広大無辺なるヴェーダ哲学の海原において、ひときわ美しい響きを放つ潮流、それがサーマ・ヴェーダです。リグ・ヴェーダが神々への深遠な祈りの言葉を紡ぐならば、サーマ・ヴェーダはそれらの言葉に生命の息吹とも言える旋律を与え、宇宙の隅々にまでその神聖な響きを届けようとする試みと言えるでしょう。それは単なる歌集ではなく、古代インドの叡智が音と一体となり、神々と人間、そして宇宙そのものが共振する壮大な儀式音楽の体系なのです。
現代に生きる私たちは、音楽を娯楽や自己表現の手段として捉えがちです。しかし、ヴェーダの時代において、音、とりわけ歌は、世界を創造し、維持し、そして変容させる力を持つものとして深く認識されていました。サーマ・ヴェーダを理解することは、古代の人々が音に託した祈りの深さと、宇宙のリズムに対する鋭敏な感覚を追体験することに他なりません。この章では、サーマ・ヴェーダの構成、特徴、そしてその思想的背景を丁寧に紐解き、旋律に乗せられた神々への讃歌が持つ深遠な意味を探求してまいります。
もくじ.
サーマ・ヴェーダとは何か:歌われるヴェーダ
「サーマ・ヴェーダ(Sāmaveda)」という名称そのものが、このヴェーダの本質を雄弁に物語っています。「サーマン(sāman)」とはサンスクリット語で「歌」「詠歌」「旋律」を意味し、したがってサーマ・ヴェーダは文字通り「歌のヴェーダ」あるいは「旋律のヴェーダ」と訳すことができます。その内容は、主にヴェーダの四聖典の中でも最古層に属するリグ・ヴェーダから取られた詩句(リチ、ṛc)に、特定の旋律や歌い方を付与したものです。つまり、リグ・ヴェーダがテクストとしての聖典であるならば、サーマ・ヴェーダはそれを音楽的に展開し、祭祀の場で実際に詠唱されるための実践的なヴェーダと言えるでしょう。
サーマ・ヴェーダの成立は、リグ・ヴェーダよりやや遅く、ヤジュル・ヴェーダとほぼ同時期、紀元前1000年頃から紀元前600年頃と考えられています。この時代は、アーリア人のインド亜大陸への定着が進み、複雑な祭祀儀礼が発展した時期と重なります。特に、神々の飲料とされるソーマ酒を捧げるソーマ供犠(ソーマ・ヤグニャ)は、ヴェーダ祭祀の中でも極めて重要な位置を占めていました。サーマ・ヴェーダの歌は、このソーマ供犠の様々な場面で、神々を招き、供物を浄化し、祭儀の神聖性を高めるために、ウドガートリ(udgātṛ)と呼ばれる専門の祭官によって歌われたのです。
リグ・ヴェーダが「知識のヴェーダ」として、宇宙の真理や神々の力能を言葉で表現しようとするのに対し、サーマ・ヴェーダは、その知識を「体験」の次元へと引き上げる役割を担います。言葉だけでは捉えきれない神聖な感動や宇宙的なリズムを、旋律という媒体を通して直接的に感受させようとするのです。これは、現代の私たちが美しい音楽に触れた時に言葉にならない感動を覚えるのと同様に、古代の人々もまた、サーマの響きの中に神々の臨在や宇宙の調和を感じ取っていたのではないでしょうか。
サーマ・ヴェーダの構成:聖なる歌のコレクション
サーマ・ヴェーダは、他のヴェーダと同様に、複数のサンヒター(本集)が存在します。現在に伝わる主要な流派としては、カウマ派(Kauthuma)、ラーナーヤニーヤ派(Rāṇāyanīya)、そしてジャイミニーヤ派(Jaiminīya)の三つが知られています。これらの内容は大部分が共通していますが、詩句の数や配列、歌い方などに若干の違いが見られます。
サーマ・ヴェーダのサンヒターは、大きく二つの部分から構成されています。
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アールチカ(Ārcika)またはプールヴァールチカ(Pūrvārcika):「詩句集」を意味し、約650の独立した詩句(リチ)が収められています。これらの詩句のほとんどはリグ・ヴェーダから採られており、特に第八巻と第九巻からの引用が多いのが特徴です。アールチカは、さらにアグニ(火神)、インドラ(雷神)、パヴァマーナ・ソーマ(浄化されるソーマ)など、讃えられる神々ごとに詩句が分類されています。この部分は、サーマ(歌)の基盤となるテクスト集と見なすことができます。
