ヨーガの実践とは、単に身体を柔軟にしたり、健康を増進させるだけのものではありません。それは、私たち人間が本来持っている可能性を開き、より深く、より豊かな人生を歩むための道標となるものです。そして、そのヨーガの道において、羅針盤となるのが「ヨーガスートラ」という聖典です。
ヨーガスートラは、古代インドの賢者パタンジャリによって編纂された、ヨーガ哲学の根幹を成す教典です。この書物の中で、パタンジャリはヨーガの八支則という実践体系を提示しています。八支則とは、ヨーガの道を歩む上で不可欠な八つの段階であり、ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)、アーサナ(坐法)、プラーナヤーマ(呼吸法)、プラティヤハーラ(感覚の制御)、ダーラナ(集中)、ディヤーナ(瞑想)、サマーディ(三昧)から構成されています。
この八支則の中でも、特に重要とされているのが、ヤマとニヤマ、つまり倫理の実践です。なぜなら、ヤマとニヤマは、ヨーガの実践の土台であり、私たち自身の内面と、社会との関わり方を根本から見直すことを促すものだからです。土台がぐらついていては、その上にどんな立派な建物を建てようとしても、結局は崩れてしまいます。ヨーガの実践も同じで、倫理という土台がしっかりしていなければ、その後のアーサナや瞑想といった高度な実践も、真の効果を発揮することは難しいでしょう。
もくじ.
なぜ今、ヨーガにおける倫理が重要なのか
現代社会は、目まぐるしい変化と複雑な問題に満ち溢れています。情報過多、競争社会、人間関係の希薄化、環境問題、経済格差… 私たちは、日々、様々なストレスや不安にさらされ、心の平穏を保つことが難しくなっています。このような時代だからこそ、ヨーガが提示する倫理観、特にヤマとニヤマの実践が、私たちにとって重要な意味を持つのではないでしょうか。
ヨーガの倫理は、単なる道徳的な教訓ではありません。それは、自己の内なる平和と社会との調和を実現するための智慧であり、具体的な行動指針です。ヤマとニヤマを実践することで、私たちは、自分自身と深く向き合い、心の癖や執着に気づき、より意識的な生き方を選択できるようになります。
また、ヨーガの倫理は、東洋思想の深い歴史と密接に結びついています。仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教など、東洋の様々な思想は、非暴力(アヒンサー)、真実(サティヤ)、**清貧(アスティヤ)**といった倫理的な価値観を重視してきました。ヨーガスートラのヤマとニヤマも、これらの東洋思想の根底にある倫理観を受け継ぎ、ヨーガの実践を通して、私たち自身の内面と社会全体をより良い方向へと導こうとするものです。
ヤマ(禁戒) – 社会との関わりにおける五つの倫理
ヤマとは、禁戒、つまり「してはいけないこと」を意味します。ヨーガスートラでは、以下の五つのヤマが挙げられています。
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アヒンサー(Ahimsa):非暴力
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サティヤ(Satya):真実
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アスティヤ(Asteya):不盗
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ブラフマチャリヤ(Brahmacharya):梵行
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アパリグラハ(Aparigraha):不貪
これらのヤマは、私たち自身だけでなく、他者、そして社会との関わりにおいて、私たちが守るべき倫理的な指針を示しています。
アヒンサー(Ahimsa):非暴力 – あらゆる生命に対する尊重
アヒンサーとは、非暴力、不殺生と訳されますが、単に暴力を振るわない、殺さないということだけではありません。それは、言葉、思考、行動の全てにおいて、他者を傷つけない、害を与えないという、より深い意味を含んでいます。
アヒンサーは、ヨーガの倫理観の根幹を成すものであり、すべてのヤマ、ニヤマの基礎となります。なぜなら、他者を傷つける行為は、最終的には自分自身を傷つけることになるからです。私たちは、他者と繋がり、相互に依存し合って生きています。他者の苦しみは、巡り巡って私たち自身の苦しみにも繋がるのです。
アヒンサーの実践は、まず自分自身に対する暴力から始める必要があります。私たちは、日々の生活の中で、批判的な自己対話や、過度な自己犠牲など、様々な形で自分自身を傷つけていることがあります。まずは、自分自身を優しく受け入れ、慈しむことから始めましょう。
