バガヴァッド・ギーターとヨーガ・スートラ – 二つの経典、心の解放への道

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私たちの日常は、まるで絶え間なく波が寄せる海辺のようです。喜びの波、悲しみの波、怒りの波、そして穏やかな凪の時。目まぐるしく変化する外側の世界と、それに呼応するように揺れ動く内なる心。そんな中で、私たちはしばしば道を見失い、心の平安を渇望します。古代インドの賢者たちは、この人間存在の根源的な苦悩を見つめ、そこからの解放、すなわち真の自由と喜びへと至る道を、深遠な洞察と実践を通して探求してきました。その貴重な遺産の中でも、ひときわ輝きを放つ二つの灯火、それが『バガヴァッド・ギーター』と『ヨーガ・スートラ』です。

一見すると、これら二つの経典は異なる道のりを指し示しているように見えるかもしれません。叙事詩の一部としてドラマティックな物語の中で語られる『バガヴァッド・ギーター』と、哲学的思索を簡潔な箴言(しんげん)に凝縮した『ヨーガ・スートラ』。しかし、その源流を辿り、核心に触れるとき、私たちは両者が同じ星を目指す二つの船であることに気づかされます。その星とは、「心の解放」という、時代を超えて人々が追い求めてきた究極の目標に他なりません。

本稿では、この二つの偉大な経典が、それぞれどのような光を放ち、どのようにして私たちを心の解放へと導こうとしているのか、その共通の響きと、時に異なる旋律を丁寧に聴き分けながら、その深遠な世界へと足を踏み入れていきましょう。それは、まるで縁側で温かいお茶をすすりながら、古の賢者の声に耳を澄ませるような、静かで豊かな時間の始まりです。

 

バガヴァッド・ギーター:戦場に咲いたダルマの花

『バガヴァッド・ギーター』(神の歌)は、古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』の一部をなす、約700詩節からなる聖典です。その舞台は、クルクシェートラという広大な戦場。まさにこれから血族同士が殺し合うという壮絶な戦いを目前にして、偉大な戦士アルジュナは深い苦悩と絶望に襲われます。敬愛する師や親族を手にかけねばならないという現実に、彼の心は引き裂かれ、戦意を喪失してしまうのです。

この絶望の淵に沈むアルジュナに対し、彼の戦車の御者として傍らに立つ親友であり、実は至高神の化身であるクリシュナが、深遠なる教えを説き始めます。この対話こそが、『バガヴァッド・ギーター』そのものです。戦場という極限状態は、私たちが日常で直面する様々な困難や葛藤の象徴とも言えるでしょう。アルジュナの問いは、私たちの問いであり、クリシュナの答えは、私たち一人ひとりの心に響く普遍的な智慧を含んでいます。

 

『バガヴァッド・ギーター』の中心的な思想は、主に三つのヨーガの道として示されます。

  • カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ):これは、行為そのものに専心し、その結果に対する執着を手放す生き方です。私たちは日々、様々な行為を行いますが、その動機が自己中心的な欲望や結果への期待に縛られていると、心は常に揺れ動き、苦しみから逃れられません。クリシュナは、各自に与えられた義務(スヴァダルマ)を、結果を神に捧げる気持ちで、見返りを求めずに行うことの重要性を説きます。それは、行為を放棄することではなく、行為への執着を放棄することなのです。

  • バクティ・ヨーガ(信愛のヨーガ):これは、至高なる存在(ギーターにおいてはクリシュナ神)への純粋な愛と献身を通じて、神との一体化を目指す道です。理屈や知識だけでは到達し得ない領域へ、愛という感情の力をもって近づこうとします。日々のあらゆる行為を神への奉仕として捉え、常に神を想い、祈り、賛美することで、心は浄化され、神の恩寵によって解放へと導かれるとされます。

  • ジュニャーナ・ヨーガ(知識のヨーガ):これは、真実の知識、すなわち自己の本質(アートマン)と宇宙の根本原理(ブラフマン)が同一であるというヴェーダーンタ哲学の深遠な真理を理解し、瞑想を通じてそれを体得することにより、無知(アヴィディヤー)から解放される道です。物質的な身体や移ろいゆく心と自己を同一視する誤解から目覚め、永遠不滅の真我を悟ることを目指します。

『バガヴァッド・ギーター』における「ヨーガ」とは、単なる身体的なポーズ(アーサナ)を指すのではなく、神との結合、あるいは真我との合一を目指すあらゆる精神的な修練や生き方を意味します。そして、その最終的な目標はモークシャ(解脱)、すなわち輪廻転生のサイクルからの解放であり、永遠の至福と平安の境地です。

