第2講:ヨーガ – 執着からの解放と心の自由 –

ヨガを学ぶ

私たちの日常は、知らず知らずのうちに多くの「執着」に彩られています。それは物質的なものへの渇望であったり、特定の人間関係への依存、あるいは過去の栄光や未来への不安といった、形のない観念へのこだわりかもしれません。これらの執着は、時に私たちを強く動かす原動力となる一方で、多くの場合、心の重荷となり、本来の軽やかさや自由を奪い去る要因ともなり得ます。

ヨーガの古来の叡智は、この「執着」という人間的な苦悩の根源に深く分け入り、そこからの解放こそが真の心の自由へと繋がる道であると示唆しています。本講では、ヨーガの哲学が説く執着の本質と、それから自由になるための実践的な道筋、そしてその先に見えてくる心のありようについて、深く考察してまいりましょう。

 

執着とは何か:ヨーガ哲学の視座

ヨーガの根本経典である『ヨーガ・スートラ』において、パタンジャリは心の苦しみ(クレーシャ)を生み出す五つの根本原因を挙げています。その中でも特に「執着」と深く関わるのが、「ラージャス(rāga)」と「ドヴェーシャ(dveṣa)」です。

  • ラージャス(rāga):これは「貪り」「渇望」「愛着」と訳され、快楽や心地よい経験を再び得ようとする強い欲求を指します。過去に得た快感が忘れられず、それを追い求める心の働きです。例えば、特定の食べ物への渇望、賞賛されたいという欲求、あるいは心地よい関係性を維持したいという願いなどがこれにあたります。

  • ドヴェーシャ(dveṣa):これは「嫌悪」「憎しみ」「反発」と訳され、不快な経験や苦痛を避けようとする強い反発心を指します。過去の不快な記憶から、同様の状況を徹底的に避けようとする心の動きです。特定の人への嫌悪感、失敗への恐れ、不快な環境からの逃避などが該当します。

一見すると、ラージャスとドヴェーシャは対極にあるように思えますが、その根底には共通して「経験への強いこだわり」が存在します。快いものにしがみつき、不快なものを遠ざけようとする心の動きは、コインの裏表のようなものであり、どちらも私たちを過去の経験の記憶に縛り付け、現在のありのままの状況を受け入れることを困難にするのです。

これらの執着の根本には、「アヴィディヤー(avidyā)」すなわち「無知」あるいは「無明」が存在するとパタンジャリは説きます。これは、真実の自己(プルシャ)と、移り変わる物質世界(プラクリティ)や心の働き(チッタ・ヴリッティ)とを混同してしまうことに起因します。私たちは、一時的な感情や現象を「自分自身」と誤認し、それらを守ろうとしたり、避けようとしたりすることで、絶えず揺れ動く心の状態に囚われてしまうのです。

このヨーガにおけるクレーシャの概念は、仏教における「煩悩」や「渇愛(トリシュナー)」といった考え方とも深く響き合います。東洋の叡智は古くから、人間の苦しみの根源に、変化する事象への執着があることを見抜いてきました。無常であるはずのものを常なるものと錯覚し、それにしがみつくことから苦しみが生まれるという洞察は、ヨーガと仏教に共通する重要な思想的基盤と言えるでしょう。

 

執着のメカニズム:なぜ心はとらわれるのか

では、なぜ私たちの心はこれほどまでに執着にとらわれてしまうのでしょうか。ヨーガ哲学は、心の働きや記憶のパターンである「サンスカーラ(saṃskāra)」や「ヴァーサナー(vāsanā)」にその手がかりを見出します。

  • サンスカーラ:過去の経験や行為によって心に残された潜在的な印象や傾向性を指します。良い経験も悪い経験も、サンスカーラとして心に刻み込まれ、私たちの思考や行動パターンに影響を与えます。

  • ヴァーサナー:サンスカーラが繰り返し活性化されることで形成される、より強固な習慣的傾向や潜在的欲求のことです。特定の状況で特定の反応を自動的に引き起こす、いわば「心の癖」のようなものです。

例えば、過去に特定の場所で非常に心地よい経験をしたとします。その経験はサンスカーラとして残り、再びその場所を訪れたり、似たような状況に遭遇したりすると、ヴァーサナーが活性化され、「あの時の快感をもう一度味わいたい」というラージャス(執着)が生じやすくなるのです。逆に、トラウマとなるような辛い経験は、同様の状況を避けるドヴェーシャ(嫌悪)のヴァーサナーを形成します。