そして、言葉の暴力にも注意が必要です。悪口、陰口、誹謗中傷、SNSでの攻撃的なコメント… 言葉は、時に刃物よりも深く人を傷つけることがあります。私たちは、言葉の力を自覚し、常に思いやりのある言葉を使うように心がけなければなりません。
さらに、アヒンサーは、動物や自然に対する暴力にも及びます。私たちは、他の生命を搾取したり、環境を破壊したりすることなく、すべての生命が共存できる社会を目指すべきです。
サティヤ(Satya):真実 – 誠実さ、正直さ、そして真実を語ること
サティヤとは、真実、誠実、正直を意味します。サティヤの実践は、嘘をつかない、ごまかさない、正直に生きるということです。しかし、サティヤは、単に事実を述べるだけでなく、思いやりと状況を考慮する必要があります。
例えば、真実を語ることが、相手を深く傷つける場合や、不必要な争いを生む可能性がある場合もあります。そのような場合は、沈黙することもまた、サティヤの実践となることがあります。ヨーガスートラは、「言葉は真実であり、快く、有益でなければならない」と説いています。真実を語ることは重要ですが、同時に、優しさと配慮も忘れてはなりません。
サティヤの実践は、まず自分自身に対して誠実であることから始まります。自分の感情や考えを偽らず、ありのままの自分を受け入れることが大切です。自己欺瞞は、私たちを真の幸福から遠ざけ、心の成長を妨げる最大の要因の一つです。
また、情報過多な現代社会においては、真実を見抜く力も重要になります。SNSやインターネット上には、誤った情報や偏った情報が溢れています。私たちは、情報を鵜呑みにするのではなく、批判的に吟味し、真実に基づいた判断をするように心がける必要があります。
アスティヤ(Asteya):不盗 – 所有への執着を手放す
アスティヤとは、不盗、不窃、つまり盗みをしないことを意味します。これは、他人の物を盗むことはもちろん、時間、エネルギー、アイデアなど、形のないものも含まれます。また、アスティヤは、不当な利益を得ようとすること、ずる賢いことをすることも戒めています。
アスティヤの実践は、所有への執着を手放すことにも繋がります。私たちは、物質的な豊かさを求め、所有することに価値を見出しがちですが、ヨーガは、真の豊かさは、内なる充足感にあると教えています。
現代社会は、消費を煽り、所有欲を刺激する社会です。私たちは、常に何かを「もっと」欲しがり、手に入れることに奔走しています。しかし、いくら物を手に入れても、心が満たされることはありません。むしろ、所有欲は、私たちを常に欠乏感と不安に苛ませ、真の幸福から遠ざけてしまいます。
アスティヤの実践は、ミニマリストの思想とも深く共鳴します。本当に必要なものを見極め、不必要なものを手放すことで、私たちは、物質的な束縛から解放され、心の自由と豊かさを手に入れることができます。
ブラフマチャリヤ(Brahmacharya):梵行 – エネルギーの適切な活用
ブラフマチャリヤは、梵行と訳され、エネルギーの浪費をしない、性的なエネルギーの節制、禁欲など、様々な意味を持つ言葉です。ブラフマチャリヤは、単に性的な欲求を抑えることだけではなく、五感を通じて外界に向かうエネルギーを内側に向けることを意味します。
私たちのエネルギーは、有限です。そのエネルギーを、欲望のままに浪費してしまうと、心身ともに疲弊し、ヨーガの実践に必要なエネルギーも枯渇してしまいます。ブラフマチャリヤの実践は、エネルギーを無駄遣いせず、自己の内なる成長のために活用することを促します。
現代社会は、刺激と誘惑に満ち溢れています。SNS、ゲーム、アルコール、薬物… 私たちは、常に外部からの刺激を求め、刹那的な快楽に溺れがちです。しかし、これらの刺激は、一時的な快楽は与えてくれるものの、根本的な解決にはなりません。むしろ、依存症や心身の不調を引き起こし、私たちを苦しめる原因となることがあります。
ブラフマチャリヤの実践は、自己制御の力を養い、依存から解放されるための道筋を示してくれます。私たちは、外部からの刺激に頼るのではなく、内なる静けさと充足感を見出すことができるはずです。
アパリグラハ(Aparigraha):不貪 – 執着を手放し、今ここにあるものに感謝する
アパリグラハとは、不貪、不執着、無所有と訳されます。アパリグラハの実践は、必要以上のものを所有しない、未来への不安から過剰な蓄えをしない、所有物への執着を手放すことです。
アパリグラハは、アスティヤ(不盗)と深く関連しており、物質的な所有に対する考え方を根本から見直すことを促します。私たちは、物を所有することで安心感を得ようとしがちですが、所有物は、常に変化し、失われる可能性があります。所有物に執着すればするほど、私たちは、喪失の恐怖に苛まれ、心が満たされることはありません。
アパリグラハの実践は、今ここにあるものに感謝することから始まります。私たちは、既に多くのものを持っていることに気づくはずです。健康な身体、温かい家庭、信頼できる友人、美しい自然… 私たちは、与えられている恵みに感謝し、足るを知ることで、心の平穏を得ることができます。