 

ヨーガ・スートラ:心の科学、静寂への道標

一方、『ヨーガ・スートラ』は、聖賢パタンジャリによって編纂されたとされる、ヨーガ哲学と実践に関する体系的な論考です。パタンジャリ自身については謎が多く、その実在や年代についても諸説ありますが、紀元後数世紀の間にまとめられたと考えられています。この経典は、195(または196)の短い箴言(スートラ)から成り、心の働きとその制御、そして最終的な解放(カイヴァルヤ)に至るための具体的なステップを、極めて論理的かつ科学的に提示しています。

『ヨーガ・スートラ』の冒頭、第1章第2節でパタンジャリはヨーガを次のように定義します。

「ヨーガシュ・チッタ・ヴリッティ・ニローダハ」

(Yogas citta-vṛtti-nirodhaḥ)

「ヨーガとは、心の作用(チッタ・ヴリッティ)の止滅(ニローダ)である」

ここでいうチッタとは、心、意識、精神といった広範な意味を持つ言葉であり、ヴリッティとは、その心の表面に現れる様々な思考、感情、知覚などの「揺れ動き」や「働き」を指します。私たちの心は、通常、このヴリッティによって常に波立ち、外界の刺激に反応し続けています。そして、この心の揺れ動きこそが、苦しみや迷いの根源であるとパタンジャリは指摘します。ヨーガの目的は、この心の作用を完全に静止させ、その奥にある本来の自己、すなわち純粋な意識である**プルシャ(真我)**を認識することにあります。

この心の作用を止滅させるための具体的な実践方法として、『ヨーガ・スートラ』は**アシュターンガ・ヨーガ(八支則)**を提示します。これは、まるで山頂を目指す登山道のように、段階的に心の修練を深めていくための八つのステップです。

  1. ヤマ(禁戒):他者や社会に対する道徳的な戒め(非暴力、正直、不盗、禁欲、不貪)。

  2. ニヤマ(勧戒):自己に対する内面的な規律(清浄、満足、苦行、読誦、自在神への祈念)。

  3. アーサナ(坐法):安定して快適な瞑想のための坐法。

  4. プラーナーヤーマ(調息):呼吸の制御による生命エネルギー(プラーナ)の調整。

  5. プラティヤハーラ(制感):感覚器官を外界の対象から引き離し、内側に向けること。

  6. ダーラナー(集中):心を一点に集中させること。

  7. ディヤーナ(瞑想):集中が途切れることなく持続する状態。

  8. サマーディ(三昧):瞑想が深まり、自己と対象が一体となる超越的な意識状態。

『ヨーガ・スートラ』の哲学的背景には、サーンキヤ哲学の影響が色濃く見られます。サーンキヤ哲学は、宇宙を**プルシャ(純粋意識、観る者)プラクリティ(根本原質、観られるもの、物質原理)**という二つの根本原理によって説明します。私たちの苦しみは、本来自由であるはずのプルシャが、プラクリティの展開物である心や身体と自分自身を誤って同一視すること(アヴィディヤー)から生じるとされます。『ヨーガ・スートラ』が目指す最終的な解放、**カイヴァルヤ(独存)**とは、このプルシャがプラクリティから完全に分離し、自己本来の純粋な意識として独立して存在する状態を意味します。

また、『ヨーガ・スートラ』における**イーシュヴァラ(自在神)**の概念は、ギーターにおけるクリシュナのような人格神とは異なり、カルマや苦悩の影響を受けない特別なプルシャとして、サマーディ成就の一助となる存在として位置づけられています。イーシュヴァラへの祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)は、ニヤマの一つであり、献身的な実践を助けるものとされています。

 

響き合う二つの旋律:共通点を探る

これら二つの経典は、その表現方法や強調する実践に違いはあれど、その根底には多くの共通する響きを見出すことができます。

  • 究極の目的:苦からの解放

    最も根本的な共通点は、どちらも人間存在の苦しみからの完全な解放を目指しているという点です。『バガヴァッド・ギーター』が説くモークシャも、『ヨーガ・スートラ』が目指すカイヴァルヤも、輪廻転生のサイクルからの離脱、永遠の平安と至福の境地を意味するという点で深く共鳴し合っています。言葉は異なれど、その指し示す頂きは同じなのです。

  • 自己の本質の探求

    両経典とも、「本当の自分とは何か?」という問いに深く取り組みます。『バガヴァッド・ギーター』は、個の真我であるアートマンが宇宙の根本原理であるブラフマンと本質的に同一であるという理解を促し、『ヨーガ・スートラ』は、心の作用の背後にある純粋な意識としてのプルシャの覚醒を説きます。どちらも、移ろいゆく肉体や心を超えた、永遠不滅の真実の自己を見出すことの重要性を強調しています。

