ヨガを実践してきて冒険心が足りなかったと反省した話し

365days

ヨガを推奨しております。
しかし、今日はお恥ずかしい話をひとつ、白状しなければなりません。
長年ヨガを実践し、指導もさせていただく中で、ふと気づいてしまったのです。
「あれ? 私はいつの間にか、ヨガという安全地帯に引きこもっていたのではないか?」と。

本来、ヨガとは「未知なるものへの跳躍」であり、内なる宇宙への大冒険のはずでした。
しかし、私はいつしか「整えること」「静めること」にばかり意識が向き、人生という荒野を駆け回る「冒険心(アドベンチャー・スピリット)」を、どこかに置き忘れてきてしまったような気がするのです。

今日は、そんな自戒を込めて、ヨガと冒険、そして現代社会における「守り」の姿勢について、少し書いてみたいと思います。

 

「整える」ことの罠

現代社会において、ヨガは「癒やし」や「メンテナンス」の文脈で語られることがほとんどです。
ストレス社会で傷ついた心身を修復し、乱れた自律神経を整え、フラットな状態に戻す。
もちろん、それはとても重要で尊い効果です。私もそれを伝えてきましたし、否定するつもりはありません。

しかし、「整える」こと自体が目的化してしまうと、そこにはある種の「閉塞感」が生まれます。
「乱れないように、波風立てないように、静かに、慎重に」
そうやって生きることは、確かに安全で快適です。
ですが、それは本当に「生きている」と言えるのでしょうか?

古代のヨギ(行者)たちを想像してみてください。
彼らは家を捨て、森に入り、ヒマラヤの洞窟で獣や寒さと隣り合わせになりながら、自己の限界を超えようとしました。
彼らのヨガは、決して「リラックスのためのストレッチ」ではありませんでした。
それは、死と隣り合わせの、魂を賭けた命がけの冒険だったはずです。

それに比べて、今の私はどうでしょう。
空調の効いた部屋で、滑らないマットの上で、怪我をしないように注意深くポーズをとる。
日常生活でも、リスクを避け、感情の振れ幅を小さくし、「平穏無事」であることをヨガの成果だと思い込んでいなかったか。
それは「悟り」ではなく、単なる「縮こまり」だったのではないか。
そんな疑念が、ふと頭をもたげたのです。

 

カオス(混沌)を避ける現代病

これは私個人の問題だけでなく、現代社会全体を覆う空気感ともリンクしています。
私たちは今、「失敗しないこと」「損をしないこと」に過剰なまでに敏感です。
ネットで評判を調べ尽くしてからでないと店に入れない。
コスパやタイパ(タイムパフォーマンス)を気にして、無駄な寄り道を極端に嫌う。
「正解」のルートだけを歩こうとする。

ヨガの世界でも、「正しいアライメント」「効果的なシークエンス」といった正解が求められます。
しかし、本来の生命力というものは、予定調和の中ではなく、カオス(混沌)の中でこそ養われるものです。
「どうなるかわからないけれど、飛び込んでみる」
「無駄になるかもしれないけれど、やってみる」
そんな野生的な冒険心を失ったとき、私たちのプラーナ(生命エネルギー)は、小さくまとまってしまうのかもしれません。

 

ヨガとは、安全圏からの逸脱である

ヨガの経典『バガヴァッド・ギーター』は、戦場を舞台にした物語です。
主人公のアルジュナは、戦うことに悩み、逃げ出そうとします。
しかし、クリシュナ神は彼に「行動せよ(カルマ・ヨガ)」と説きます。
結果に執着せず、しかし全力を尽くして、自分の義務(ダルマ)という戦いに挑めと。

ヨガとは、安全なシェルターに逃げ込むことではなく、恐れを抱えたまま、人生という戦場(フィールド)のど真ん中に立つことです。
未知の体験に心を開くこと。
傷つくことを恐れずに、他者と深く関わること。
常識という枠組みを、軽やかに飛び越えていくこと。

「冒険心が足りなかった」という私の反省は、ヨガを「守りの道具」として使いすぎていたことへの気づきでした。
ヨガで心身を整えるのは、シェルターに引きこもるためではなく、再び荒野へと冒険に出るための準備であったはずです。
十分に充電したのなら、そろそろ出発しなければなりません。

 

これからのヨガ:静寂と冒険の統合

誤解のないように言えば、無鉄砲になることや、危険なことを推奨しているわけではありません。
大切なのは、内側の静寂(静)と、外側への冒険心(動)を統合することです。

深い瞑想によって培われた「不動の心」があるからこそ、私たちは大胆な冒険ができるのです。
アンカー(錨)がしっかりしていれば、船は遠くまで行っても流されることはありません。
ヨガで培った安定感を土台にして、もっと自由に、もっと大胆に、人生を遊んでいい。
失敗しても、またマットの上に戻ってきて、呼吸を整えればいいのですから。

「最近、ワクワクしてないな」
そう感じたら、それはヨガが足りていないのではなく、冒険が足りていないのかもしれません。
予定調和を壊しましょう。
いつもと違う道を歩き、読まないジャンルの本を読み、話したことのない人に話しかけてみる。
自分という存在を、未知のカオスへ投げ込んでみる。

その時、あなたの内側で眠っていた本当のヨガの力が、野生の炎のように目覚めるはずです。
私もまた、一人の冒険者として、新しい一歩を踏み出してみようと思います。

縁側で座るのもいいですが、時には縁側から飛び降りて、泥だらけになって遊ぶのもまた、ヨガ的な生き方なのですから。

ではまた。



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。