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ウッタラールチカ(Uttarārcika):「後の詩句集」を意味し、約1200の詩句から成りますが、これらは三詩句を一組とするトリチャ(tṛca)形式で構成されています。この部分は、実際の祭儀で歌われるサーマ(歌)を学習するための実践的な教材としての性格が強いと言われます。
そして、これらの詩句に旋律を付与したものが「ガーナ(gāna)」、すなわち「歌集」です。ガーナには主に以下の四つの種類があります。
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グラマゲーヤガーナ(Grāmegeya-gāna):「村で歌われるべき歌」を意味し、祭壇で一般的に歌われる基本的なサーマを集めたものです。
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アランヤゲーヤガーナ(Araṇyageya-gāna):「森で歌われるべき歌」を意味し、より秘儀的で複雑な旋律を持つサーマが含まれます。森閑とした場所での修行や特別な祭儀で用いられたと考えられています。
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ウーハガーナ(Ūha-gāna):「推測に基づく歌」を意味し、グラマゲーヤガーナやアランヤゲーヤガーナの旋律を、ウッタラールチカの詩句に適用して作られた歌です。実際の祭儀で歌われるのは、このウーハガーナが多いとされます。
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ウーヒヤガーナ(Ūhya-gāna)またはラハシャゲーヤガーナ(Rahasyageya-gāna):「秘密の歌」を意味し、ウーハガーナの中でも特に秘儀的なものを指します。
このように、サーマ・ヴェーダは、リグ・ヴェーダの詩句を母体としながらも、それに独自の旋律と歌唱法を与えることで、独立した聖典としての地位を確立しています。詩句(リチ)と歌(サーマン)は不可分でありながら、サーマンこそがサーマ・ヴェーダの魂であると言えるでしょう。一つのリチに対して複数のサーマンが作られることもあり、旋律のバリエーションの豊かさを示しています。
歌唱の技法と特徴:宇宙を奏でる声
サーマ・ヴェーダの歌唱は、単に美しい声で歌うということ以上の、高度な技術と深い精神性を要求されるものでした。その特徴は、現代の音楽理論から見ても非常に興味深い要素を含んでいます。
まず、歌唱を担当するウドガートリ祭官は、正確な音程とリズムで歌うだけでなく、祭儀の進行に合わせて適切なサーマを選択し、その霊的な力を最大限に引き出す責任を負っていました。彼らは、長期間の厳しい訓練によって、複雑な旋律や歌唱法を習得した専門家集団でした。
サーマ・ヴェーダの歌唱には、後のインド古典音楽の基礎となる七つの音階、すなわち「スヴァラ(svara)」が用いられていたと考えられています。これらの音名は、シャドジャ(ṣaḍja)、リシャバ(ṛṣabha)、ガーンダーラ(gāndhāra)、マディヤマ(madhyama)、パンチャマ(pañcama)、ダイヴァタ(dhaivata)、ニシャーダ(niṣāda)であり、現代のインド音楽における「サ・リ・ガ・マ・パ・ダ・ニ」に相当します。これらの音階の発見と体系化は、音楽史的にも非常に重要な意義を持つのです。
さらに、サーマ・ヴェーダの歌唱には、「ストーバ(stobha)」と呼ばれる特有の挿入句が頻繁に用いられます。「ハウ(hau)」「ホーイ(hoi)」「フーム(hum)」といった、意味を持たない音節や感嘆詞のようなものが、詩句の間や途中に挿入されるのです。これらのストーバは、一見すると無意味な音の羅列のように思えるかもしれません。しかし、ヴェーダの思想においては、これらの音そのものに呪術的な力や神聖な意味が込められていると考えられていました。ストーバは、歌にリズムや抑揚を与えるだけでなく、詠唱者をトランス状態に導き、神々との交感を深める効果があったのかもしれません。それは、言葉の意味を超えた「音の力」そのものへの信仰の現れとも言えるでしょう。