  • 行為(カルマ)の重要性と浄化

    行為が私たちの運命や心の状態を形成するという認識は、両者に共通しています。『バガヴァッド・ギーター』は、結果への執着なき行為(カルマ・ヨーガ)を解放への道として明確に示し、日々の生活の中での実践を促します。『ヨーガ・スートラ』においても、八支則の最初の二つであるヤマ・ニヤマは倫理的な行為の実践であり、またクリヤー・ヨーガ(タパス:苦行・修練、スヴァーディヤーヤ:読誦・自己学習、イーシュヴァラ・プラニダーナ:自在神への祈念)を通じて心の不純性を取り除き、サマーディへの準備を整えることを説いています。行為は、私たちを縛る鎖にもなり得ますが、正しく行われるならば解放への階梯ともなるのです。

  • 心の制御と集中

    心の安定と集中が解放への鍵であるという点も、両者に共通する重要な教えです。『バガヴァッド・ギーター』では、外界の出来事や感情の波に揺らがず、平静を保つ賢者(スティタプラジュニャ)の境地が称賛され、心を制御するための様々な方法が示唆されます。『ヨーガ・スートラ』は、その核心において「心の作用の止滅」を掲げ、ダーラナー(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(三昧)という段階的な集中力の深化を詳細に説いています。瞑想は、両経典において自己の本質を体得するための不可欠な実践とされています。

  • 献身・信愛の要素

    超越的な存在への献身や信愛が、心の浄化と解放に寄与するという考え方も、両者に見られます。『バガヴァッド・ギーター』は、クリシュナへの絶対的な帰依を説くバクティ・ヨーガを主要な道の一つとして提示し、神の恩寵による解放を強調します。『ヨーガ・スートラ』においても、ニヤマの一つとして**イーシュヴァラ・プラニダーナ(自在神への祈念)**が挙げられ、サマーディの達成を早める手段として、あるいは献身的な実践の対象としてイーシュヴァラの重要性が説かれています。これは、人間の努力だけでは及ばない領域への、謙虚な信頼の表明とも言えるでしょう。

 

異なる道のり、同じ頂を目指して:相違点を照らす

共通の響きを持つ一方で、二つの経典は、そのアプローチや強調点において興味深い違いも見せてくれます。それは、同じ山頂を目指すにしても、異なる登山口から、異なる景色を眺めながら登るようなものです。

  • 文脈とスタイル

    『バガヴァッド・ギーター』は、戦場というドラマティックな状況設定の中で、アルジュナとクリシュナの対話を通して教えが展開される物語形式をとっています。詩的な表現豊かで、感情に深く訴えかける力強さがあります。『ヨーガ・スートラ』は、哲学的・心理学的な分析を、極めて簡潔で論理的な箴言(スートラ)の形で提示します。そのスタイルは知性的であり、心の構造やメカニズムに関心を持つ読者に強くアピールします。

  • 神の概念と役割

    『バガヴァッド・ギーター』における神は、クリシュナという人格を持ち、愛と恩寵をもって信奉者を導く至高神として明確に描かれています。彼は世界の創造主、維持者、破壊者であり、帰依の絶対的な対象です。一方、『ヨーガ・スートラ』のイーシュヴァラは、より抽象的で哲学的な概念であり、カルマや苦悩の影響を受けない「特別なプルシャ」として、瞑想の対象やサマーディ達成の一助として位置づけられます。ギーターのような宇宙の創造主としてのペルソナは希薄です。

  • ヨーガの実践における強調点

    『バガヴァッド・ギーター』は、カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガという三つの主要な道を、修行者の性質や状況に応じて、時には統合的に、時には個別に説きます。特に、社会生活の中で、自らの義務(ダルマ)を献身的に遂行すること(カルマ・ヨーガ)を重視する点が特徴的です。一方、『ヨーガ・スートラ』は、心の作用を止滅させるための体系的な方法論としての八支則(特に瞑想技法であるダーラナー、ディヤーナ、サマーディ)を詳細に説き、内的な精神修練に焦点を当てています。アーサナやプラーナーヤーマも、主に瞑想のための準備として位置づけられています。

  • 対象とする読者層(想定)

