私たちは、大きな目標を掲げ、華やかな成功を夢見ることに慣れています。昇進、結婚、目標金額の達成。そうした目に見える大きな成果だけが「達成」であり、価値のあることだと信じ込んでしまいがちです。しかし、高くそびえる大樹が、目には見えない根から養分を吸い上げて成長するように、私たちの自己肯定感や幸福感という木を育むのは、日々の生活の中に散りばめられた、ささやかで「小さな達成感」という養分なのです。
ヨガの練習は、この小さな達成感を見つけるための、素晴らしい訓練の場となります。ヨガの世界では、最終的なポーズの完成形(例えば、開脚してべったりと胸が床につくこと)だけが目的ではありません。むしろ、そこに至る日々のプロセス、昨日よりもほんの少しだけ身体が開いた、呼吸が深まったという、微細な変化に気づき、それを慈しむことの方に、より深い価値が見出されます。これは、パタンジャリが説く「アビヤーサ(絶え間ない修習)」と「ヴァイラーギャ(結果への離欲)」という、ヨガ実践の二本の柱そのものです。淡々と練習を続け、その結果どうなるかには執着しない。この姿勢が、私たちを過剰な期待と、それが叶わなかった時の失望から解放してくれます。
では、「小さな達成感」とは、具体的にどのようなものでしょうか。それは、他人には全く気づかれないような、自分だけのささやかな進歩です。
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前屈をした時、昨日より指先が1ミリだけ床に近づいた感覚。
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バランスポーズで、いつもより1秒長く、穏やかな呼吸で立てた瞬間。
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瞑想中に、次々と湧いてくる雑念に気づき、「ああ、また考えていたな」と優しく呼吸に意識を戻せたこと。
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吸う息が、いつもは胸のあたりで止まっていたのに、今日はお腹の底まで深く届いたという、あの満ち足りた感覚。
なぜ、このような些細なことが、それほどまでに重要なのでしょうか。第一に、それは「自己肯定感の根」を育てます。大きな成功体験は、時に自信を与えてくれますが、それが得られない期間が続くと、自己価値は揺らぎがちです。しかし、「私にもできる」「私は日々成長している」という小さな実感の積み重ねは、どんな状況でも揺らぐことのない、どっしりとした自己信頼の土台を築いてくれます。
第二に、私たちの脳は、達成の大小にかかわらず、「できた!」という経験によって、幸福物質であるドーパミンを分泌します。この小さな報酬が、継続のためのモチベーションとなり、ポジティブな循環を生み出します。
そして何よりも重要なのは、この実践が、私たちを「比較という病」から救い出してくれることです。私たちは常に、他人と自分を比べては、一喜一憂しています。しかし、小さな達成感に目を向ける時、比較の対象は「他人」ではなく、「昨日の自分」になります。これは、自分自身のユニークな学びのペースと、唯一無二の旅路を深く尊重することに繋がるのです。内田樹氏が武道の稽古について語るように、上達とは、昨日できなかったことが今日できるようになる、その身体的な実感の連なりに他なりません。私たちは、自分自身の「良き師」となり、自分のささやかな進歩を誰よりもまず見つけ、承認し、褒めてあげる必要があるのです。
引き寄せの観点から言えば、「私は成長している」「私は良くなっている」という感覚(波動)こそが、さらなる成長と望ましい変化を引き寄せる磁石となります。宇宙は、あなたが感じている「できた!」という喜びのエネルギーに共鳴するのであり、その達成の規模の大小を判断したりはしません。日々の小さな奇跡に気づき、感謝する習慣は、感謝すべき出来事で満たされた現実を創造する、最も確実な道なのです。
次にヨガマットの上に立つ時、あるいはただ静かに呼吸をする時、完璧を目指すのをやめてみましょう。そして、ほんのわずかな身体の変化、呼吸の深まりに、全身で耳を澄ませてみてください。一呼吸が、昨日より深まること。それは、あなたの内に広がる宇宙のスペースが、ほんの少し広がったという紛れもない奇跡です。この小さな宝物を、愛おしく拾い集め、味わうこと。その丁寧な眼差しこそが、あなたの人生全体を、豊かで輝かしいものへと変容させていく、静かな魔法なのです。