また、サーマの歌唱は、単一の旋律を歌うだけでなく、複数の祭官による合唱や、特定の歌い方の指示(ヴィカルタ、ヴィシュレーシャナなど、音の伸ばし方や区切り方)も存在し、非常に洗練された音楽体系であったことが窺えます。その響きは、厳粛でありながらも力強く、神々を招き寄せ、宇宙の秩序(リタ、ṛta)を維持する力があると信じられていたのです。
サーマ・ヴェーダにおける神々:旋律に捧げられる祈り
サーマ・ヴェーダで歌われる神々は、基本的にはリグ・ヴェーダに登場する神々と同じです。特に、祭祀の中心となるアグニ(火の神)、インドラ(雷霆神、英雄神)、そしてソーマ(神聖な飲料、またその神格)への賛歌が大部分を占めます。
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アグニは、神々への供物を天上に運ぶ使者であり、祭壇の火として神聖な空間を浄化する役割を担います。アグニへのサーマは、祭儀の開始を告げ、神々の降臨を促すために歌われました。
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インドラは、ヴェーダの神々の中でも特に強力な武勇神であり、悪龍ヴリトラを倒して水を解放した英雄として讃えられます。インドラへのサーマは、力強さ、勝利、そして恩恵を祈願するものでした。
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ソーマは、神々を酔わせ、霊感や不死をもたらすとされる神秘的な植物(またはその搾り汁)であり、ソーマ供犠の中心的な存在です。パヴァマーナ・ソーマ(浄化されるソーマ)への賛歌は、サーマ・ヴェーダの中でも特に重要な位置を占め、ソーマが濾過され、神々に捧げられる過程を荘厳な旋律で彩りました。
しかし、サーマ・ヴェーダにおいて重要なのは、個々の神々の属性や事績を詳細に語ることよりも、むしろ歌そのものの力、旋律の神聖さです。同じリグ・ヴェーダの詩句であっても、サーマ・ヴェーダでは異なる旋律が付されることで、新たな意味合いや霊的な力が付与されると考えられました。歌唱行為そのものが、神々への最も効果的な奉仕であり、宇宙の調和を実現する手段と見なされていたのです。
サーマ・ヴェーダの思想的背景:音の形而上学
サーマ・ヴェーダの背後には、音(シャブダ、śabda)に対する古代インドの深い洞察と畏敬の念が存在します。ヴェーダの思想家たちは、音を単なる物理現象としてではなく、宇宙の根源的な力、創造のエネルギーそのものとして捉えていました。
この思想は、後のインド哲学における「シャブダ・ブラフマン(śabda-brahman)」、すなわち「音としてのブラフマン(宇宙の究極実在)」という概念へと発展していきます。言葉や音には、世界を創造し、維持し、そして解体する力さえも宿っていると考えられたのです。特に、ヴェーダのマントラ(真言)は、その音の響き自体が神聖であり、正確に発音し詠唱することで、超自然的な効果を発揮すると信じられていました。
サーマ・ヴェーダは、この「音の力」を最大限に活用しようとする試みと言えます。リグ・ヴェーダの神聖な言葉に、計算され尽くした旋律とリズムを与えることで、その言葉の持つ霊的なエネルギーを増幅させ、神々や宇宙の深奥へと届けようとしたのです。歌は、神々と人間とを繋ぐ架け橋であり、宇宙の秩序(リタ)を地上に顕現させるための媒体でした。
ウドガートリ祭官がサーマを歌うとき、それは単なる音楽演奏ではなく、宇宙的なドラマの再現であり、創造行為そのものに参与することでもありました。彼らの声は、宇宙の原初音「オーム(Oṃ)」の響きと共鳴し、祭儀の場を聖化し、参加者たちの意識を高次元へと引き上げると考えられていたのです。
また、サーマ・ヴェーダの実践は、内的な精神修養とも深く結びついていました。正確な音程とリズムで歌うためには、高度な集中力と身体のコントロールが必要です。このプロセスを通じて、祭官は自らの心身を浄化し、神聖なエネルギーの流れを調整していたのかもしれません。音の響きに意識を集中することは、一種の瞑想状態を生み出し、日常的な意識を超えた境地へと導く可能性を秘めています。