アパリグラハは、未来への不安を手放すことにも繋がります。私たちは、未来に対する不安から、必要以上に物を蓄えたり、お金を貯めこんだりしがちですが、未来は常に不確実であり、コントロールすることはできません。アパリグラハの実践は、未来への不安を手放し、今この瞬間を大切に生きることを教えてくれます。
ニヤマ(勧戒) – 自己の内面を磨く五つの倫理
ニヤマとは、勧戒、つまり「するべきこと」を意味します。ヨーガスートラでは、以下の五つのニヤマが挙げられています。
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シャウチャ(Shaucha):清浄
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サントーシャ(Santosha):知足
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タパス(Tapas):苦行
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スヴァディヤーヤ(Svadhyaya):学習
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イシュヴァラプラニダーナ(Ishvarapranidhana):自在神祈念
これらのニヤマは、自己の内面を磨き、精神的な成長を促すための倫理的な指針です。
シャウチャ(Shaucha):清浄 – 心身の純粋さを保つ
シャウチャとは、清浄、清潔、純粋さを意味します。シャウチャの実践は、身体、心、環境を清潔に保つことです。
身体の清潔は、日々の入浴や歯磨き、清潔な衣服を身につけることなど、基本的な衛生習慣を指します。また、食生活にも気を配り、消化の良い、新鮮な、自然な食べ物を摂取することも、身体の清浄に繋がります。
心の清浄は、ネガティブな感情や思考を浄化し、ポジティブな、穏やかな心を育むことです。瞑想やヨーガのアーサナ、プラーナヤーマの実践は、心の清浄に役立ちます。また、感謝の気持ちを持つこと、許しの心を持つこと、思いやりの心を持つことも、心の清浄に繋がります。
環境の清浄は、住居、職場、地域など、身の回りの環境を清潔に保つことです。整理整頓を心がけ、ゴミを減らし、自然環境を大切にすることも、環境の清浄に繋がります。
シャウチャの実践は、心身の健康を保つだけでなく、集中力を高め、精神的な安定をもたらします。清潔な環境は、心地よく、心身ともにリラックスできます。清浄な心は、曇りがなく、物事をありのままに見ることができます。
サントーシャ(Santosha):知足 – 今に満足し、感謝する心
サントーシャとは、知足、満足、充足を意味します。サントーシャの実践は、今あるものに満足し、感謝することです。
私たちは、常に何かを「もっと」欲しがり、現状に不満を抱きがちです。しかし、ヨーガは、真の幸福は、外側の状況ではなく、内なる心の状態にあると教えています。サントーシャの実践は、比較や競争から解放され、今この瞬間の幸せに気づくことを促します。
サントーシャの実践は、感謝の気持ちを育むことから始まります。私たちは、日々、多くの恵みを受けて生きています。健康な身体、温かい家庭、信頼できる友人、美味しい食事、美しい自然… これらの恵みに感謝することで、私たちは、心が満たされ、幸福感を感じることができます。
また、サントーシャは、期待を手放すことにも繋がります。私たちは、未来に対する過剰な期待や、過去への後悔に囚われがちですが、ヨーガは、過去と未来ではなく、今この瞬間に意識を向けることを大切にします。サントーシャの実践は、期待と不安から解放され、今を生きる喜びを教えてくれます。
タパス(Tapas):苦行 – 自己鍛錬、情熱、内なる炎
タパスとは、苦行、熱、情熱、自己鍛錬を意味します。タパスの実践は、困難や苦痛を受け入れ、自己成長のために努力することです。
タパスは、単なる苦行ではなく、内なる炎を燃やし、自己変革を促す力強いエネルギーです。ヨーガの実践においては、アーサナ、プラーナヤーマ、瞑想など、様々なタパスの実践があります。これらの実践は、肉体的、精神的な抵抗を伴うこともありますが、それを乗り越えることで、私たちは、内なる強さと忍耐力を養うことができます。
現代社会は、快適さと便利さを追求する社会です。私たちは、苦痛を避け、楽な道を選びがちですが、ヨーガは、成長はコンフォートゾーンの外にあると教えています。タパスの実践は、困難に立ち向かい、限界を突破する勇気を与えてくれます。
タパスは、情熱を持って目標に向かって努力することも意味します。ヨーガの実践を通して、私たちは、人生の目的や使命を見つけるかもしれません。タパスの実践は、その目的に向かって、情熱と集中力を持って取り組む力を与えてくれます。