    『バガヴァッド・ギーター』は、戦士アルジュナに象徴されるように、社会の中で具体的な義務や葛藤を抱えながら生きる一般の人々に対しても、広く開かれた教えと言えます。その物語性と感情への訴えかけは、多くの人々の心に響きやすいでしょう。『ヨーガ・スートラ』は、その専門性と論理性から、より心のメカニズムを深く探求し、体系的な精神修練に取り組もうとする、ある程度進んだ修行者や探求者に向けて書かれたという印象を受けます。

 

心の解放への二つのアプローチ:どちらの扉を開くか

これらの共通点と相違点を踏まえると、二つの経典が提示する心の解放へのアプローチには、それぞれ特徴的なニュアンスがあることが見えてきます。

『バガヴァッド・ギーター』は、**「関わりの中での解放」**とでも言うべき道を提示します。それは、世界や社会から完全に離脱するのではなく、むしろその中で、自らの役割(ダルマ)を理解し、結果への執着を手放し、神への愛と献身をもって行為を行うことで解放を目指す道です。感情や情熱を抑圧するのではなく、それらを神へのバクティへと昇華させることを促します。日常のあらゆる場面がヨーガの実践の場となり得るという、包括的で実践的な教えと言えるでしょう。

一方、『ヨーガ・スートラ』は、**「識別と止滅による解放」**の道をより鮮明に示します。それは、心の複雑な作用を精密に観察し、分析し、段階的な訓練を通してそれらを制御し、最終的に心の働きそのものを止滅させることで、純粋な意識であるプルシャを物質的束縛(プラクリティ)から完全に分離させる道です。より内省的で、理知的な分析と厳密な精神集中を求めるアプローチと言えます。

しかし、強調しておきたいのは、これら二つのアプローチは決して相互に排他的なものではないということです。むしろ、それらは相互補完的な関係にあり、実践者の気質や人生の段階、直面している課題によって、どちらかの教えがより強く心に響いたり、実践の指針となったりすることがあるでしょう。情熱的で献身的な性質の人はギーターのバクティ・ヨーガに惹かれ、分析的で内省的な性質の人はスートラの瞑想技法に深く傾倒するかもしれません。また、ギーターのカルマ・ヨーガを日常生活で実践しながら、スートラの教えに基づいて瞑想を深めるという統合的なアプローチも十分に可能です。

 

現代における二つの経典の意義:古くて新しい道しるべ

情報が氾濫し、絶え間ない変化と競争に晒される現代社会において、私たちはかつてないほどのストレスと精神的な負荷を抱えています。このような時代だからこそ、『バガヴァッド・ギーター』と『ヨーガ・スートラ』が示す古代の智慧は、私たちにとって古くて新しい、貴重な道しるべとなり得ます。

『バガヴァッド・ギーター』は、日々の仕事や人間関係の中で、私たちがどのように心を保ち、行動すべきか、そして人生にどのような意味を見出すことができるのかについて、深い洞察を与えてくれます。困難な状況に直面したとき、アルジュナの苦悩とクリシュナの教えは、私たち自身の内なる対話として響き、勇気と指針を与えてくれるでしょう。

『ヨーガ・スートラ』は、心の仕組みを理解し、ストレスや感情の波に飲み込まれずに内なる静寂と平安を見出すための、具体的かつ実践的な方法論を提供してくれます。瞑想や呼吸法、そして日々の心の持ち方を通して、私たちは自分自身の心を訓練し、より穏やかで明晰な意識状態を育むことができます。

これら二つの経典は、自己探求という壮大な旅における、信頼できる二つの地図のようなものです。どちらの地図を手に取るか、あるいは両方の地図を照らし合わせながら進むかは、旅人である私たち自身に委ねられています。

 

おわりに:心の解放は、あなた自身の旅路

『バガヴァッド・ギーター』と『ヨーガ・スートラ』は、心の解放という山頂へと続く、二つの尊い道を示してくれています。それは、何千年もの時を超えて、無数の求道者たちによって踏み固められてきた道です。しかし、どれほど詳細な地図が与えられようとも、実際にその道を一歩一歩踏みしめていくのは、他の誰でもない、私たち自身です。

これらの経典の教えは、単に知識として頭で理解するだけでなく、日々の生活の中で実践し、体験を通して体得されて初めて、その真価を発揮します。縁側で柔らかな陽光を浴び、そよ風を感じるように、これらの古代の智慧に心を開き、自分自身のペースで、心の解放への旅路を歩み始めてみてはいかがでしょうか。その先には、きっと、言葉では言い尽くせないほどの静けさと、揺るぎない喜びが待っているはずです。二つの経典は、その旅路において、常にあなたを照らし、励まし、導いてくれる、力強い伴走者となることでしょう。

 

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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。