阿字観瞑想と「手放す」勇気:月輪の静寂に「諦め」の真理を見出す

MEDITATION-瞑想

私たちの日常は、いつの間にか多くの「もの」や「こと」で溢れかえってしまってはいないでしょうか。手にはスマートフォン、頭の中は無数の情報、心には消えない心配事や達成すべき目標。まるで、何かを掴んでいないと不安で、何かを抱え込んでいないと落ち着かないかのように。しかし、その喧騒の奥底で、私たちはもっと「シンプル」なあり方を、切実に求めているのかもしれません。それは、複雑に絡み合った思考の糸を解きほぐし、本当に大切なものだけを抱きしめる、そんな生き方への憧憬です。

そのシンプルさへの道筋として、古来より伝わる智慧、「阿字観(あじかん)瞑想」が、現代を生きる私たちに静かな示唆を与えてくれます。この瞑想法は、単に心を落ち着ける技法という以上に、私たちが無意識に握りしめているものを「手放す」勇気と、そして「諦める」ことの真の力を教えてくれる、深遠な実践なのです。

 

握りしめる手を開くとき:「手放す」ことの逆説的な豊かさ

私たちは、何かを「得る」こと、何かを「所有」することで安心感を得ようとします。知識、地位、人間関係、あるいは特定の感情や自己イメージさえも。しかし、その握りしめた拳は、時に私たち自身を縛り付け、身動き取れなくさせてしまうことがあります。期待が大きければ失望も深く、執着が強ければ苦しみもまた増す。これは、古今東西の賢者が繰り返し説いてきた真理ではないでしょうか。

手放す(letting go)」とは、この固く握りしめたものを、そっと開いてみることです。それは、何かを失うことへの恐れを乗り越え、未知の空間に身を委ねる勇気を必要とします。しかし、その先には、意外なほどの軽やかさと自由が待っているのかもしれません。手放すことで初めて、新しいものが入ってくる余地が生まれる。これは、物理的な空間だけでなく、私たちの心のあり方にも通じる普遍的な法則です。

現代社会は、常に「もっと、もっと」と私たちを駆り立てます。しかし、本当に必要なのは、足し算ではなく、引き算の思考なのかもしれません。何を加え、何を得るかではなく、何を手放し、何を削ぎ落とすか。そこに、本質的な豊かさへの鍵が隠されているように思えてなりません。

 

「諦める」の誤解を超えて:明らかに見極める智慧としての「諦観」

「手放す」と聞くと、どこか寂しい響きを感じるかもしれません。そして、それ以上に誤解されやすいのが「諦める(surrender / to see clearly)」という言葉でしょう。一般的に「諦める」は、努力を放棄する、希望を捨てる、といったネガティブなニュアンスで捉えられがちです。しかし、仏教的な文脈、特に東洋思想の深みにおいて、「諦める」は全く異なる意味合いを持ちます。

仏教用語における「諦(たい)」とは、「真理」「明らかにする」「悟る」といった意味を含みます。四聖諦(ししょうたい:苦集滅道の四つの真理)の「諦」がそれです。ですから、「諦める」とは、物事の本質や真実を「明らかに見極める」という、極めて知的な、そして積極的な営為なのです。「諦観(ていかん)」という言葉も、この意味合いをよく表しています。それは、感情的な抵抗や自己中心的な願望を手放し、あるがままの現実を、冷静に、そして深く洞察すること。

この「諦め」は、敗北ではありません。むしろ、無益な抵抗をやめ、宇宙の大きな流れ、あるいは縁起の理法といったものに自らを調和させていく、高度な受容のあり方と言えるでしょう。それは、どうにもならないことを嘆くのではなく、その現実の中で自分に何ができるのかを静かに見出す、しなやかな強さをもたらすのです。

 

