労働を推奨しておりません。
いきなり何を言い出すのかと、驚かれるかもしれません。
もちろん、社会生活を営む上で、金銭を得るための活動を否定しているわけではありません。
私がここで申し上げたい「労働」とは、魂をすり減らし、時間と生命を切り売りするような「苦役としてのLabor」のことです。
多くの人は、定年まで働き、その後に「自由」が待っていると信じています。
しかし、ヨガ的な時間軸において、未来のために今を犠牲にするという考え方は存在しません。
あるのは永遠の「今」だけです。
ですから、順序が逆なのです。
何かを成し遂げたから自由になるのではなく、先に心の中で「労働」をやめてしまうこと。
先に自由になってしまうこと。
そこからしか、本当の意味での創造的で豊かな人生(Life)は始まらないのです。
今日は、現代社会が抱える病理と、そこから抜け出し、人生を「遊び」に変えるためのヨガの智慧について、少し深く潜ってお話ししたいと思います。
もくじ.
現代社会という巨大な強制収容所
私たちは、いつの間にか「働かざる者食うべからず」という呪いにかけられています。
朝、目覚まし時計の不快な音で叩き起こされ、満員電車という鉄の箱に詰め込まれ、自分の感情を殺してタスクをこなす。
これは、生物として自然な姿でしょうか。
現代社会、特に資本主義の構造は、私たちの「不安」を燃料にして回っています。
「老後が心配だ」「もっといい家に住まないと幸せになれない」「このキャリアから降りたら終わりだ」。
そうやって欠乏感を煽り、その穴を埋めるために私たちを労働へと駆り立てます。
これは、ヨガで言うところの「アヴィディヤー(無知)」の状態です。
本来、私たちはそのままで完全であり、満たされた存在(プールナ)であるにもかかわらず、自分を「欠けた存在」だと錯覚させられているのです。
労働(Labor)の語源には「苦しみ」「骨折り」という意味が含まれているそうです。
多くの人にとって、仕事は「我慢の対価」として給料をもらうシステムになってしまっています。
嫌なことに耐えた分数だけ、お金がもらえる。
これは自分の生命時間を、お金という記号に交換しているに過ぎません。
そんな生き方を続けていれば、心身が悲鳴を上げるのは当然のことでしょう。
うつ病やバーンアウトが増え続けるのは、個人の弱さのせいではなく、システムそのものが生命の理(ことわり)に反しているからです。
カルマ・ヨガ:行為の結果への執着を手放す
では、明日から会社を辞めて山に籠もればいいのでしょうか。
ヨガは極端な逃避を推奨しているわけではありません。
重要なのは、物理的に仕事を辞めることよりも先に、精神的な態度(アティチュード)を変革することです。
ヨガの聖典『バガヴァッド・ギーター』には、「カルマ・ヨガ(行為のヨガ)」という教えがあります。
これは「行為の結果に執着することなく、ただ行為そのものに没頭せよ」という教えです。
私たちはつい、「これをやったら幾ら儲かるか」「これをやったら誰に褒められるか」という結果(果実)ばかりを気にしてしまいます。
この「下心」こそが、行為を「労働」へと堕落させる原因なのです。
見返りを求めず、ただ目の前のことに丁寧に、誠実に取り組むこと。
皿洗い一つとっても、それを「面倒な労働」としてやるのではなく、水の冷たさや皿の滑らかさを感じながら、美しく洗うこと。
その時、行為は「労働」から「瞑想」へと昇華されます。
結果を神(あるいは宇宙、大いなる流れ)に委ね(イシュワラ・プラニダーナ)、自分はただの道具となって動くとき、そこにエゴの入る隙間はありません。
エゴがなければ、苦しみも生まれません。
これが、働きながらにして労働をやめる、という境地です。
「私」という主語を消して、遊ぶように生きる
スピリチュアルな視点から見れば、この世界は神の遊び(リーラ)であると言われています。
深刻な顔をして、眉間に皺を寄せて生きることは、魂の本来のあり方ではありません。
「労働をやめる」ための秘訣は、人生を壮大なRPG(ロールプレイングゲーム)のように捉え直すことです。
会社員という役割を演じている自分、親という役割を演じている自分。
それを、空の上から眺めているもう一人の自分(観照者)に気づくことです。
「ああ、今、私はクレーム対応というイベントをこなしているな」と、どこか面白がってみる。
深刻さを手放し、ゲーム感覚を取り戻すのです。
トランサーフィンの概念を借りれば、過剰な重要性を下げるということです。
「この仕事に失敗したら人生終わりだ」と思うから、身体がこわばり、パフォーマンスが落ちるのです。
「まあ、死ぬわけじゃないし」という軽やかさを持つこと。
「どうせ最後は死ぬんだから、やりたいようにやろう」という開き直りを持つこと。
その軽やかさが、皮肉にも(あるいは必然的に)、仕事の成果を最大化させたり、予期せぬ幸運を引き寄せたりします。
ベーシックインカムはすでに心の中にある
経済的な不安が、労働をやめることの最大の障壁となっていることは承知しています。
しかし、ヨガの実践者として申し上げたいのは、「足るを知る(サントーシャ)」の精神があれば、必要なコストは驚くほど下がるということです。
私たちが稼がなければならないと思っているお金の多くは、実は「ストレス解消代」や「見栄代」ではないでしょうか。
労働のストレスを癒やすための暴飲暴食、マッサージ、衝動買い。
他人より優位に立つためのブランド品、高い家賃。
先に心の中で労働をやめ、ストレスが減れば、これらの出費は自然と消滅します。
必要なものが少なくなれば、嫌なことをしてまで稼ぐ必要がなくなります。
そうやって、生活のサイズを適正化していくことで、私たちは資本主義のランニングマシーンからそっと降りることができるのです。
宇宙は真空を嫌います。
あなたが、恐れに基づいた「やらなければならない労働」を手放し、スペース(空白)を作れば、そこには必ず、あなたの魂が喜ぶ「本当にやりたい活動(ダルマ)」が流れ込んできます。
それは、お金のためではなく、内側から溢れ出る情熱によって突き動かされる行為です。
側から見れば働いているように見えるかもしれませんが、本人にとってはただの「遊び」であり「喜び」です。
これこそが、真の仕事(Work)であり、創造です。
結論:先に降りて、お茶でも
まずは、心の中で辞表を出しましょう。
誰に?
あなたを縛り付けている、あなた自身の「常識」や「恐れ」という上司に対してです。
「私はもう、苦役としての労働はしません」
「私は、喜びとして世界に関わります」
そう宣言するのです。
物理的に退職するのは、その後で構いません。
まずは内側の周波数を、「奴隷」のチャンネルから「創造主」のチャンネルへと切り替えることです。
電車の中で、オフィスの中で、あなただけがこっそりと「労働をやめた人」として存在してみてください。
周りがピリピリしていても、あなただけは深い呼吸とともに、静寂の中にいる。
その余裕、その「隙」が、硬直した現実に風穴を開けます。
焦ることはありません。
植物は労働していませんが、美しく花を咲かせ、実を結びます。
私たちも自然の一部です。
力みを手放し、流れに身を委ねれば、必要なものは必要なタイミングで与えられます。
先に労働をやめてしまいましょう。
そして、この世界の美しさを味わう時間を、もっと自分に許してあげてください。
人生は、苦しむためにあるのではありません。
ただ、経験し、味わい、楽しむためにあるのですから。
お茶でも飲みながら、そんなことをぼんやりと考えてみるのも良いかもしれませんね。
ではまた。




