あなたが純粋な意図を宇宙に放ったとします。それはまるで、空に向かって美しい種を植え付けたようなものです。しかし、その直後から「本当に芽は出るだろうか?」「水は足りているか?」「土は合っているのか?」と、何度も土を掘り返しては確認するような行為をしていないでしょうか。この「掘り返す」行為こそが、「疑い」の正体です。そして、それは意図の実現を妨げる最も強力なブレーキとなります。
疑いは、「意図(オーダー)」と「信頼(受け取り)」の間に生じる断絶です。レストランで料理を注文した後に、何度も厨房を覗き込み、「本当に作ってるんですか?」「シェフの腕は確かですか?」と尋ね回る客を想像してみてください。その客は、料理を最高の状態で受け取ることは難しいでしょう。私たちは宇宙に対して、しばしばこのような無礼な客のように振る舞ってしまいます。
ヨガ哲学において、この「信頼」は「シュラッダー(śraddhā)」という言葉で表されます。それは単なる盲信ではなく、体験に裏打ちされた深い確信であり、師の教えや聖典、そして何よりも自分自身の内なる声と、宇宙の摂理に対する揺るぎない信頼を意味します。引き寄せの文脈における信頼とは、「意図は既に聞き届けられ、完璧なタイミングで、最善の形でそれは現れる」という絶対的な安心感に身を委ねることです。
しかし、私たちの理性的な心(マインド)は、疑うことを得意としています。それは、未知のものやコントロールできないものから身を守るための、生存本能に根差した働きでもあるのです。ですから、疑いが生じること自体を責める必要はありません。大切なのは、疑いが生じた時に、それをどう扱うかです。疑いは、心の天気に例えるなら「雲」のようなものです。雲が現れても、その向こうに太陽が常に輝いていることを知っているように、疑いの雲が心を覆っても、その奥にある信頼の青空が存在し続けていることを思い出すのです。
この信頼は、生まれつきの才能ではなく、日々の稽古によって鍛えることができる「筋肉」のようなものです。その稽古とは、小さな成功体験を意識的に積み重ねることに他なりません。例えば、「今日はスムーズに駐車スペースが見つかりますように」と意図し、実際にそうなった時に、「ああ、やっぱり宇宙は私の味方だ」と深く感謝し、その感覚を身体に記憶させる。この小さな信頼のデポジット(預金)を繰り返すことで、信頼の筋肉は少しずつ、しかし着実に強くなっていきます。
疑いの声が聞こえてきたら、それに反論したり、戦ったりする必要はありません。ただ、「ああ、疑いの雲が出てきたな」と、マインドフルに気づくだけでいいのです。そして、意識の焦点を、呼吸や身体の感覚、あるいは「ありがとう」という感謝の言葉へとそっと戻します。雲は、あなたがエネルギーを与えなければ、やがて自然と流れ去っていくでしょう。
【今日の実践】
今日一日、「信頼の筋肉を鍛える日」と定めてみましょう。朝、家を出る時に「今日は素敵な出会いがある」と軽く意図します。そして、店員さんの笑顔や、友人からの思いがけない連絡など、どんな些細な「素敵な出会い」も見逃さずにキャッチし、その都度心の中で「ありがとう、信じていました」と宇宙に囁くのです。これをゲーム感覚で楽しんでみてください。一日が終わる頃には、あなたの世界がいかに信頼とサポートに満ちているかに気づき、疑いの入り込む隙間が小さくなっているのを感じるはずです。


