人との別れに関して書いてみます。
いろんな別れがありますが「しばらくは一緒にいると思ったのに離れることになった」というタイプについて書いてみます。
予想できなかったような別れですね。
友人との別れ、パートナーとの別れ、死別など、それぞれあると思います。
別れることはなかなかキツイことではありますが、人生とはそういうものです。
「さよならだけが人生だ」なんて言葉もありますが、そうやって人々は生きています。
あの人も、この人も、そしてあなたも。
どんな内容になるか分かりませんが書いてみます。
記事の最後に結論を書きました。
結論だけ見たい人は最後をお読みください。
人生は別れと出会いの連続
そもそも人は別れをたくさん経験します。
当たり前の事実ですが、そういうものです。
人は別れを山ほど経験します。
今ではあまり気にしていないかもしれませんが、幼稚園から小学校に入学する時でさえ、友達と別れています。
全員が同じ小学校に行くわけではありません。
小学校のクラス替えでさえ、その後、一度も同じクラスにならずに中学校に上がる人もいます。
転校を経験した人もいるでしょう。
友人が転校してしまって別れた人もいるでしょう。
そうやって気づけばたくさんの友達や顔見知りと別れていきます。
別れで辛いのはそれなりな期間一緒にいたりするからだと思いますが、当然、親しい人と離れるのは寂しいものです。
学生の頃はその連続だったと思います。
初めて付き合った人と結婚するケースもあまり多くはないと思います。
別れたり出会ったりとパートナーとの思い出もたくさんある人もいるでしょう。
そうやって人は生きています。
結局はそういうものである、とだけしか言えそうにありません。
運命のような出会いもあるとは思います。
それもまたひとつのストーリーです。
それで幸せになったり、はたまた大変な経験をされることもあります。
運命のような出会いがあるのではなく、そもそも運命として出会っています。
すべての出会いが運命です。
運命的にみんなが出会っていき、そして運命として別れていくのです。
人は些細なことに思っていることでも、その些細なことの影響で今後のことを決めていたりします。
「おはよう」と一言挨拶するだけで未来は変化します。
その小さな干渉縞は確実に未来に影響を与えています。
そうやって相互干渉しながら人生は運命の連続を編んでいくのです。
人との出会い別れも何をどのように影響しているかはわからないほどカオスな形で影響を受け、今後の人生を変化させています。
一期一会と言われても困る
一期一会という言葉があります。
今日が最後の日だと思って接することです。
今目の前にいる人に一期一会で接しているでしょうか。
そこまでの感覚で接するのは日常的には無理があります。
本当に最後だと思ったら、いろんなことを言いたくなるし、友人とお茶していてもそれどころではないでしょうし、仕事仲間ならそれはそれで仕事どころではないでしょう。
なので、本当の意味での一期一会のように接することはできませんが、その瞬間瞬間を大切に接することはできます。
別れはがあると思って接するのは重たく過ぎますので、ナチュラルな感覚で、でも「この瞬間は大切にする」ということです。
このぐらいでしかできません。
そうやって最善を尽くして接することで、別れも「良い体験」として人生に必要な要素として現れるのだと思います。
終わりに:わたしもたくさんの別れがありましたが出来ることがあります
わたしもたくさんの別れがありました。
「もっと、ああ言っておけば良かった」とか「もう会えなくなるのなら、誤解を解いておいた方が相手にも良かったのではないか」とか「わたしにしかできないことがあったのにやれなかった」とか思い浮かべます。
それらを今の目の前の人たちにひとつひとつやっていくことです。
今、目の前にいる人が突然いなくなって後悔することは、先にやっておこうと思います。
ですが、最善を尽くしたとしても後悔は起こります。
そんなものです。
やれやれ、という気分ではありますが、過剰な形でメッセージをいきなりは送れないので(送ってしまって変なことになったことは多々ありますが笑)、自愛をもって接することができればと思ってます。
それが最善を尽くすことのひとつに思います。
「幸せでありますように」「天命が全うされますよに」といつも祈っています。
これは本当です。
少しでも幸せで笑顔になった方が良いに決まっているからです。
祈りの力もバカになりませんからね、少しでも良い方向に行くならいいじゃないですか。
結論。
寂しいのは、その相手の幸せな人生に自分はもう登場しないということです。
嬉しいのは、今後の新しい出会いの人たちと幸せな時間を共有できるということです。
ではでは。