「世界平和を祈ります」。私たちは、この言葉をしばしば口にしたり、目にしたりします。それは、人類にとって最も高貴で、しかし最も実現困難に思える、壮大な理想です。戦争、貧困、差別、環境破壊。世界を見渡せば、平和とは程遠い現実が広がっており、一個人の力ではどうすることもできないという無力感に苛まれることさえあります。しかし、ヨガや東洋思想の叡智は、この壮大なテーマに対して、驚くほどシンプルで、かつ根本的なアプローチを提示します。それは、「世界平和は、まずあなた自身の心の平和から始まる」という、内側への視点の転換です。
この思想は、マハトマ・ガンディーの有名な言葉、「あなたがこの世界に望む変化に、あなた自身がなりなさい(Be the change you wish to see in the world.)」にも凝縮されています。彼は、インドの独立という壮大な目標を、非暴力・不服従という、個人の内なる規律に基づいた行動によって成し遂げようとしました。外側の世界を変える力は、まず自分自身の内側を統御することから生まれる、ということを身をもって示したのです。
この考え方の背景には、仏教の唯識(ゆいしき)思想のような、深い世界観があります。「三界は唯(ただ)心所現(こころのあらわれ)なり」という言葉が示すように、私たちが「客観的な世界」だと思っているものは、実はすべて、自分自身の心が映し出した映像(表象)に過ぎない、という捉え方です。つまり、あなたの心が怒りや恐れ、対立といった争いのエネルギーで満たされているならば、あなたの目に映る世界もまた、争いに満ちた場所として現れる、ということです。逆もまた真なり。あなたの心が静けさ、慈悲、調和といった平和のエネルギーで満たされているならば、世界はその平和を映し返す鏡となるのです。
これは、自然界に見られるフラクタル構造に似ています。海岸線の形や雪の結晶、木の枝分かれのように、一部分を拡大すると、全体の形と相似形が現れる構造です。このメタファーで言えば、あなたという「個人」は、家族、コミュニティ、国家、そして世界という「全体」のフラクタルな一部です。あなたの心の中に存在する争いの種は、相似形を描いて拡大し、世界の争いへと繋がっていきます。同様に、あなたの心の中に灯された一本の平和のろうそくの光もまた、確実に全体へと広がっていくのです。
ヨーガスートラの冒頭は、「Yogas-citta-vrtti-nirodhah(ヨーガとは、心の作用を止滅することである)」という定義から始まります。これは、ヨガの最終目標が、私たちの心を絶えず波立たせる思考や感情の暴走(ヴリッティ)を鎮め、内なる静寂、すなわち心の平和(ニローダハ)を確立することにある、と宣言しています。なぜなら、心が静まり、湖面のように穏やかになった時、人は初めて、自己の本来の姿であるプルシャ(真我)の輝きを、その水面に映し出すことができるからです。この揺るぎない内なる平和こそが、あらゆる行動の源泉となるべきだと、ヨガは教えます。
では、この「自分の心の平和」を、私たちは日々どのように培っていけばよいのでしょうか。
それはまず、自分の「心の戦争」に気づくことから始まります。私たちの心の中では、一日中、小さな戦争が繰り返されています。自己批判、他者への嫉妬、過去への後悔、未来への不安。これらのネガティブな思考パターンは、すべて自分自身や世界との間に争いを生み出すエネルギーです。瞑想やマインドフルネスの実践は、この内なる戦争に、判断を下すことなくただ「気づく」ための訓練です。
次に、その争いを鎮めるための、自分だけの「平和維持活動」を持つことです。それは、数回の深い呼吸かもしれませんし、好きな音楽を聴くこと、自然の中を散歩することかもしれません。心が乱れた時に、自動的な反応(怒鳴る、落ち込むなど)に身を任せるのではなく、意識的に平和な状態へと自分を連れ戻すためのアンカーを持つのです。
そして、他者との関係性において、自分の心の平和を明け渡さない、という決意も重要です。誰かの批判的な言葉によって心が乱された時、「それは相手の問題であり、私の内なる平和を侵害する権利は誰にもない」と、心の中で健全な境界線を引くのです。
世界平和は、国連の会議室や政治家の演説の中だけで創られるものではありません。それは、今この瞬間、あなたが自分の心の中にある争いを一つ手放し、静かな呼吸の中に安らぎを見出す、その小さな選択から始まります。あなたが、歩く平和、話す平和、呼吸する平和そのものになること。それこそが、この世界に対してあなたができる、最もパワフルで、最も本質的な貢献なのです。
あなた一人の心の平和が、どれほどの力を持つのか、決して過小評価しないでください。水面に投じられた一つの小石が、波紋をどこまでも広げていくように、あなたの内なる静けさは、必ずや、あなたの周りの人々へ、そして世界へと、静かに、しかし確実に伝播していくのですから。