さらに、これらの執着は「アハンカーラ(ahaṅkāra)」すなわち「自我意識」と強く結びついています。「私」という感覚、自分自身を他者や世界から区別する意識が、所有欲や自己保存の本能と結びつき、「これは私のものだ」「私はこうでなければならない」といった観念を生み出し、執着を強化します。現代社会においては、物質的な豊かさ、社会的地位、特定の人間関係、さらにはSNS上の「いいね」の数や理想化された自己イメージなど、執着の対象は多岐にわたり、より複雑化していると言えるでしょう。私たちは、これらの対象に自己の価値を投影し、それらを失うことを極度に恐れる傾向にあります。

これは、あたかも私たちが、絶えず移り変わる川の流れの中に杭を打ち込み、そこに必死にしがみつこうとするようなものです。川の流れは自然の摂理であり、変化こそがその本質です。しかし、私たちはその流れに抗い、一時的な安定にしがみつこうとすることで、かえって苦しみを生み出しているのかもしれません。

 

ヨーガの実践:執着という名の綱を手放す

ヨーガは、この執着という名の強固な綱を、力ずくで断ち切ろうとするのではなく、その綱が結びついている根本を見つめ、一つひとつ丁寧に解きほぐしていく道を示します。そのための具体的な実践は、アシュターンガ・ヨーガ(八支則)の中に包括的に示されています。

 

  1. ヤマ(禁戒)とニヤマ(勧戒)

    日々の行動や心のあり方に関する指針です。特に執着の解放と深く関わるのは、ヤマにおける「アパリグラハ(aparigraha)」と、ニヤマにおける「サントーシャ(santoṣa)」でしょう。

    • アパリグラハ(不貪):必要以上のものを所有しない、貪らないという教えです。物質的なものだけでなく、他者からの評価や期待、あるいは特定の考え方への固執を手放すことも含みます。これは、単なる禁欲ではなく、本当に必要なものを見極め、それ以外への執着から自由になる智慧を育むことです。

    • サントーシャ(知足):今あるものに満足し、感謝する心です。常に「もっと欲しい」「これでは足りない」という渇望から離れ、現状の中に豊かさを見出す視点を持つことで、心の平安が得られます。

  2. アーサナ(坐法・体位法)

    身体を通して、心への気づきを深める実践です。アーサナを行う中で、私たちは身体の感覚、筋肉の緊張や弛緩、バランスの変化などを繊細に観察します。この過程で、特定のポーズへのこだわりや、「うまくできなければならない」という結果への執着を手放す練習ができます。また、身体の微細な感覚に意識を向けることで、外部の刺激や思考の渦から一時的に離れ、心の静けさを体験する機会も得られます。身体という、最も身近でありながら見過ごしがちな領域への意識の集中は、あらゆる執着の対象から距離を置くための第一歩となるでしょう。

  3. プラーナーヤーマ(調息法)

    呼吸の制御を通じて、生命エネルギー(プラーナ)を整え、心を安定させる技法です。私たちの感情や思考は、呼吸のリズムと密接に関連しています。怒りや不安を感じている時、呼吸は浅く速くなりがちです。プラーナーヤーマによって意識的に呼吸を深め、穏やかにすることで、感情の波に飲み込まれることなく、心の平静さを保つ力を養います。これは、感情的な反応への自動的な執着から解放される助けとなります。

  4. プラティヤーハーラ(制感)

    感覚器官を、外側の対象から内側へと引き戻す実践です。私たちの心は、五感を通して絶えず外部からの情報を受け取り、それに反応しています。プラティヤーハーラは、この感覚の奔流に意識的にブレーキをかけ、内なる静寂に注意を向ける練習です。これにより、外部の刺激に対する過敏な反応や、それらへの執着を和らげることができます。

  5. ダーラナー(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(三昧)

    これらはヨーガの内的な実践であり、心の働きを一点に集中させ、対象との一体化を経て、最終的には純粋な意識の状態へと至るプロセスです。瞑想の実践において、私たちは思考や感情が浮かんでは消えていく様子を、執着することなくただ観察します。この「観察する意識」を育むことで、思考や感情と自分自身を同一視することから解放され、それらに振り回されることなく、客観的に捉えることができるようになります。

これら八支則の実践に加え、ヨーガには執着を手放すための他のアプローチも存在します。

  • ジュニャーナ・ヨーガ(知識・智慧のヨーガ)

    ヴェーダーンタ哲学などの教えを通して、真実の自己(アートマン)と非自己(アナートマン)、永遠なるものと移り変わるものとを識別する智慧(ヴィヴェーカ)を養います。何が本当に価値があり、何が一時的な幻想であるかを見極めることで、誤った対象への執着から解放されます。

  • バクティ・ヨーガ(信愛・献身のヨーガ)