スヴァディヤーヤ(Svadhyaya):学習 – 自己探求、聖典の研究
スヴァディヤーヤとは、学習、自己探求、聖典の研究を意味します。スヴァディヤーヤの実践は、自己の内面を深く探求し、ヨーガ哲学や聖典を学ぶことです。
自己探求は、瞑想や内観を通して、自分自身を深く理解することです。私たちは、自分の感情、思考、行動パターン、価値観、信念などを深く掘り下げていくことで、自己認識を深め、自己変革のきっかけを得ることができます。
聖典の研究は、ヨーガスートラ、バガヴァッド・ギーター、ウパニシャッドなど、ヨーガ哲学の聖典を学ぶことです。これらの聖典は、人生の目的、真の幸福、心の仕組みなど、人間存在の本質について深く考察しています。聖典を学ぶことは、智慧を深め、人生の指針を得ることに繋がります。
スヴァディヤーヤの実践は、知識を増やすだけでなく、自己理解を深め、人生の意味を見出すための道標となります。
イシュヴァラプラニダーナ(Ishvarapranidhana):自在神祈念 – 全てを委ねる、手放す
イシュヴァラプラニダーナとは、自在神祈念、神への献身、全てを委ねる、手放すという意味です。イシュヴァラとは、特別な魂、最高の存在、宇宙の創造主などと解釈されます。
イシュヴァラプラニダーナの実践は、自我の執着を手放し、より大きな存在に全てを委ねることです。私たちは、自我を中心に世界を捉えがちですが、ヨーガは、宇宙全体の一部であることを教えています。イシュヴァラプラニダーナの実践は、自我の限界を超え、宇宙との一体感を体験することを促します。
イシュヴァラプラニダーナは、結果への執着を手放すことにも繋がります。私たちは、努力の結果をコントロールしようとしがちですが、結果は常に不確実であり、私たちの思い通りになるとは限りません。イシュヴァラプラニダーナの実践は、結果を神、あるいは宇宙に委ね、プロセスを楽しむことを教えてくれます。
イシュヴァラプラニダーナは、安心感と信頼感をもたらします。私たちは、宇宙という大きな力に支えられていることを実感し、孤独感や不安から解放されます。
ヤマ・ニヤマの実践的な重要性 – ヨーガの土台を築く
ヤマとニヤマは、ヨーガの実践における倫理的な基盤であり、心の浄化と精神的な成長に不可欠な要素です。ヤマとニヤマを実践することで、私たちは、自己中心的な考え方や行動から解放され、他者や社会との調和を取り戻すことができます。
ヤマの実践は、社会との関わり方を सुधारし、人間関係を円滑にします。アヒンサーの実践は、争いや暴力を減らし、平和な社会を築くことに貢献します。サティヤの実践は、信頼関係を築き、コミュニケーションを円滑にします。アスティヤの実践は、公平で公正な社会を実現します。ブラフマチャリヤの実践は、エネルギーを有効活用し、創造性を高めます。アパリグラハの実践は、持続可能な社会を築き、環境問題の解決に貢献します。
ニヤマの実践は、自己の内面を磨き、精神的な成長を促します。シャウチャの実践は、心身の健康を保ち、集中力を高めます。サントーシャの実践は、幸福感を高め、ストレスを軽減します。タパスの実践は、自己鍛錬の力を養い、目標達成をサポートします。スヴァディヤーヤの実践は、自己理解を深め、智慧を磨きます。イシュヴァラプラニダーナの実践は、安心感と信頼感をもたらし、精神的な安定をもたらします。
ヤマとニヤマの実践は、ヨーガのアーサナやプラーナヤーマ、瞑想などの実践を深めるためにも不可欠です。倫理的な土台がしっかりしていなければ、どんなに高度なヨーガのテクニックを習得しても、真の効果を発揮することは難しいでしょう。ヤマとニヤマの実践を通して、私たちは、心の準備を整え、ヨーガの実践をより深く、より豊かなものにすることができます。
現代社会は、物質主義、個人主義、消費主義が蔓延し、倫理観が希薄になっていると言われています。このような時代だからこそ、ヨーガが提示するヤマとニヤマの実践は、私たちにとって、心の羅針盤となり、より人間らしい生き方を取り戻すための道標となるのではないでしょうか。
ヨーガスートラの教えは、決して古臭いものではありません。それは、普遍的な真理であり、現代社会においても、私たち一人ひとりの人生を豊かにし、社会全体をより良くするための智慧を与えてくれます。
ヤマとニヤマの実践は、一生をかけて取り組むべき課題です。完璧を目指す必要はありません。毎日少しずつ、意識的に実践していくことが大切です。日々の生活の中で、アヒンサー、サティヤ、アスティヤ、ブラフマチャリヤ、アパリグラハ、シャウチャ、サントーシャ、タパス、スヴァディヤーヤ、イシュヴァラプラニダーナの教えを思い出し、行動に移していくことで、私たちは、内なる平和と社会との調和を実現し、真の幸福へと近づくことができるでしょう。
ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。