後世への影響:インド音楽と精神文化の源流
サーマ・ヴェーダの歌唱伝統は、インドの音楽史および精神文化に計り知れない影響を与えました。
まず、インド古典音楽の源流の一つとして、サーマ・ヴェーダの存在は無視できません。七つの音階(スヴァラ)の使用、旋律のパターン、リズムの概念などは、後のインド古典音楽、特に北インドのドゥルパド(Dhrupad)形式のような古様を伝える声楽様式にその名残を見出すことができると言われています。ドゥルパドは、荘重で瞑想的な性格を持ち、音そのものの響きを重視する点で、サーマ・ヴェーダの精神性と通じるものがあります。
また、マントラの詠唱における旋律の重要性も、サーマ・ヴェーダの伝統から派生したものと考えることができます。今日でも、様々なヴェーダの聖句やマントラが、特定の旋律や抑揚をつけて詠唱されていますが、これは音の力が言葉の意味を補強し、精神的な効果を高めるという考えに基づいています。
さらに、音楽を通じた瞑想や精神修養の伝統も、サーマ・ヴェーダにそのルーツを見出すことができます。ナーダ・ヨーガ(Nāda Yoga)と呼ばれる音のヨーガは、外面的な音や内面的な音(アナハタ・ナーダ)に意識を集中することで、心の浄化や解脱を目指す行法ですが、これもまた、サーマ・ヴェーダが培った音への深い洞察から発展したものでしょう。音の振動が心身に与える影響を重視する考え方は、現代のサウンドヒーリングや音楽療法にも通じる普遍性を持っています。
現代におけるサーマ・ヴェーダの意義:響きの叡智を再発見する
数千年の時を経た今日、サーマ・ヴェーダの生きた歌唱伝統は、残念ながら失われつつあります。正確な旋律や歌唱法を伝承する人々はごく少数となり、その全貌を完全に再現することは困難になっています。しかし、その精神性や叡智は、現代社会に生きる私たちにとっても多くの示唆を与えてくれます。
情報過多で騒がしい現代において、私たちはしばしば「聴く」ことの重要性を見失いがちです。サーマ・ヴェーダは、音の持つ深遠な力、そして注意深く聴くことによって開かれる内なる世界への扉を指し示してくれます。それは、単に耳で音を捉えるだけでなく、全身全霊で響きを感じ取り、その奥にある静寂へと意識を向ける体験です。
また、サーマ・ヴェーダの歌が、宇宙の調和や自然のリズムと共振しようとする試みであったことは、現代の環境問題や人間中心主義に対する警鐘ともなり得ます。古代の賢者たちは、人間が宇宙の一部であり、その調和を保つ責任があることを深く理解していました。サーマの響きは、私たちにその謙虚な姿勢と、万物との繋がりを思い出させてくれるかもしれません。
ヨガや瞑想を実践する人々にとって、サーマ・ヴェーダの叡智は、呼吸やマントラの響きが持つ力をより深く理解する助けとなるでしょう。音の振動がプラーナ(生命エネルギー)の流れを整え、心を静め、意識を集中させる効果は、古代から経験的に知られていました。サーマ・ヴェーダは、その古代の音響科学の一つの到達点と言えるのです。
結び:旋律の彼方にあるもの
サーマ・ヴェーダは、リグ・ヴェーダの言葉に翼を与え、神々の耳元へ、そして宇宙の果てへと届けようとした古代インドの人々の壮大な祈りの音楽です。それは、単に美しい旋律の集合ではなく、音の力によって宇宙の真理に触れ、神々と交感し、自らの内なる神性に目覚めようとする深遠な精神的実践でした。
その響きは、私たちに、言葉だけでは表現しきれない世界の豊かさ、そして音という媒体を通して感得できる宇宙的な調和と静寂の存在を教えてくれます。サーマ・ヴェーダの旋律の彼方には、私たちが日常の喧騒の中で忘れかけている、魂の故郷とも呼べるような、普遍的で神聖な領域が広がっているのかもしれません。その叡智に耳を傾けることは、現代を生きる私たち自身の精神的な旅を、より深く、より豊かなものにしてくれることでしょう。それは、まさに叡智の扉を静かに押し開く、聖なる歌声なのです。
ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。


