パスを出す人がパスをもらえる人になります。
パスを出さない人にはパスは来ないのです。
パスというのは、比喩ではありますが、本当に物理的なパスを出すのも含みますね。
人にプレゼントをするのもそうですし、情報を渡すことも、言葉を渡すことも、チャンスを渡すことも、全部パスです。
パスを出すからパスがもらえます。
一人でドリブルして突っ込んでいくことしかできないのは子供です。
子供はボールを離しません。
大人はパスが出せるのです。
もくじ.
私たちはパスを出す人にならなければならない
パスは誰かが出すから、ボールが回り始めますね。
一人でドリブルしているだけではサッカーになりません。
サッカーのボールのパスというのは、構造的にお金のことと同じです。
お金は今持っている分から出して、循環させていくのです。
持っている分からスタートです。
お金もパスを出すことで回り始めます。
お金、欲しいですよね?
でしたら、パスを出さないといけません。
今すぐにパスを出す側の人間にならないといけないのです。
お金があるから出すのでもありません。ないから出すのですね。
出さないと入ってこない。原理的にそうなっています。出すのが先。
先に出すと、ちゃんと後から入ってきます。
大人の増える社会にすると、楽になる
パスを先に出す人が大人です。
「先に出す」です。後出しではありません。
損してでもなんでもいいので、先に出す人が大人です。
文句を言って、出さないのは子供です。不平不満が起こるのは子供です。
パスというのは贈与とも言えるかもしれません。
贈与を中心とした経済が成り立つことを願っていますが、それにはまず私が成熟した大人にならないといけませんね。
それは、わたしが先に出すということです。
皆さんもパスから始めませんか。
出す人がいないなら、自分が出す側になるのです。
その方がかっこよくないですかね。
パッサーであることが、社会的には大人
パッサーであれ、ということですね。
いつでもパスを出す側の人間になるということです。
引き寄せる人は、パッサーです。
出す側の人が、引き寄せ側の人間でもあるのですね。
実際、通貨というのは胎蔵するものではなく、循環させて回すものです。
それが通貨です。(通貨は通過するものなのです)
だから、原理的に退蔵する人のところには回ってこなくなります。
自分のために使っては駄目ということではなく、必要なものに使ったら次の人へと回していくことが大事なのです。
ただ単純に回すことも難しかったりするのですね。いきなり人にあげる訳にもいかないので、それなりな工夫をして次に回すのですね。
この「それなりな工夫」が大人に必要なことに思います。
循環の中に身を置く
循環の中に身を置くことです。
そういう人のところにパスは回ってきます。
努力とは異なります。好きなことをするのです。
好きなことをして循環するのが大事です。なぜかはわかりませんが、人は好きなことをしていると循環するようです。
好きなことでお金を回してみてください。そのようになっていきますから。
先ほど書きました「それなりな工夫」の一つが好きなことに使うということです。
与える人が結晶化を起こす
与える人が結晶化を起こすのです。
社会的循環を自らが回す人のところに、物も情報も人も回ってきます。
これが欲しかったというものも回ってきます。
そして、必要以上にも回ってきます。でも回す人なので、必要以上のものは回りにどんどん与えていきます。
回ってきたら回すことが出来る人にはちゃんと回ってくるのですね。
与える人のところに結晶化が起こるのです。
終わりに:ワクワクすることをやっていると循環する
ワクワクすると人生はうまく回り始めます。
このワクワクは1980年代から言われていることです。
自己啓発系の本だけでなく、有名な経営者も仕事の指針として、本気で勧められていました。
ワクワクしている人は元気ですよね、とても元気です。ワクワクしているのに沈んでいるということはありません。
ワクワクと元気で行動していると人を巻き込んでいきます。近づいてくる人も増えるでしょう。
そのようにして、ワクワクしていると好きなことに時間もお金も使えるようになります。
ワクワクからパッサーも生まれます。
まずは、わたしが先に出す、ここからがスタートです。