な盟約でした。現代社会で私たちが交わす「契約」は、しばしば利益計算に基づいたドライな取り決めと見なされがちです。しかし、その根底には、相手への信頼や誠意(ミトラ的なもの)と、それを裏切った場合には社会的な制裁や法的な罰則が待っているという共通認識(ヴァルナ的なもの)が存在しています。ミトラ=ヴァルナの神話は、社会の安定が、この目に見えるルールと目に見えない信頼の両方によって支えられているという、普遍的な真理を物語っているのです。

 

罪の意識と赦しの祈り:ヴァルナの縄

ヴァルナに捧げられた賛歌は、他の神々へのそれとは一線を画す、独特の情緒を帯びています。そこには、神への賛美や恩恵への感謝だけでなく、自らの「罪(āgas)」を告白し、その赦しを切に願う、人間の切実な祈りが満ちています。

「おお、ヴァルナよ、我々があなたの法を、知らずして破ったのであれば、その罪のために我々を罰しないでください。」(リグ・ヴェーダ 7.89.5 より意訳)

「意図したわけではなく、欺瞞や酒、怒りや博打、あるいは不注意によって犯した罪。年長者が若者を迷わせた罪。眠っている時でさえ犯した罪。これらすべての罪から、我々を解き放ってください。」(リグ・ヴェーダ 7.86.6 より意訳)

ここで興味深いのは、人々が告白する「罪」が、意図的な悪行に限られていない点です。知らず知らずのうちに犯してしまった過ち、不注意、あるいは自分ではどうすることもできない状況でリタを乱してしまったことへの深い恐れが、そこにはあります。完璧ではない人間が、偉大で完璧な宇宙秩序(リタ)の前に立ったとき、自らの不完全さを自覚し、畏怖の念を抱く。この人間的な弱さと謙虚さが、ヴァルナへの祈りの根底に流れているのです。

ヴァルナは、リタを乱した罪人を「縄(pāśa)」で捕らえ、縛り上げると信じられていました。この「ヴァルナの縄」は、比喩的な表現であると同時に、病気、不幸、困窮といった具体的な災厄として現れると考えられていました。特に、腹水が溜まる病気(水腫)は、ヴァルナの罰の典型とされました。そのため、人々は病や不幸に見舞われると、「自分はヴァルナの縄に捕らわれているのではないか」と考え、神の怒りを解き、縄から解放してくれるよう必死に祈ったのです。

この罪と罰、そして赦しの構造は、後のヒンドゥー教におけるカルマ(業)の思想の原型とも言えるでしょう。ヨガの実践においても、私たちは自身の身体や心の不完全さ、思い通りにならない側面と向き合います。そのとき、それを力ずくで変えようとするのではなく、まずありのままの自分を受け入れ、より大きな宇宙の流れに身を委ねる感覚が大切になります。ヴァルナへの祈りは、古代の人々が、自らの限界を知り、超越的な存在との関係性の中で生きる智慧を模索していたことの証左なのです。

 

神格の変遷とインドラの台頭

このように、ヴェーダ時代の初期においては、ヴァルナは最高神の一柱として絶大な権威を誇っていました。しかし、時代が下るにつれて、その地位には変化が生じます。彼の存在感は徐々に薄れ、代わって雷霆神であり、アーリア人の理想的な英雄像を体現する**インドラ(Indra)**が、神々の王として中心的な位置を占めるようになっていきました。

この神々の世界の権力交代は、当時のアーリア人の社会構造や価値観の変化を反映していると考えられています。

  • ヴァルナの時代:比較的平穏で、定住農耕的な生活が営まれ、宇宙的な秩序や社会契約の維持が重視された時代の神。彼の性格は静的で、道徳的、司法的です。

  • インドラの時代:アーリア人がインド亜大陸で勢力を拡大し、先住民との戦闘が頻発した、より活動的で軍事的な社会を反映した神。彼の性格は動的で、英雄的、戦闘的です。

また、ヴァルナはしばしば**アスラ(asura)**という神族の長と見なされました。アスラは、元々は「生命力を持つ者」を意味する尊敬すべき神々でしたが、後にはデーヴァ(deva)神族と敵対する「魔神」として扱われるようになります。この変化も、ヴァルナの地位低下と無関係ではないでしょう。

しかし、ヴァルナは神々の世界から完全に姿を消したわけではありません。後のヒンドゥー教の時代になると、彼はかつての宇宙の最高支配者という地位からは退きましたが、「水の神」「海洋の神」として、その神格を維持し続けました。あらゆる水域を支配し、海の生物を従える神として、彼はプラーナ文献などの物語に登場し、人々の信仰を集め続けたのです。この神格の変遷は、一つの思想や価値観が絶対不変なのではなく、社会や時代の要請に応じて、神々の役割さえも流動的に変化していくことを示す、興味深い事例と言えます。

 

現代に生きるヴァルナの叡智:見えない秩序と共に生きる

さて、私たちはこの古代の神ヴァルナの物語から、何を学び取ることができるでしょうか。ヴァルナは、もはや夜空の彼方に座す遠い神ではありません。彼の司った「リタ」は、形を変えて今も私たちの内外に息づいています。

私たちの身体は、それ自体が精妙なリタによって成り立つ小宇宙です。呼吸のリズム、心臓の鼓動、ホルモンの分泌、細胞の生まれ変わり。私たちは普段、これらの働きを意識することはありません。しかし、不規則な生活やストレスによってこの内なる秩序が乱れると、身体は病気という「ヴァルナの縄」を通して、私たちにサインを送ります。ヨガのアーサナやプラーナーヤーマ(呼吸法)は、まさにこの身体というリタに意識を向け、その調和を取り戻すための実践です。ポーズの安定(スティラ)と快適さ(スカ)を追求する中で、私たちは身体の声に耳を澄まし、乱れた秩序を自らの手で整えていくのです。

私たちが生きる社会もまた、目に見える法律や規則だけでなく、信頼、倫理、マナーといった目に見えない「リタ」によって支えられています。この暗黙の契約が失われたとき、社会は不信と混乱に陥ります。ヴァルナの思想は、私たち一人ひとりが、この社会秩序を維持する「リタの守護者」としての責任を負っていることを思い出させてくれます。

そして、最も大きなスケールで言えば、地球環境そのものが、壮大なリタの現れです。気候変動、生物多様性の喪失、資源の枯渇といった現代的な課題は、人類がこの宇宙的な秩序を軽んじ、破壊してきた結果と捉えることもできるでしょう。ヴァルナが体現していた自然への畏敬の念は、今こそ私たちが取り戻すべき、最も重要な感覚なのかもしれません。

ヴァルナは、静かなる監視者です。彼は、私たちが宇宙の秩序と調和して生きているか、常に静かに見守っています。彼の眼差しは、裁きのためだけにあるのではありません。それは、私たちが自らの行いを省み、より良く生きるための道筋を照らし出す、叡智の光でもあるのです。縁側に腰を下ろし、静かに呼吸を整えるとき、風の音や光の温かさの中に、古代の賢人たちが感じた「リタ」の響きを感じてみてください。そのとき、ヴァルナはもはや恐るべき神ではなく、私たちの生を支え、導いてくれる、頼もしい存在として、心の中に立ち現れてくることでしょう。

 

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。