第6講:頭でっかちな現代人へ – 忘れられた身体の声を聴く

365days

私たちは、いつからこれほどまでに「頭」で生きるようになったのでしょうか。

朝、目覚ましのアラームが鳴るよりも早く、枕元のスマートフォンに手が伸びます。まだ覚醒しきらない意識の中に、SNSのタイムライン、未読のメッセージ、最新のニュースといった情報の奔流がなだれ込んでくる。通勤電車の中ではイヤホンで耳を塞ぎ、ポッドキャストや動画で知識をインプットし、職場に着けばモニターに映し出される無数の文字と数字の処理に追われる。一日の終わりには、疲弊した思考をエンターテイメントで麻痺させ、眠りにつく直前まで、私たちは青白い光を放つ画面を見つめています。

私たちの日常は、情報と思考によって、ほとんど飽和状態にあると言っても過言ではありません。この状況を、哲学の歴史を少し遡って考えてみると、非常に興味深い符合が見えてきます。近代西洋哲学の父と称されるルネ・デカルトは、「我思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」という有名な言葉を残しました。この命題は、あらゆるものを疑ったとしても、疑っている「私」の意識(精神)の存在だけは疑い得ない、ということを示し、近代的な自我の確立に大きく貢献しました。

しかし、この思想は同時に、西洋の世界観に根深い影響を与える「心身二元論」を決定づけたとも言えます。つまり、精神(思考)は理性的で高尚なものであり、身体は物質的で、時に精神の足を引っ張る不確かな乗り物である、という価値観です。この考え方は、科学技術の発展を促し、私たちの生活を豊かにした一方で、私たちからある大切な感覚を奪い去ってしまったのではないでしょうか。それは、自らの「身体」を、かけがえのない知性の宿る場として尊重し、その声に耳を傾ける、という感覚です。

私たちは、身体のことをどれだけ理解しているでしょう。肩が凝れば「疲れているな」と思い、鎮痛剤を飲む。胃が痛めば「ストレスかな」と考え、胃薬を流し込む。身体が発する微細なサインのほとんどは、私たちの忙しい思考によって「ノイズ」として処理され、無視されるか、薬によって強引に黙殺されてしまいます。身体は、思考という名の主人の命令に従順な、物言わぬ奴隷と化してはいないでしょうか。

しかし、東洋の智慧、特にインドや中国の伝統思想は、これとは全く異なる身体観を育んできました。そこでは、心と身体は決して切り離されたものではなく、一つの生命現象として連続する「心身一如」のものとして捉えられます。古代インドのヨーガやアーユルヴェーダでは、私たちの身体を「プラーナ」と呼ばれる生命エネルギーが流れる小宇宙(ミクロコスモス)と見なします。中国の思想における「気」も同様です。このエネルギーの流れが滞りなくスムーズであるとき、私たちは心身ともに健やかであり、その流れがどこかで滞ったり、乱れたりしたときに、「病気」という不調和な状態が現れる、と考えるのです。

この視点に立つと、肩こりや頭痛といった身体のサインは、もはや単なる不快なノイズではありません。それは、エネルギーの流れが滞っていることを知らせる、身体からの切実な「メッセージ」なのです。「最近、無理をしすぎていませんか?」「本当はやりたくないことを、我慢して続けていませんか?」「解決すべき感情の問題から、目をそらしていませんか?」。身体は、私たちの意識が気づかない、あるいは気づかないふりをしている心の深層にある問題を、痛みや不快感という具体的な言語で、私たちに伝えようとしてくれているのかもしれません。

現代社会、特に私たちが第1部で探求した消費社会は、この身体との断絶をさらに加速させます。広告やメディアが提示する「理想の身体」のイメージは、私たちに、自分のありのままの身体を否定させます。私たちは、自分の身体の内側から湧き上がる感覚に耳を傾けるのではなく、外側から与えられた理想像に身体を合わせようと、ダイエットやトレーニングに励む。それは、身体との対話ではなく、身体の支配です。

また、SNSで他人の「キラキラした生活」を見ることは、私たちの脳に「自分はまだ足りない」という欠乏感を生み出します。この精神的な飢餓感は、実際に空腹でなくとも、私たちを過剰な食欲へと駆り立てることがあります。心の穴を、食べ物で埋めようとする行為です。これもまた、身体が本来持つ「空腹」と「満腹」という自然な声を、思考のノイズがかき消してしまっている状態と言えるでしょう。

では、どうすれば私たちは、この忘れられた身体との対話を取り戻すことができるのでしょうか。

そのための最もシンプルで、かつ深遠な入り口が「ヨガ」です。

ヨガは、私たちに一つのことを、繰り返し、粘り強く要求します。それは、「意識を、身体の内側に向ける」ということです。マットの上に立ち、目を閉じ、自分の足の裏が床に触れている感覚に意識を集中させる。吸う息が鼻孔を通り、肺を満たしていく流れを感じる。ポーズの中で、身体のどの部分が伸び、どの部分が縮んでいるのかを、ただ静かに観察する。

この実践は、思考の暴走にブレーキをかけ、私たちを「今、この瞬間」の身体感覚へと強制的に引き戻します。最初は、様々な思考が邪魔をして、なかなか集中できないかもしれません。しかし、練習を続けるうちに、思考と身体の間に、わずかな「スペース」が生まれてくるのを感じるでしょう。そのスペースこそが、これまで無視し続けてきた身体の微細な声が、ようやく響き始める場所なのです。

この講座の第2部(6〜10講座)は、この身体の声を聴くための、具体的な方法論の探求です。私たちは、頭でっかちな現代人という状態から、自らの身体という大地に深く根を下ろした、バランスの取れた存在へと回帰する旅を始めます。それは、外部の情報や価値観に振り回される生き方から、自らの内なる智慧に導かれる生き方への、静かな、しかし決定的なシフトの始まりとなるはずです。

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。