欲望を刺激されて私たちは生きています。
私はテレビを殆ど見ませんが時々見ると「これがあなたには必要ですよ。これを持っていないと不幸になりますよ。」と訴えてくる商品や広告がたくさん出てきます。
今はyoutubeの広告でもSNSの広告でも欲望を刺激することをしてきます。
SNSでは消費者がこぞって互いの欲望を刺激し合い、人に物を売ろうとしてもいます。
消費者が消費者を創りだしてくれるのですから、企業からすると有難い限りだと思います。
すごい世の中だなと思います。
「欲望を刺激する」と書きましたが、それは「あなたが幸せではないのはこれが足りないから。これを手に入れるとあなたの思っているあなたに一歩近づきます」というようなことを示してくるということです。
それをこれでもかと「うまいこと」広告に載せてきます。
そして、広告を見るとひとはその差を埋めないとダメなんだと思考が判断して自動的に欲しくなる。
本当のところ、足りないというのは現実的ではないのです。
勝手に思考が創りだしているのです。
足りているんですから。
もっともっとをやめるだけでいい
実際に今このブログを読んでいる人はそんなに困っていないはずです。
もちろん、もっと理想的な生活や人生というのはあるでしょう。
欲しいものもあるでしょう。
でも、今この状態でそれなりに幸せに暮らせていると思います。
給与が少なくても少ないなりに工夫もすることができますし、仕事を一生懸命にやることで将来へつなげることもできます。
それをもっと欲しいという欲望に絡めとられると辛いです。
常に苦しみと一緒にいることになります。
その苦しみは「喉の渇き」のようなものです。
喉の渇きを増すように増すように広告やCMは刺激してきます。
欲望を満たすことは喉の渇きを潤す水のようには働かない
喉が乾いていると水が欲しいですよね。
水を飲むとそれで満足します。
しかもコップ一杯か多くても500mlくらいあれば満足するはずです。
これが欲望や頭の刺激だとそうはいきません。
バッグをひとつ持って満足だったはずが、2個目、3個目、4個目とさらに欲しくなる。
靴でも知識でも地位でも一緒です。
もっともっとと欲しくなる。
欲しい間はずっと喉が乾いた状態と一緒なので欲しがり続けます。
思考や欲望は飲んでも飲んでも喉の渇きは満たされない。
いっとき満たされてもすぐに喉が渇く。
この悪循環に陥っている人がいるのではないでしょうか。
喉の渇きはそこで満足すれば終わりです。
ですが、欲望は満たされるともっと渇くようになっているみたいです。
だから、もういいんじゃないですか。
満たそうとしなくても。
もう十分ですよね。
もう、いいんじゃないの
もう十分ではないでしょうか。
そろそろいいんじゃないですか。
欲しがらなくても。
刺激ジャンキーにならなくても。
欲を満たすことで幸せになろうとしなくても。
もっともっとと喉の渇きを増すようなことをしなくても。
もう十分にやってきたと思います。
好きなことは思いっきりやっていいと思いますが、何かを得ることでしか幸せになれないという洗脳から解かれていきましょう。
得ることは楽しいし、嬉しいことに思います。
ですが、幸福は逆のようです。
幸福は何もなくても起こるものです。
欲しいものが得られることでは幸福は得られない。
究極はこの生きているというだけで、この存在だけでも幸福を感じられる。
そういうものです。
もう十分だと思います。
もっともっと欲するのをやめると本来のあなたの状態に戻っていきます。
そろそろ終わりにしませんか。
終わりに:欲望の終わりへ
欲望に支配され続けるのはもういいですよね。
ウンザリしてきませんか。
欲がゼロになることはないでしょう。
生きるのに必要な欲というのがあります。
私たちは生きていかなければいけませんからね。
欲を悪者に仕立てあげようとしているわけでもありません。
その欲が刺激され続けて、翻弄されたまま人生が終わってしまうのは寂しいなと思うだけです。
意図的に刺激されてコントロールされていることが殆どですしね。
(企業や商品や人にコントロールされているだけなのですよ)
そこを認識するだけで全然異なる世界を生きられると思います。
幸せって今ここにあります。
幸せというのは今ここで幸せだと思ってしまえば終わりといいます。
どこか遠くにあると思っていると一生幸せになれません。
なぜならば、幸せは自分の問題だからです。
欲を満たす先に幸せがあるわけではありません。
欲を満たそうとすればするほど、喉が渇くのです。
欲を満たす必要はない、今ここで幸せなんだと思えるだけでいいのだと思います。
すると欲とも適度な距離が保てるのだと思います。
もう十分に欲も楽しみましたよね。