阿字観瞑想:すべてを「阿」に還し、月輪に「空」を観る

では、この「手放す」勇気と「諦める」智慧を、阿字観瞑想はどのように育んでくれるのでしょうか。

阿字観瞑想の中心となるのは、「阿(ア)」という梵字の観想です。この「阿」は、宇宙の始まりであり、すべての音の根源であり、万物が生じ還っていく場所、すなわち「本不生(ほんぷしょう)」の真理を象徴してます。それは、個々の存在を超えた、普遍的で絶対的な「空(くう)」の現れとも言えます。「空」とは、何もないということではなく、あらゆるものが固定的な実体を持たず、相互依存の関係性(縁起)のなかで絶えず変化しているという深遠な概念です。

阿字観の実践では、まず清浄な満月である「月輪(がちりん)」を心に観じます。この月輪は、私たちの本来の心(仏性)の清らかさ、円満さの象徴です。そして、その月輪の中心に輝く「阿字」を観想します。このプロセスは、私たちが日常で抱え込んでいる様々な雑念、執着、自己中心的な「私」という物語を、静かにその「阿」字と月輪の清浄な光の中に溶かし込んでいくような体験をもたらします。

それは、何か特定のイメージを「作り上げる」というより、むしろ余計なものを「削ぎ落としていく」作業に近いかもしれません。自分の思い、願い、判断、そういったものを一つひとつ手放し、「阿」という根源的な音、そして月輪という完璧な「空」の象徴に、ただ意識を委ねていく。そこには、コントロールしようとするエゴの働きはなく、ただ宇宙の呼吸と一体となるような、深い安らぎがあります。

「こうでなければならない」「こうありたい」という強い思いは、時として私たちを苦しめます。阿字観は、その強張った心を解き放ち、「私」という小さな枠組みを「諦め」、より大きな全体性の中に溶け込む体験へと誘います。それは、すべてを投げ出す消極的な諦めではなく、真実のありようを明らかに見極めた上での、積極的で創造的な「諦め」なのです。

 

実践における「手放し」の瞬間

阿字観瞑想を実践する中で、私たちは何度も「手放す」という体験をするでしょう。

坐って目を閉じると、様々な思考や感情が浮かんできます。仕事のこと、人間関係のこと、過去の後悔、未来への不安。それらを無理に抑え込もうとしたり、追い払おうとしたりする必要はありません。ただ、それらが雲のように現れては消えていくのを、静かに観察します。「ああ、また考えているな」と気づき、そしてそっと手放し、再び月輪と阿字の観想に戻る。この繰り返しが、執着を手放す訓練となるのです。

また、「うまく観想できない」「集中できない」という焦りや自己批判が生まれることもあるでしょう。しかし、その感情すらも、観想の対象として手放すことができます。「完璧にできなくてもいい」「ただ、今ここに在るだけでいい」と、自分自身を優しく受け入れる。この受容の感覚こそが、「手放す」ことの本質なのかもしれません。

 

「諦め」の先に広がる、真のシンプルライフ

阿字観瞑想を通して「手放す」こと、「諦める」ことの深意に触れるとき、私たちの生き方はよりシンプルで、軽やかなものへと変容していく可能性があります。

それは、多くのものを所有することから解放され、本当に価値のあるものを見極める力。

それは、変えられない過去や不確かな未来に囚われず、「今、ここ」を大切に生きる力。

それは、自己中心的な願望から自由になり、他者や世界との調和の中で生きる喜び。

「諦める」とは、決してネガティブな言葉ではありません。それは、真実を明らかに見つめ、執着から解放され、宇宙の大きな流れに身を委ねるという、成熟した精神のあり方を示しています。そして、その「諦め」の先にこそ、私たちが本当に求めている心の平安と、揺るぎない自由が広がっているのではないでしょうか。

情報が錯綜し、価値観が多様化する現代において、私たちはともすれば何が正しくて何が間違っているのか、何が重要で何がそうでないのかを見失いがちです。阿字観瞑想は、そのような複雑さの中で、私たちの内なる羅針盤を再調整し、最もシンプルで本質的な「阿」という一点に立ち返ることを教えてくれます。

阿字観瞑想という、この上なくシンプルな実践を通して、あなたも「手放す」勇気と、「諦める」ことの真の豊かさを見出してみませんか。その静寂の中にこそ、現代を生き抜くための、そしてより豊かに生きるための、確かな答えが響いているはずです。

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。