もし、丹田呼吸が大地に深く根を張る「静」と「安定」の呼吸であるならば、胸式呼吸は、天に向かって枝葉を広げる「動」と「活性化」の呼吸と言えるでしょう。この二つの呼吸法は、陰陽のように互いを補い合い、私たちの心身のバランスを保っています。丹田呼吸で自己信頼という土台を築いたなら、次はその安定した土台の上から、胸を開き、世界と積極的に関わっていくエネルギーを生み出してみましょう。
胸式呼吸は、肋骨の間にある筋肉(肋間筋)を使って胸郭を大きく広げる呼吸法です。これにより、肺の上部に新鮮な空気が送り込まれ、交感神経が適度に刺激されて、心と身体は活動的なモードへと切り替わります。ヨガのアーサナ(ポーズ)の多く、特に英雄のポーズや後屈のポーズなどで用いられるのは、この胸式呼吸です。それは、ポーズが求める身体的な広がりと、内面的なエネルギーの高まりを同時にサポートしてくれるからです。
この呼吸法の意味は、身体的な活性化だけに留まりません。私たちの身体と心は、深く連動しています。悲しみや恐れ、自己不信を感じた時、私たちは無意識のうちに肩をすぼめ、背中を丸め、胸を閉じてしまいます。これは、生命の中心である心臓を物理的に守ろうとする、本能的な防御姿勢です。しかし、この姿勢が慢性化すると、心もまた閉鎖的になり、他者との繋がりや新しい経験に対して臆病になってしまいます。
ここに、ヨガの逆転の発想があります。心が身体に影響を与えるように、身体もまた心に影響を与えることができる。意識的に胸を開くという身体的な行為を通して、閉じてしまった心に、再び光と風を通すことができるのです。
胸の中心には、ヨガのエネルギー論でいうところの第4のチャクラ、「アナーハタ・チャクラ」が存在します。アナーハタは「滞りのない音」を意味し、無条件の愛や慈悲、共感、そして他者との調和を司るエネルギーセンターです。胸式呼吸でこのエリアを広げ、刺激することは、アナーハタ・チャクラを活性化させ、自分自身と他者、そして世界全体への愛情を育むことに直結します。
さあ、背筋をすっと伸ばして座ってみましょう。吸う息と共に、あなたの肋骨が蝶の羽のように、左右に、そして前後に大きく広がっていくのをイメージします。鎖骨が穏やかに引き上がり、肩甲骨が背骨の中央に優しく寄り添う。胸の中心から、温かい光が四方八方に広がっていくような感覚です。
この胸の物理的な広がりは、あなたの心理的な世界の広がりそのものです。閉じた構えからは、閉じた世界しか見えません。あなたが勇気を出して胸を開くとき、世界もまた、これまで見せてくれなかった豊かな表情を、あなたに開示してくれるでしょう。胸の広がりは、あなたの可能性の広がり。深く息を吸い込み、心という窓を大きく開け放ち、新たな出会いと経験を人生に招き入れてください。