    神やグル、あるいは普遍的な愛といった対象への深い信愛と献身を通して、個人的なエゴや執着を超越しようとする道です。「私」という小さな枠組みから意識を広げ、より大きな存在に自己を委ねることで、利己的な欲望や恐れから解放されるとされます。

  • カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)

    行為そのものに集中し、その結果への執着を手放す実践です。『バガヴァッド・ギーター』でクリシュナがアルジュナに説いたように、私たちは行為する権利は持ちますが、その結果をコントロールすることはできません。結果への期待や不安を手放し、与えられた役割を献身的に果たすことで、行為に束縛されることなく、心の自由を得ることができます。

 

執着からの解放がもたらす「心の自由」

ヨーガの実践を通して執着から解放されたとき、私たちの心にはどのような自由が訪れるのでしょうか。それは、単に束縛がなくなるという消極的な状態ではなく、より積極的で創造的な心のありようです。

第一に、感情の波からの自由が挙げられます。喜びや悲しみ、怒りや恐れといった感情がなくなるわけではありません。しかし、それらの感情に飲み込まれたり、過剰に反応したりすることなく、あるがままに受け止め、静かに観察することができるようになります。パタンジャリが目指す「チッタ・ヴリッティ・ニローダハ(citta-vṛtti-nirodhaḥ)」、すなわち心の作用の止滅とは、感情の死滅ではなく、感情の波に翻弄されない静謐な心の状態を指すのです。

第二に、ありのままの自己受容が進みます。他者からの評価や社会的な成功といった外部の基準への執着が薄れると、私たちは自分自身の不完全さや弱さをも含めて、ありのままの自分を受け入れることができるようになります。これは、自己肯定感の安定に繋がり、他者との比較から生じる劣等感や優越感からも自由になります。

第三に、物事の本質を見抜く洞察力が養われます。表面的な現象や一時的な感情にとらわれることなく、物事の背後にある本質や、より大きな文脈を捉えることができるようになります。これは、日々の選択や判断において、より賢明でバランスの取れた視点をもたらすでしょう。

第四に、他者への共感と慈悲の心が育まれます。自己中心的な執着から解放されると、他者の苦しみや喜びに対する感受性が高まり、自然と共感や慈悲の心が湧き上がってきます。これは、より調和のとれた人間関係を築く上で不可欠な要素です。

そして最後に、「今、ここ」に生きる感覚の深化です。過去への後悔や未来への不安といった、時間的な執着から解放されると、私たちの意識は「今、この瞬間」に集中し、その豊かさを存分に味わうことができるようになります。この瞬間瞬間に真の自己を見出し、生命の躍動を感じる、それこそがヨーガがもたらす究極的な自由の一つと言えるでしょう。

 

現代を生きる私たちにとっての意義

現代社会は、かつてないほどの物質的な豊かさと情報に囲まれています。しかし、その一方で、多くの人々が精神的な渇きや、見えないプレッシャーによる息苦しさを感じているのではないでしょうか。消費を煽る広告、絶え間ない他者との比較、成功への強迫観念など、私たちの周りには執着を生み出す仕掛けが溢れています。

このような時代において、ヨーガが説く「執着からの解放」というメッセージは、極めて重要な意義を持ちます。それは、外部の状況に振り回されることなく、内なる心の平安と自由を見出すための羅針盤となり得るからです。

ただし、執着を完全に手放すということは、人間である以上、非常に困難な道程であることを認識しておく必要もあります。ヨーガは、ある日突然、全ての執着が消え去るという魔法を約束するものではありません。むしろ、日々の実践を通して、少しずつ執着に気づき、それと適切な距離を取る訓練を重ねていく、地道なプロセスそのものです。

そして、「執着を手放す」ということが、「無気力」や「諦め」を意味するのではないことも重要です。情熱を持って目標に向かうことや、愛する人々との絆を大切にすることは、執着とは異なります。ヨーガが目指すのは、これらの健全な欲求や愛情を、苦しみを生む「しがみつき」へと変質させない智慧とバランス感覚を養うことなのです。

私たちは、この変化し続ける世界の中で、様々なものと関わりながら生きていかざるを得ません。ヨーガは、その関わり方において、苦しみではなく喜びや成長を見出すための術を教えてくれます。それは、執着というフィルターを通して世界を見るのではなく、澄み切った心の目で、ありのままの世界と自分自身を見つめる生き方です。

次講では、この「執着からの解放」というテーマを、現代のもう一つの潮流である「ミニマリズム」という思想と実践の観点から考察してまいります。ヨーガとミニマリズム、二つの異なる道が、どのようにして私たちの心の自由という共通の目的地へと導いてくれるのか、その交差点を探求していきましょう。

 

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。