「自信を持て」「私は自信があります」「自信がないんです」ということを言ったりします。
使っている人を時々みかけますよね。
もしくは、あなたも使っているかもしれません。
本当に自信があるかどうかは置いといて、自分を信じることはとても大事なことです。
自分の中にある確固たる信念は誰にも奪われることはないのですから、自信を持つのは自由ですし、大切な場面で助けてくれることもあります。
逆に、自分を信じていない人は、周りの人たちも信じていないことになりますよね。
なぜならば「『私はあなたを信じている』と言っている、私を私は信じていない」のですから、自分を信じていない人の言葉は、その言葉自体は真実かもしれませんが本人は信じていないわけですからね。
自分を信じるというのはどういうことか。
適当に書いてみます。
適当なので信じなくていいですからね。
自信なんてある意味どうでもいい
自信はある意味どうでもいいものです。
いきなりごめんなさい。
なぜなら、事実とは別で自信は自分で勝手に作れるものだからです。
実際にあるかどうかはどうでもいいのです。
自信があってもなくても、することはするものです。
自信がないから”やらない”のは、その先にある他の理由が隠れていることでしょう。
自信は見せかけです。
自信は自分で勝手に信じていれば生まれるものだからです。
自分でコントロールできるものですからね、それを「あるなし」で「やるやらない」決めているということは、他に理由があると思います。
どうでしょうか。
自信があるから〇〇するのか、自信がなくても〇〇をするのか。
自信のあるなしを考えずに判断する
何をやりたいかを、自信やスキルで判断しないのはとても大事です。
スタート地点から、今の自分の持ち物だけで判断してしまえばどこにもいけません。
例えば、富士登山を考えていても、登山道具を持っていないから登れないという人がいれば、買えばと思いますよね。
それと似ていて、やりたいけどできないことがあった場合、その理由に今持っていないものを挙げてしまうのです。
道具なら買えばいいのと一緒で、条件や物やスキルや状況を変えていけばいいのです。
どう対処するかはあとで考えます。
まずは何をしたいかです。
自信を前提にしない。
自信があるかどうかの前に、何をしたいかです。
何をしたいですか。
私はヨガを教えたかったけど、ヨガの知識もなくスキルもなかったです。
だから自信をつくまで待ったか。違いますよね。
そのままやり始めました。
自信のあるなしは関係なく、やりたい方向へと舵を切ったわけです。
逆に勝手に自信を持って行動してもいいのですよ。
それはそれでありです。
自信をもちなさいを無視する
自信があるから〇〇する、というのもあまり考えなくていいと思います。
自信があるかどうかではなくて、やるかどうかが大事です。
自信があるかどうかではなくて、どう工夫するかが大事です。
自信があるかどうかではなくて、どう継続していくかが大事です。
自信があるかどうかではなくて、どう実践していくかが大事です。
自信があるかどうかではなくて、どう関わっていくかが大事です。
自信があるかどうかではなくて、どう楽しんでいくかが大事です。
そうですよね、自信を持ちたい理由や目的は自信そのものではないですからね。
どうでもいいのですよ。
スキル磨きたいならスキルを磨けばいいのです。
自信は関係ありません。
ということで、本当にしたいことはなんでしょうか。
そのために大事だと思うことはなんでしょうか。
鍵となることはなんでしょうか。
今できることはなんでしょうか。
自信なんてのに翻弄されずに、どんどんやっていきましょう。
終わりに:場所を変えると気分が変わる
場所が変わると気分を変えて仕事ができますよね。
それでも限界はありますが、いいものですね。
気分が変わると普段とは違う表現が出てきます。
言葉が変わりますよね。
面白いものです。
気分が変わると文体にも変化が起こる気がします。
落ち着いた気分で書いているので、文体も少し変化している気がします。
BORN TO YOGのクラスをやっていても、その時の場所や気持ちで場のエネルギー感が変わっているのだと思います。
整理整頓に関してもよく記事を書いてますが、そのスッキリした気分でヨガも瞑想もやりたいのですよね。
これからも掃除したり、場所を変えて気分を変えて取り組んでいこうと思います。