私たちは日々、無数の選択をしています。
スーパーでどの野菜を買うか、週末に誰と会うか、そして、自分自身のために何にお金を使うか。
「購入する」という行為は、単にお金とモノを交換する作業ではありません。
それは、「私はこれに価値を感じている」「私はこういう生き方を選び取る」という、自分自身への、そして世界への意思表示(投票)でもあります。
今日は、数ある選択肢の中から「ヨガクラス」という、形のない体験を購入することの意味について、少し深く考えてみたいと思います。
形のないものに、対価を支払うということ
私たちは、目に見えるモノに対してはお金を払いやすい生き物です。
最新のスマートフォン、ブランドのバッグ、美味しい食事。
手触りがあり、所有でき、他人に自慢できるものには、容易に「価値」を見出します。
一方で、ヨガクラスはどうでしょうか。
そこには、家に持ち帰れる「モノ」はありません。
クラスが終われば、手元に残る物体は何もないのです。
あるのは、少し軽くなった身体と、静まった心、そして「ああ、いい時間だったな」という感覚だけ。
目に見えないもの、消えてしまうものにお金を払うことに、躊躇する気持ちが生まれるのも無理はありません。
しかし、本当に私たちの人生を豊かにするのは、棚に並べられたモノたちでしょうか?
それとも、心に刻まれた「体験」や、身体に染み込んだ「感覚」でしょうか?
形のないものにお金を払うことは、自分の内側にある「感性」や「未来」への投資です。
それは消費ではなく、自分自身を耕すための肥料のようなものです。
安さという魔力と、その代償
現代社会は「コスパ(コストパフォーマンス)」を至上の価値として掲げます。
「いかに安く、多くのものを得るか」。
無料で溢れるYouTube動画、月額数百円で受け放題のオンラインフィットネス。
これらは確かに便利で、入り口としては素晴らしいものです。
しかし、「安さ」だけを基準に選ぶとき、私たちは大切なものを見落としていないでしょうか。
安価で提供されるサービスは、多くの場合、効率化と大量消費を前提としています。
そこでは、あなた個人の身体の癖や、その日の心の揺らぎは見過ごされがちです。
画面の向こうの講師は、あなたが今、眉間に皺を寄せて頑張りすぎていることに気づけません。
「価値がある」と判断して、適正な対価を支払うこと。
それは、相手(指導者やスタジオ)への敬意であると同時に、自分自身への敬意でもあります。
「私は、自分自身のケアのために、これだけのコストをかける価値がある人間だ」
そう自分に宣言すること自体が、すでに癒やしの始まりなのです。
タダで手に入れたものは、タダ同然に扱ってしまうのが人間の性(さが)です。
身銭を切るからこそ、私たちはその時間から真剣に何かを学び取ろうとするのです。
空間と時間(場)を買うということ
ヨガスタジオのような場所に来ていただくことは、単に「ヨガの動き」を教わりに来るだけではありません。
古民家という時間が堆積した空間、縁側から入る光、畳の匂い、そしてそこで共有される静謐な空気。
そうした「場(フィールド)」そのものを購入していただいているのだと考えています。
自宅のリビングで、洗濯物の山を横目に動画を見ながら行うヨガと、
日常から切り離された聖域(サンクチュアリ)で行うヨガ。
同じアーサナ(ポーズ)をしていても、その体験の深度は全く異なります。
私たちが提供しているのは、ポーズのカタログではありません。
「何もしなくていい時間」「誰の母でも、誰の部下でもない、ただの私に戻れる時間」という、現代において最も贅沢な空白です。
その空白に価値を見出し、足を運んでくださる方々の想いに、私たちは全力で応えたいと思うのです。
「購入」は、エネルギーの循環
お金はエネルギーです。
ヨガクラスを購入するということは、あなたの働いて得たエネルギーを、私たちの活動に注いでいただくということです。
そして私たちは、そのエネルギーを受け取り、より良い空間、より深い学び、より温かいコミュニティという形で、再び皆さんへ還元していきます。
この循環の中に、「搾取」や「損得」の概念はありません。
あるのは、互いの人生をより良くしようとする「感謝」と「信頼」の交換です。
あなたがクラスを購入することで、ENGAWA YOGAという場所が存続し、また別の誰かがここで安らぎを得ることができる。
あなたの選択は、あなた自身のためだけでなく、この「善き循環」を回すための大切な一押しとなっているのです。
迷っているあなたへ
もし今、「ヨガを始めたいけれど、お金がかかるしな…」と迷っている方がいれば、一度ご自身の胸に問いかけてみてください。
「私が本当に欲しい未来は、どんなものだろう?」と。
モノで溢れた部屋でしょうか、それとも、軽やかで健やかな身体と心でしょうか。
飲み会や衝動買いで消えていく数千円と、自分自身と深く向き合うための数千円。
どちらが、1年後、5年後のあなたを笑顔にしているでしょうか。
もちろん、無理をする必要はありません。
ただ、もし直感が「これは私に必要だ」と囁いているなら、その声を信じてみてください。
「価値がある」と自分で決めて、自分で選び取る。
その主体的な一歩こそが、ヨガ的な生き方(カルマ・ヨガ)の実践なのです。
私たちは、あなたが「選んでよかった」と心から思えるような、静かで豊かな時間を、ここ縁側で用意してお待ちしております。
ではまた。


